1 概 要 本調査研究は、東南アジアで独自の地位を築き、近年、科学技術政策に力を入れ始めたタイ を事例として、科学技術分野、特に産学連携と地域イノベーションに焦点を当て、2006年9月に 現地調査を行い、その当時の状況と課題を整理し、取り纏めたものである。以下、本調査結果の 概要を示す。 タイの科学技術政策は、2001 年に発足したタクシン政権により強力に進められてきた。首相が 主宰する「国家競争力会議」が設立され、政府の政策の中で、国の国際「競争力」を強化すること に高い優先順位が与えられた。タクシン政権は、タイを永続的な発展と、長期的な競争力維持に 導くため、2004 年、「国家科学技術戦略計画(2004 年-2013 年)」を策定し、ここで掲げた5 つの戦 略(「クラスター及び地域社会経済並びに生活のすべてについて質を向上させる」、「科学技術 における人材育成」、「インフラ及び研究所の整備」、「科学技術に関する国民の理解・認識の形 成」、「科学技術関連の管理運営システムの改善」)に基づき、その実施に向けた取組みを進め た。 タイのナショナル・イノベーション・システムでは、政府(国)による研究開発が主要な役割を担っ ている点にその特徴がある。その際、政府の研究機関による研究開発は基礎研究が中心であり、 分野面では農業分野が大きな比重を占めている。 大学は、近年の高等教育改革に伴いその数を増やし、公表論文数も1990年代後半から大きな 伸びを示した。諸外国と比較した場合、他の東南アジア諸国(マレーシア、フィリピン、インドネシ ア等)よりは高いものの、新興工業国(韓国、台湾、シンガポール)とは依然大きな開きがある。人 材面では、学士、修士、博士のいずれについても学位取得者は増加しているが、日本と比較す ると、タイの学位取得者は少なく、とりわけ博士レベルの科学技術人材が不足する。 企業セクターについては、従来外資系企業がタイを生産拠点と考え、また、タイ国内企業は貿 易事業から発展したものが多かったため、外資系企業、タイ国内企業とも研究開発を活発に行っ てはいなかった。近年、こうした企業もグローバル競争に直面し、より労働賃金の安い国々からの 追い上げを受ける立場になってきたため、研究開発を行う必要が生じてきた。 産学連携については、タイの代表的な大学(キング・モンクット工科大学トンブリ校、チュラロンコ ン大学、マヒドン大学)を対象に、事例調査を行った。その結果、これらの大学では、産学連携を 行うための類似の体制を整備しており、以下の特徴があることが明らかになった。 ・教員の研究成果に対する知的財産については、大学の中に知的財産のマネジメントを行う組 織を設置し、組織的なマネジメントを行っている。 ・知的財産のマネジメントに関しては、基本的に担当機関の専任スタッフで行っており、外部の 専門家の活用には積極的ではない。 ・特許に係る経費は大学が負担する。 ・政府の政策に基づき、ビジネス・インキュベーターが設置されており、大学発ベンチャー企業 2 の創出に向けた支援を行うとともに、学生または教員に対する企業家教育を実施している。 一方で、教員評価、教員の兼業、大学発ベンチャー企業に対する支援については各大学で 独自の取組みが行われていた。例えば、教員の評価については、マヒドン大学が論文と特許の みで行っているのに対し、キング・モンクット工科大学トンブリ校では外部からの研究資金の獲得、 学外の審議会等外部活動への参画、その他の社会貢献といった項目が設定されており、教員に 対する産学連携や社会貢献への動機付けに注意が払われていた。また、教員の兼業について は、チュラロンコン大学が教員の身分を保持したまま企業経営に専念することを禁止しているの に対し、キング・モンクット工科大学トンブリ校では教員がフルタイムで企業のために働くことを認 めており、その間教員の地位も維持される。 地域イノベーションの事例として今回調査を行ったチェンマイ地域では、政府(国)、大学、企 業というセクター別に、以下のような特徴が見られた。 政府(国)セクターでは、近年のクラスター政策の流れを受け、内務省がCEO 型知事(予算、 人事をはじめとする地方政府のすべての部局に対して最終決定権を有し、企業のCEOのように 権限が強化された知事)と協力し、8 つの産業を「重要産業」として育成するための戦略を策定し ている。チェンマイには政府(国)の研究機関はなく、産業省の下部組織である産業振興センタ ーが、域内の企業等の研究開発への支援を行うことにより地域イノベーションに大きな役割を果 たしてきた。同センターは、企業の技術課題を解決するコンサルティングや中小企業支援のため のサービス提供事業者のネットワーク組織の形成、さらには民間の経済団体であるタイ産業連盟 に対して研究開発資金を提供している。調査当時建設予定であった北部サイエンス・パークは、 チェンマイ地域初の公的研究機関であり、地域における研究開発能力の向上等を直接的に支 援するものとなる見込みである。 大学セクターでは、チェンマイ大学が最も大きな影響力を持っている。チェンマイ大学は、地 域に有為な人材を育成することを最大の地域貢献と考え、インターンシップなどを通じてその実 現に尽力している。また、近隣に政府(国)の研究機関がないことから、企業に対する受託試験サ ービスなどの提供でも重要な役割を果たしている。さらに、インキュベーター施設による大学発ベ ンチャーの創出にも積極的である。また、私立大学も大学発ベンチャーの創出を通じた地域貢 献に積極的であり、ファー・イースタン大学では、ビジネス・インキュベーターにより、学生による 起業活動を展開しようとしている。 企業セクターでは、タイ産業連盟が重要な役割を果たしている。タイ産業連盟は産業振興セン ターの研究開発資金の受け皿としての役割を担うとともに、研究開発・イノベーション・サービスセ ンターという企業間の連携支援組織の設立母体となっている。同センターは企業間連携や産学 連携に資する活動を行っており、特に「イノベーション・フェア」という、タイにおいて大規模かつ 重要なイノベーション関連会議を主催している。