調査資料−101 科学技術国際協力の現状 2003年 11月 文部科学省科学技術政策研究所第2研究グループ川崎弘嗣、林隆之、隅藏康一、新保斎、綾部広則、小林信一 本調査資料には、一部執筆者らの個人的見解が含まれているが、当研究所の公式見解を示すものではない。 Status of the international cooperation for science and technology November 2003 Hirotsugu KAWASAKI, Takayuki HAYASHI, Koichi SUMIKURA, Itsuki SHIMBO, Hironori AYABE and Shinichi KOBAYASHI Second Theory-Oriented Research Group National Institute of Science and Technology Policy (NISTEP) Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (MEXT) JAPAN まえがき 我が国の科学技術活動の国際化は、第2期科学技術基本計画においても強調される重要な政策課題であり、科学技術の国際協力が進められてきている。しかしながら、その実態は必ずしも明確に把握されていない上に、その効果をどのように把握するか、などの点も明らかではない。また、科学技術・学術活動の国際化推進方策が検討されているが、国際協力戦略として行動計画を策定する必要があり、そのためには、基礎的データや海外の動向など、実状の把握が必要とされている。 このため、我が国の科学技術国際協力の現状を明らかにし、これまで実施されてきた科学技術国際協力プログラムの実態を検討することを通じて、課題などを抽出し、科学技術の国際戦略策定のための基礎的知見を得ることが重要となる。 そこで、本研究では、我が国における科学技術国際協力の現状を分析するため、政府予算をベースとしたデータ収集を行い、経費の推計、研究分野の分類等の分析により、科学技術国際協力の現状と課題を検討した。また、国際協力実施の面からの分析として事例調査を行い、これまで実施されてきたいくつかの科学技術国際協力プロクラムについて、ヒアリング調査を実施し、プログラムの開始から運営に至るプロセスでの含意、課題などを検討した。 本報告書は、総論と各論の2つの構成に分け、「第1章政府予算から見た科学技術国際協力」の総論については、川崎弘嗣が執筆した。「第2章科学技術国際協力プログラムの事例調査」の各論においては、「 1.事例の選定」を川崎弘嗣が、「 2.ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)」と「3.インテリジェント・マニュファクチャリング・システム(IMS)」を林隆之が、「 4. ヒューマン・ゲノム・プロジェクト(HGP)」を隅藏康一と新保斎が、「 5.気候変動に関する政府間パネル(IPCC) ―研究者と政策決定者のオプティマル・リレーションを求めて」と「6. 高エネルギー物理 (HEP) ―SSC計画を例として」を綾部広則が執筆した。また、小林信一は全体を総括して「第3章まとめ」を執筆したほか、研究全般の指揮をとった。 目次 第1章政府予算から見た科学技術国際協力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1- 1 1.はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1- 1 2.データの作成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1- 2 2.1基本データの収集・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1- 2 2.2分野分類による分析方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1- 3 2.3追加データ項目・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1- 4 2.4データの推計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1- 7 2.5データ数・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1- 7 3.科学技術国際協力関係経費の推計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1- 8 4.研究分野分類(分類T)による科学技術国際協力の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-10 5.協力形態分類(分類U)による科学技術国際協力の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-11 5.1協力形態分類結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-11 5.2研究予算規模・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-11 5.3研究者交流・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-13 5.4国際機関等を通じた協力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-14 6.協力対象国分類(分類V)による科学技術国際協力の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-17 6.1協力対象国の分類結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-17 6.2発展途上国との科学技術国際協力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-18 6.3アジアとの科学技術国際協力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-23 7.まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-24参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1-26 第2章科学技術国際協力プログラムの事例調査・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 1 1.事例の選定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 1 1.1選定の背景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 1 1.2 事例調査の対象とした科学技術国際協力プログラムの経費・・・・・・・・・・・・・・ 2- 2 2.ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 3 2.1プログラムの概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 3 2.2 HFSP設立の歴史的展開・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 3 (1)課題設定とプログラム素案の形成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 3 (2)プログラム案の国際的コンセンサス形成と詳細設計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 5 (3)プログラムの実施・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 6 2.3設立・実施過程で生じた問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 7 (1)各国政府における国際共同の必要性の非共有と疑念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 7 (2)各国からの資金提供の不足・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 8 (3)プログラムの分野設定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2- 9 (4)HFSPによる共同研究の誘因効果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-10 2.4 HFSPにおける国際共同研究プログラムのマネジメントの特徴と含意・・・・ 2-12参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-14 3.インテリジェント・マニュファクチャリング・システム(IMS) ・・・・・・・・・・・・・・ 2-17 3.1プログラムの概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-17 3.2プログラム設立の歴史的展開・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-17 (1)課題設定とプログラム素案の形成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-17 (2)プログラム案の国際的コンセンサス形成と詳細設計・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-18 (3)プログラムの実施・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-20 3.3設立・実施過程で生じた課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-22 (1)国際共同の必要性の非共有・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-22 (2)分散的運営体制の利点と欠点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-22 (3)各研究実施者の参加へのインセンティブ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-23 (4)プログラムによる研究活動へのインパクト・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-24 3.4 IMSにおける国際共同研究プログラムのマネジメントの特徴と含意・・・・・・ 2-24参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-26 4.ヒューマン・ゲノム・プロジェクト(HGP)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-28 4.1ヒトゲノム計画とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-28 4.2ヒトゲノム計画の背景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-28 4.3ヒトゲノム計画の経緯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-28 4.4外国の動きの予算獲得への影響・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-32 4.5ヒトゲノム計画における分担・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-33 4.6ヒトゲノム計画への民間企業の進出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-34 4.7遺伝子特許を巡る争い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-36 4.8まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-36参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-37 5.気候変動に関する政府間パネル(IPCC)―研究者と政策決定者のオプティマル・リレーションを求めて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-38 5.1 IPCCの概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-38 5.2 IPCCの経緯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-39 (1)地球温暖化という現象の認知と IPCCの形成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-39 (2)IPCCの実行段階・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-41 5.3成立・実行段階における特徴と問題点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-44 (1)科学と政策の境界線問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-44 (2)ハイブリッド・フォーラゆえの評価軸の多様さが招く研究者との軋轢・・・ 2-45 (3)日本の研究体制に関わる障碍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-46 5.4 IPCCにおける国際科学協力のマネジメントへ向けて―専門性をもった専属のインタープリターないしは調整官の必要性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-47文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-48 6.高エネルギー物理 (HEP)―SSC計画を例として・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-50 6.1 SSC計画の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-50 6.2 SSC計画の経緯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-51 (1)SSC計画誕生の背景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-51 (2)SSC計画の実行段階・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-53 (3)日本との関係・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-55 6.3 SSC計画の特徴と問題点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-56 (1)幹事国主導型国際科学協力としての SSC計画・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-56 (2)ICFAの機能の変化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-57 (3)国際協力の意味内容の変化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-57 6.4ビッグ・サイエンスにおける国際協力のマネジメントへ向けて―国際科学協力の諸類型・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-58文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2-59 第3章まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3- 1 1.調査結果のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3- 1 1.1政府予算から見た科学技術国際協力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3- 1 1.2事例調査・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3- 2 (1)HFSP・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3- 2 (2)IMS・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3- 4 (3)HGP・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3- 6 (4)IPCC・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3- 7 (5)HEP(SSC計画を中心に) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3- 9 2政策的含意と課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3-10 2.1科学技術国際協力に関する教訓・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3-10 (1)科学技術国際協力関係経費の分析から得られた含意、課題等・・・・・・・・・・・・ 3-10 (2)HFSP調査から得られた含意、課題等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3-11 (3)IMS調査から得られた含意、課題等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3-11 (4)HGP調査から得られた含意、課題等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3-12 (5)IPCC調査から得られた含意、課題等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3-12 (6)HEP調査から得られた含意、課題等・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3-13 2.2横断的課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3-13 謝辞 附属資料事例調査した科学技術国際協力プログラムの概要 第1章政府予算から見た科学技術国際協力 第1章政府予算から見た科学技術国際協力 川崎弘嗣 1. はじめに 我が国の科学技術に関する国際協力は、かつて国際貢献と呼ばれていた時代から現在は国際協力と呼ばれるのが一般的になりつつある。研究機関や民間企業等の業務紹介や組織図でも、国際協力関係の紹介や国際協力関係の部門がよく見受けられ、重要な一つのカテゴリーとなっている。第2期科学技術基本計画においても、「科学技術活動の国際化の推進」が基本方針として挙げられており、国際協力・交流の積極的な推進が重要となっている。 しかし、科学技術の国際協力の実態はどのようになっているのか、必ずしも明確に把握されているわけではない。科学技術国際協力の現状分析を通じて実態を明らかにし、課題を抽出することにより、科学技術の国際戦略策定のための基礎的知見を得ることが必要である。 そこで本章の研究の目的は、第1に、政府予算における科学技術国際協力関係経費がどの程度なのかを示す情報がないため、それを提示することである。このため、政府予算において科学技術国際協力に関するデータ収集を行い、科学技術国際協力関係経費の推計を行った。第2に、科学技術国際協力がどのようになされているかの情報を与えることである。このため、どのような研究分野で、どのような協力形態で、どのような国と、どのようになされているか等を把握するため、いくつかの分野分類等により、経費をベースに分析を行った[1]。ここで提案したいくつかの分野分類を軸としていくつかの観点から分析した結果により、科学技術国際協力の実情を把握できるものと思われる。 科学技術国際協力に関するデータの収集においては、資料上に示された研究課題の情報には不明確なものが多々ある。資料からの情報抽出の十分性や、科学技術に分類されるものかどうか、国際協力に分類されるものかどうか等の区分上の妥当性の点で、厳密性をある程度欠くことは避けられない。しかし、傾向を分析する上で本質が変わるようなものではないと考えられる。また以下の分析は、平成 11年度と平成 12年度の政府予算に基づく分析であるが、昨今の現状を反映した分析結果として提示できるものだと考える。 2. データの作成 2. 1基本データの収集 科学技術国際協力関係経費を推計するため、文部科学省 (旧科学技術庁)等の予算関係資料を基本として科学技術に関する国際協力関係の経費データを収集した。ここで、調査した国際協力とは、科学技術の分野であり、国際共同研究や科学技術協力、国際機関等を通じた協力(拠出金・分担金等)、研究者の派遣・受入等研究者交流に関するものなどである。これらのデータは、本研究期間2年間 (平成 13年 10月から平成 15年 9月まで )の初年度で収集され、この期間で上記資料から直近の経費が見積もれる範囲としては、平成 11年度と平成 12年度の確定された2カ年の予算であった。 表1-2-1 収集した基本データ項目 @ 出典No. 1 平成12年度予算における科学技術関係経費 平成12年3月 (科学技術政策局)  (W 各種制度等−研究者の交流) 2 平成12年度予算における科学技術関係経費 平成12年3月 (科学技術政策局)  (W 各種制度等−国際的な交流等の推進) 3 平成12年度予算における科学技術関係経費 平成12年3月 (科学技術政策局)  (X 研究開発課題−研究開発課題) 4 平成12年度予算における科学技術関係経費 平成12年3月 (科学技術政策局)  (Y 科学技術関係経費事項別個別表) 5 平成13年度科学技術に関する経費の見積もり方針の調整意見書 平成12年10月 (科学技術庁) (第29表 国際協力の推進−研究開発課題分類一覧表) 6 文部省科学研究費補助金 採択課題・公募審査要覧 平成10,11,12年版 (科学研究費研究会) 7 補助金総覧 平成11年度、平成12年度 (財政調査会) 9 その他 (文部科学省 科学技術・学術政策局ヒアリング調査や各省庁や関連 機関のWeb検索情報による) A 省庁 研究等の予算請求省庁名。当時の旧名称で記載。 B 機関 研究等の主たる実施機関名。 C 事項 予算件名。 D 研究開発課題名 予算件名に対する関連研究開発課題名(テーマ名)。件名により複数テーマあり。 E 年度予算額 予算件名もしくは研究開発課題(テーマ)の計上する予算額。単位:千円。平成11年度および平成12年度のそれぞれの予算額。 基本となるデータの抽出は、表 1-2-1に示すようなデータ出典、課題名、実施期間、予算 等であり、次の手順による。 ・ 資料「平成12年度予算における科学技術関係経費、W各種制度等、Y科学技術関係経費事項別個別表」[2]及び「平成 13年度科学技術に関する経費の見積もり方針の調整意見書」[3]から、科学技術国際協力に関係するものを事項別に抽出した。 ・ 資料「平成12年度予算における科学技術関係経費、X研究開発課題」[2]から、科学技術国際協力に関係すると思われるものを研究開発課題の単位で抽出した。 ・ 資料「補助金総覧」[4]-[5]から、科学技術に関係すると思われる国際機関等への拠出金、分担金などを抽出した。 ・ 資料「文部省科学研究費補助金 採択課題・公募審査要覧」[6]-[8]から、国際学術研究のうち科学技術に関係すると思われるものを、研究分野の単位で集計して抽出した。 2.2分野分類による分析方法 収集された基本データは経費データであるため、科学技術国際協力の現状を詳細に分析するためには、さらにいくつかの情報を追加する必要がある。ここでは、科学技術国際協力の特徴を引き出すため、いくつかの分野分類方法による分析を行うこととした。 分野分類の方法は、次のような方法を採用した。具体的な分類項目を図 1-2-1に示す。   図 1 - 2 - 1  分 野分 類法 分類T−研究分野に着目した分類であり、科学技術基本計画重点分野に基づく分類と、 国際比較を可能にするため FRASCATI MANUAL 1993 (OECD)に基づく分類を行った。FRASCATI MANUALに基づく分類に当たっては、表 1-2-2に示すように科学技術基本計画重点分野に基づく分類との対応付けを行うことで分類した。 分類U−科学技術基本計画の各種制度等を基本とした分類であり、科学技術国際協力の形態に着目した分類である。 分類V−科学技術国際協力の形態として対象国との関係に着目した分類である。 表 1 - 2 - 2  分野分類の対 応 付け 分類U 1. 自然科学 1.1 数学及びコンピュータ科学 1.2 物理 1.3 化学 1.4 地球環境 1.5 生命科学 1.6 その他の自然科学 2. 工学及び 技術 2.1 土木工学 2.2 電気工学、エレクトロニクス 2.3 その他のエンジニアリング 3. 医学 3.1 基礎医学 3.2 臨床医学 3.3 保健学 4. 農業科学 4.1 農業、林学、漁業、及び関連科学 4.2 獣医学 5. 社会科学 5.1 心理学 5.2 経済学 5.3 教育的科学 5.4 その他の社会科学 6. 人文科学 6.1 歴史 6.2 言語及び文学 6.3 その他の人文科学 対応づけた分類Tの番号 2 2,4 1,3 3,7 1,3 8 7 2,6 4,5,6,7,8 1 1 1,3 1,3 1 7 7 7 7 分類T 1. ライフサイエンス 2. 情報通信 3. 地球環境 4. 物質材料 5. エネルギー 6. 製造技術 7. 社会基盤 8. フロンティア 2.3追加データ項目 基本データに加え、分野分類を行うために追加したデータ項目を表 1-2-3に示す。なお、研究開発課題によっては複数の分野にまたがるものもあるため、分類後の経費集計においてはそれぞれの分類でカウントし、重複カウントを許容した。 ・ 基本計画分野分類 科学技術基本計画重点分野に基づく8分類。分野を特定しないか特定できなかったものは、「9.その他」とした。 ・ OECD分野分類 FRASCATI MANUALにおける科学技術の分野分類。分野を特定しないか特定できなかったものは、「9.その他」とした。 ・ OECD分野分類−小分類 FRASCATI MANUALにおける分野分類の細分類。分類が困難なもの、分野を特定しないか特定できなかったものは、「 9.その他」とした。 ・ 研究開発プログラム/宇宙・原子力分類 宇宙関係や原子力関係の巨大プロジェクトを識別。研究開発プログラムとは、全体から宇宙/原子力プロジェクトを除いたものを指す。 ・ 事例調査のプログラム分類 第2章で述べる事例調査の対象とした科学技術国際協力プログラムの識別。 HFSP、 HGP、IMS、IPCC、HEPの5つのプログラムないしはプロジェクト。 ・ 国際協力形態 科学技術基本計画の各種制度等を基本とした分類。「国際共同研究開発の推進・科学技術協力の拡充」は、以降「国際共同研究・科学技術協力」と呼ぶ。「国際機関等を通じた研究協力等の推進」は、以降「国際機関等を通じた協力」と呼ぶ。「海外との研究者交流の促進」は、以降「研究者交流」と呼ぶ。 ・ 相手国 科学技術国際協力の相手国。具体的な国名で分類。対象国を特定しないもの、特定できないものは「各国」と分類。 ・ 地域コード 協力相手国の地域。各地域に関係するもの、地域を特定しないもの、特定できないものは、「 9.特定なし」とした。 ・ 先進国・途上国 相手国が先進国か発展途上国かの区別。先進国や発展途上国の区分に無関係で各国が対象となるものや特定できないものは、「 9.各国」とした。 ・ 二国間・多国間科学技術国際協力の相手国が二国間か多国間かの区別。 表1-2-3 分析上追加したデータ項目 F 基本計画分野分類 科学技術基本計画重点分野に基づく分類 :1. ライフサイエンス  6. 製造技術2. 情報通信      7. 社会基盤3. 地球環境      8. フロンティア4. 物質材料      9. その他(分野を特定しないか特定できないもの)5. エネルギー G OECD分野分類 FRASCATI MANUALにおける科学技術の分野分類 : 1. 自然科学 6. 人文科学 2. 工学及び技術 9. その他(分野を特定しないか特定できないもの) 3. 医学 4. 農業科学 5. 社会科学 H OECD分野分類−小分類 OECDにおける科学技術の小分類 :1.1 数学及びコンピュータ科学/ 1.2 物理/ 1.3 化学/ 1.4 地球環境/1.5 生命科学/ 1.6 その他の自然科学2.1 土木工学/ 2.2 電気工学、エレクトロニクス/ 2.3 その他の工学3.1 基礎医学/ 3.2 臨床医学/ 3.3 保健学4.1 農業、林学、漁業、及び関連科学/ 4.2 獣医学5.1 心理学/ 5.2 経済学/ 5.3 教育的科学/ 5.4 その他の社会科学6.1 歴史/ 6.2 言語及び文学/ 6.3 その他の人文科学 9. その他 (分野を特定しないか特定できないもの) I 研究開発プログラム/宇宙・原子力分類 巨大プロジェクトの識別:空欄: 研究開発プログラム1.  宇宙関係2.  原子力関係 J 事例調査のプログラム分類 事例調査の対象とする国際協力プログラムないしはプロジェクトの識別: 1. HFSP 4. IPCC 2. HGP 5. HEP 3. IMS K 国際協力形態 科学技術基本計画の各種制度等を基本とした分類:1. 国際共同研究開発の推進・科学技術協力の拡充2. 国際機関等を通じた研究協力等の推進3. 海外との研究者交流の促進 L 相手国 国際協力の相手国:具体的な国名で分類。対象国を特定しないもの、特定できないものは「各国」と分類。 M 地域コード 協力相手国の地域分類:1. 北米     6. 中東2. 中南米    7. オセアニア3. 欧州     8. アフリカ4. ロシア5. アジア    9. 特定なし(各地域に関係するもの、地域を特定しない      もの、特定できないもの) N 先進国・途上国 相手国が先進国か発展途上国かの区別:1. 先進国2. 発展途上国9. 各国 (先進国や発展途上国の区分に無関係で各国が対象となるもの、       特定できないもの) O 二国間・多国間 国際協力の相手国が二国間か多国間かの区別:1. 二国間協力2. 多国間協力 2.4データの推計 収集したデータには、データ項目に対応する値が必ずしも明確に抽出できないものがある。データ抽出において不明確な項目は、前後年度から、あるいは関連記事内容[9]-[14]及び各省庁や関連機関の Web検索情報から推測、推計したが、それでも明確にできなかったものは「その他」や「特定なし」の項目とした。 このように本データは、明確に国際協力が抽出できる資料からの抜粋というよりは、いろいろな資料から関係すると思われる箇所の抽出によって作成されたものであるため、データ項目を満たす上である程度筆者の判断が入ることは避けられないが、厳密性にある程度欠けるとしても、傾向を分析する上で本質が変わるようなものではないと考える。 2.5データ数 作成されたデータは、レコード数にして約 810件である。このレコード数に関しては、基本的に事項別個別表に計上されている研究課題ごとに作成した数であるが、評価する上でサブテーマまでブレークダウンしたものもあり、結果として作成されたレコード数である。 3. 科学技術国際協力関係経費の推計 近年の我が国の科学技術関係経費[15]は、図 1-3-1に示すように毎年増加しており、ここ数年も数%以上のゆるやかな伸び率がある。その中で科学技術国際協力関係経費は、収集したデータを基に平成 11年度及び平成 12年度の経費をそれぞれ集計した結果、ほぼ横ばいであった。 図 1 - 3 - 1  科学技術関係 経 費及 び 国際 協 力関 係 経費 の 推移 50,000 5,000 40,000 4,000   科学技術国際協力関係経費  (億円)   科学技術関係経費  (億円) 30,000 3,000 20,000 2,000 10,000 1,000 0 0 [ 科学技術関係経費は、「 平成 14 年度 科学技術の振興に関する年次報告 ( 文部科学省 ) 」の 第 3 - 1 - 7 表 を基に作成 ] 科学技術国際協力関係経費の科学技術関係経費に占める割合は、図 1-3-2に示すように平 図 1 - 3 - 2  科学技術国際 協 力関 係 経費 の 科学 技 術関 係 経費 に 占め る 割合   経費  (億円) 40,000 30,000 20,000 10,000 0 科学技術関係経費科学技術関係経費科学技術国際協力関係経費科学技術国際協力関係経費 1-8 成 11年度では 3兆 1567億円に対し 2760億円で 8.7%、平成 12年度では 3兆 2860億円に 対し 2735億円で 8.3%であり、科学技術国際協力関係経費の占める割合は 9%弱で1割に満たない。 科学技術国際協力関係経費のデータを収集する際、科学研究費補助金関係は平成 11年度から国際学術研究の取り扱い区分が変更され、平成 12年度のデータでは国際学術研究のテーマが基盤研究に統合されたため、国際共同研究関係の抽出が難しくなってしまった。したがって、平成 12年度の科学研究費補助金関係の総額は平成 11年度に比べて 20億円ほど抽出金額が少なく、見かけ上科学技術国際協力関係経費の総額は平成 11年度より 0.9%のダウンとなった。科学研究費補助金を前年度並みの総額と考えれば、科学技術国際協力関係経費の総額は平成 11年度とほぼ同程度の経費と解釈できる。 科学技術国際協力は、近年、科学研究費の取り扱いにも見られるように国際共同研究のみを特別に取り上げず、一般の共同研究の中で扱われるようになってきた傾向があり、予算上も明確に区別して見られなくなりつつあるようである。 平成 11年度及び平成 12年度とで科学技術国際協力関係経費の割合はほぼ同程度であることから、以降の分析は平成 11年度データに基づいて行った。なお、以降の分析結果は平成 12年度においても、平成 11年度の結果にほぼ類似することを確認している。 4. 研究分野分類(分類T)による科学技術国際協力の特徴 科学技術国際協力関係経費データを科学技術基本計画重点分野に基づく分類により分類した結果を図 1-4-1に示す。科学技術基本計画で重点項目とされている研究分野、すなわち「1.ライフサイエンス」、「2.情報通信」、「3.地球環境」、「4.物質材料」の4分野は、ほぼ同程度の経費配分比率となっている。その他の分野としては、「5.エネルギー」や「8.フロンティア」も大きい比率を占めている。「5.エネルギー」の分野の内訳は、原子力関係経費が約 54%と半分を占める。「8.フロンティア」の分野の内訳は、宇宙開発関係経費が約 99%とほとんどを占めている。 一方、FRASCATI MANUAL 1993 (OECD)による分類結果を図 1-4-2に示す。我が国の科学技術国際協力は「2.工学・技術」分野での協力が約半分を占めている。次いで「1.自然科学」、「4.農業科学」と続く。全体の 55%を占める「2.工学・技術」の分野の内訳は、「2.3その他のエンジニアリング」が 78%を占め、その内訳は宇宙開発や原子力開発(核融合、放射線利用も含む)関係の2大プロジェクトが 85%を占める。 図 1 - 4 - 1  分類T−科学 技 術基 本 計画 重 点分 野 に基 づ く分類 科学技術基本計画分類における 8.8.フロンテ ィ ア の内訳 宇宙 98.898.8 1.ライフサイエンス 8.8.フロンテ ィア 12% 海洋 その他 通信 0 20 40 60 80 100 % 環境 科学技術基本計画分類における7.社会基盤 5.5.エネルギーの内訳 4% 原子力 1 3% その他 5.5.エネ ルギー 4.物質 ・ 材料 12%     11% 0 20 40 60 80 100 % 図 1 - 4 - 2  分類 T− FRAS CATI MANUAL に基づく分類 4.4.農業科学農業科学 5.社会科学 2.2.1土木工学1土木工学 9.4% 0.7% 6.人文科学 0.3% 3.医学 0% 100% 2.2.2電気工学、2電気工学、 5.7%5.7% エレク ト ロニ クス 1.1.自然科学自然科学 80% 29.1% 60% 2.3その他の エンジニア リ ング 40% (宇宙 、 原子力 等) 20% 0% 2.2.工学工学・ 技術 55.1% 5. 協力形態分類(分類U)による科学技術国際協力の特徴 5. 1協力形態分類結果 科学技術国際協力関係経費データを国際協力の形態に着目して分類した結果を図 1-5-1示す。全体の経費割合でみれば、「国際共同研究・科学技術協力」が約5割、「国際機関等を通じた協力」が約4割、「研究者交流」が約1割程度の比率である。ここで、宇宙開発と原子力開発の合計経費は全体の約 1/3を占め、分析結果に偏りを与えるため区別することとした。すなわち、全体から宇宙/原子力に関する2大プロジェクト分を除いた一般の研究を「研究開発プログラム」と称して区別した。 宇宙/原子力プロジェクトは9割が「国際共同研究・科学技術協力」経費である。「研究開発プログラム」は、2大プロジェクトに見られるような大きな偏りはないが、「国際機関等を通じた協力」経費が大きく約6割を占める。このように経費割合は、2大プロジェクトでは国際共同研究・科学技術協力が、研究開発プログラムでは国際機関等への拠出金や分担金等が大きいという特徴がみられる。 図 1 - 5 - 1  分類 U−国際 協 力形 態 による 分類 0 1,000 2,000 3,000   経費  (億円) 5.2研究予算規模 協力形態分類を用いて科学技術国際協力関係の研究開発課題別に予算規模を調べてみると、図 1-5-2に示すような度数分布となる。ここで、課題数は予算書に現れる課題であり、実際の個々の研究課題や制度の数を表すものではないことに注意を要す。また、度数を取 るにあたって、協力形態上重複する課題については、重複が多いと類似の分布になること を懸念し、重複する課題は主たる形態に区分して重複を避けた。「国際共同研究・科学技術協力」、「国際機関等を通じた協力」とも、課題数の違いはあるが、経費分布としては似通った分布をしている。 「国際共同研究・科学技術 協力」関係では、ほとんどの 図 1 - 5 - 2  科学技術国際 協 力研 究 課題 の 予算 規 模分布 開発課題は約 100万円から 5 億円の範囲で分散しており、 国際共同研究 ・ 科学技術協力 予算額予算額 数千万円規模の研究開発課題100〜500億円 50〜100億円 が多い。宇宙/原子力関係の10〜50億円 「国際共同研究・技術協力」5〜10億円 予算額 1〜5億円 に 50億円を超える予算規模 0.0.5〜1億円5〜1億円 のものがいくつか見られるが、1000〜5000万円 500〜1000万円 これらには6つの宇宙開発関100〜500万円 係の研究課題(宇宙ステーシ0〜100万円 ョン計画や観測衛星等)が含協力課題数 まれる。これらの研究課題は、宇宙/原子力プロジェクトで国際機関等 を 通 じ た 協力 0 20 40 60 80 100 120 100〜500億円 集計された総額の約7割を占50〜100億円 め、科学技術国際協力関係経10〜50億円 5〜10億円 費の総額の約 1/4と、経費上 大きな比率を占めている。 国際機関等への拠出金、分担金、政府開発援助等を主とする「国際機関等を通じた協力」においても、数百億円規模まで広く分布し、数千万円規模の資金協力が比較的多い。 1〜5億円 0.5〜1億円0.5〜1億円  1000〜5000万円 500〜1000万円 100〜500万円 0〜100万円 協力課題数 研究者交流 0 20 40 60 80 100 120 100〜500億円 「国際共同研究・科学技術協50〜100億円 10〜50億円 力」と比較すれば、課題数は5〜10億円 半分近く少ないのに総額があ 1〜5億円 0.5〜1億円0.5〜1億円   まり変わらないのは、10億円 1000〜5000万円 を超えるような予算規模のも500〜1000万円 100〜500万円 のが少し多いことで相殺され0〜100万円 ているからである。「研究者交流」の協力にお協力課題数 0 20 40 60 80 100 120 いては、さらに課題数は少なく、50億円を超えるような大規模予算のものはないが、上と 同様に数千万円規模の協力予算が最も多い。 5.3研究者交流 「研究者交流」による協力経費は、科学技術国際協力関係経費の1割程度にすぎない。しかし、研究者交流制度を通じた協力は、旅費・滞在費などの費用が主であり、ハードウェア製作を伴うような国際共同研究等に比較して小規模な予算の積算である場合が多く、総額で比較して「研究者交流」経費は科学技術国際協力関係経費の1割程度を占めていることを意味するものであって、研究者の交流が少ないということを意味するものではない。研究者交流の動向は、受入・派遣の交流者数の変化等で見たほうが分かりやすいであろう。 「科学技術・学術審議会国際化推進委員会」の平成 15年 1月の報告[16]によれば、研究者の交流数は年々増加傾向にあり、平成 12年度は派遣・受入総数で約 14万人であるが、 図 1 - 5 - 3  地域別・国別 交 流者数 中東 ア フリカ 1.0%そ の他 1.3% 0.2% オセアニア ア メリ カ 合衆国 3.3.3%3% アジアアジア その他 27.0% 30.8% 28.7% 北米 29.0% タイ 2.5% 中国 イタリア 10.0% 2.8% オース ト ラリア 中南米 2.9% 2.2.0%0% カ ナダ 韓国 ヨ ーロ ッ パ(含NIS諸国) 3.4%7.0% 32.32.3%3% フランス ド イツ イ ギ リス 4.7% 5.3% 5.8% [ 内訳 ] [ 内訳 ] 地域別交流者数 (単位 : 人) 国別交流者数 (単位 : 人) 地域 派遣 受入 計 アジア 30,133 13,652 43,785 ヨ ー ロ ッ パ(含NIS諸国) 37,726 8,112 45,838 中南米 2,215 631 2,846 北米 36,019 5,185 41,204 オセアニア 3,892 863 4,755 ア フリカ 1,192 661 1,853 中東 1,035 376 1,411 そ の他 160 106 266 計 112,372 29,586 141,958 国名 派遣 受入 計 ア メリ カ 合衆国 32,272 6,029 38,301 中国 9,554 4,639 14,193 韓国 6,708 3,193 9,901 イ ギ リス 6,664 1,535 8,199 ド イツ 6,160 1,338 7,498 フランス 5,519 1,102 6,621 カ ナダ 3,747 1,042 4,789 オース ト ラリア 3,289 797 4,086 イタリア 3,249 773 4,022 タイ 2,897 686 3,583 そ の他 32,313 8,452 40,765 計 112,372 29,586 141,958 [ 出典:「科学技術・学術活動の国際化推進方策について」平成 15 年 1 月、          科学技術・学術審議会 国際化推進委員会 を基に作成 ] 派遣数約 11万人に比べ受入数は約 3万人程度である。派遣・受入先の多くはアジア、欧州、 北米地域でほとんどを占め、米国、中国、韓国への派遣数、もしくはこれらからの受入数が特に多い(図 1-5-3参照)。 ここで、本研究の平成 12年度データから、政府予算上の「研究者交流」の経費を地域別に積算してみると、図 1-5-4のようになる。各種の研究者交流制度は地域を特定しないため、多くは「特定なし」の項目に分類されてしまうが、地域を特定している「研究者交流」経費についてみれば、アジア、次いで一桁小さいが欧州が多い。本経費データの分析からも、図 1-5-3の研究者交流数に対応した順位の傾向が得られ、経費と交流数との間にある程度の相関がみられた。「国際共同研究・科学技術協力」経費は欧米の比率が高いのに対し、「研究者交流」経費はアジアが断然比率が高い。特定分野での交流や研修制度が設けられているものが多いことに起因すると思われる。他の地域についても、具体的な研究課題や研修・教育での交流制度が積極的に展開されるようになれば、双方の目的が明確な中身の濃い交流として活性化されるのではないだろうか。   図 1 - 5 - 4  研究者交流経 費 の地 域 別割合 0 20 40 60 80 100 120 140 160 180 200 経費 (億円) 5.4国際機関等を通じた協力 「国際機関等を通じた協力」経費は、科学技術国際協力関係経費の約4割を占め、大きな割合を占めていた。この内訳を分類してみると、図 1-5-5のようになる。ほとんどが国際機関等への拠出金や分担金であり、政府開発援助予算からも配分されている。大まかに分類した範囲でみれば、主な拠出先機関は、国際連合関係(専門機関も含む)が約半分を占める。 OECD(経済協力開発機構)関係は 5%程度である。その他の国際機関としては、ロシアへの支援委員会(2002年に廃止)、国際農業研究協議グループ、HSFP(ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム)、ISTC(国際科学技術センター)等が、日本が比較的拠出金・分担金を多く拠出している国際機関といえる。   図 1 - 5 - 5  国際機関等を 通 じた 協 力の 内訳 拠出金/分担金 政府開発援助拠出金/分担金 拠出金/分担金以外の国際機関協力経費 特定地域 と の科学技術協力 ・ 協定の運営経費 個別 プログラ ムの運営経費 OECD関係 国連関係(委員会 、 機関等) 国連関係(専門機関 FAO,UNESCO,WHO 等) 国連関係(IAEA) その他の国際機関(HFSP) その他の国際機関(ISTC) その他の国際機関(支援委員会) その他の国際機関(国際農業研究協議Gr) そ の他の国際機関等 0 200 400 600 800 1,000 経費 (億円)   経費  (億円) 一般に国際機関への日本の拠出割合は大きいと言われているが、科学技術の分野でもそれは言える。しかしながら、このことに対する否定的な意見もある反面、有効な協力手段として活用されているケースもある。例えば、民間企業が国際共同研究を実施したい場合である。ISTCのケースをあげれば、政府側で科学技術協力の紹介の場を設けたことにより他国に新たな協力の芽を発見できる場合があったこと、政府が協力の糸口を切り開いてくれたこと、単独で実施するよりも安価でできること、明確な協力協定の下で安心感があること等の利点があるようである。しかし、実施における欠点としては、相手国にもよるが、政府間でのやり取りにある程度の時間がかかることや相手国のレスポンスの遅さ等があげられる。従来、政府予算における科学技術国際協力は、主に各省庁はもとより、各省庁に属するあるいは関係する機関(特殊法人や財団法人など)が実施機関として行われてきた面があるが、民間企業も国際協力を行うメリットを感じており、民間企業の国際協力への参加促進は我が国の科学技術の発展にとっても重要と思われる。国際機関等を通じた協力の一例からではあるが、民間企業の科学技術国際協力への参加手段として重要な手段である場合があるため、今後、政府は民間企業の参加を呼びかけることを促進していくべきであろう。 6. 協力対象国分類(分類V)による科学技術国際協力の特徴 6. 1協力対象国の分類結果 科学技術国際協力関係経費データを協力対象国との関係に着目して分類した結果を図 1-6-1に示す。大部分は多国間との協力に費やす経費であり、二国間協力の経費総額は全体の1割程度である。研究開発プログラムでは、国際機関等を通じた協力経費割合の大きさを反映して、「多国間協力」において先進国や発展途上国を問わず「各国」を対象とした協力経費が大部分を占める。宇宙/原子力の2大プロジェクトは、「先進国」との間で「多国間協力」に費やされる経費が大部分を占める。宇宙開発や原子力開発の主体は先進国との国際共同研究であり、特定分野の研究であるため、このような特徴が出てくるものと思われる。 図 1 - 6 - 1  科学技術国際 協 力の 形 態と 対 象国 746 13 216 37 1,500 5 338 1,070 1,000 229 500 52 0 54   経費  (億円) 科学技術国際協力の相手国を地域別に分類した結果を図 1-6-2に示す。多国間協力では複数国が対象国となるが、各国への経費割合の把握は不可能であるため、各国のそれぞれの地域への均等割(例えば 2地域にわたるものは経費の 1/2を 2地域に割当てる)で推計した。ここで、「特定なし」の項目は、研究協力テーマが特定の国に該当しないもの、もしくは特定できなかったもので、国際機関等への拠出金や分担金等機関を通じた協力や研究者交流の経費が多く含まれる。研究開発プログラムにおいては、アジア地域との協力割合が比較的大きい。各地域とも「国際共同研究・科学技術協力」が主であるが、アジア地域への「研究者交流」経費も多い。ロシアは支援金や拠出金が主である。宇宙/原子力の2大プロジェクトにおいては、この分野に参画している特定国となるため、米国、欧州が中心である。これより、研究開発プログラムはアジアを中心、宇宙/原子力分野は欧米中心という特徴がみられる。 図 1 - 6 - 2  科学技術国際 協 力対 象 国の 地 域別 分類 北米 中南米 欧州 ロシア アジア 中東 オセアニア ア フリカ 特定 なし   経費  (億円) 6.2発展途上国との科学技術国際協力 発展途上国のみを対象 とした科学技術国際協力図 1 - 6 - 3  科学技術国際 協 力関 係 経費 の 対象 国 割合 関係経費の割合は、図 1-6-3に示すように、科学各国 先進国 技術国際協力関係経費の40% 49% 1割程度である。この経費の半分は先進国が対象である。これは明確に先発展途上国 進国や発展途上国と分類11% できたものであり、「各国」に分類されたものの中には、先進国や発展途上国の区別なく各国を対象としているもの、また区別できないものを含んでいる。このため、「各国」に分類されたものを先進国と発展途上国とで半分ずつ折半すれば、発展途上国が関係する科学技術国際協力関係経費としては全体の2〜3割程度と推測することもできる。 図 1-6-4は、発展途上国を対象とした科学技術国際協力関係経費を地域別にみたものである。地域を特定しないもの、あるいは特定できないものに分類される「各国」が6割を占めている。これは二国間よりは多国間との科学技術国際協力関係経費が断然多いことによる。地域を分類できたものについてみれば、ほとんどはアジアとの協力である。 また図 1-6-5から、中東、オセアニア、アフリカとの二国間での科学技術国際協力関係経費はほとんどないが、アジアや南米との科学技術に関する二国間協力・協定はいくつかあるため、ある程度の比率を示しているとみることができる。しかし、各地域に分類できなかった「各国」の比率の大きさからすれば、発展途上国との協力の多くは多国間での協力である。 ここで、二国間協力の締結数を調べてみる。文部科学省の「国際交流パンフレット」[14]の科学技術・学術に関する国際協力の枠組み(p23)より、二国間協力について先進国と発展途上国とに分類してみると、図 1-6-6のようになる。二国間協力としては、科学技術協力協定や取極、覚書、そして協議、会合、会議と呼ばれるものがある。そしてこれらの中には、科学技術一般に   図 1 - 6 - 4  発展途上国と の 地域 別 協力 経 費割合 中南米 1.5% アジア 36.4% 各国 59.7% 中東 0.1% ア フリカ オセアニア 0.6% 1.7%   図 1 - 6 - 5  発展途上国と の 協力 枠 組み の 経費 比率 二国間 多国間 中南米 アジア 中東 オセアニア ア フリカ 0% 20% 40% 60% 80% 100% 図 1 - 6 - 6  科学技術・学 術 に関 す る二 国 間協 力 の締 結数 協定 取極 、 覚書 協議 ・ 会合 ・ 会議 0 5 10 15 20 25 30 35 締結数 [ 出典:国際交流パンフレット、 2001 年 5 月、 文部科学省 より、 科学技術・学術に関する国 際協力の枠組み ( p23) を基に作成 ] 関する協定等と、原子力、宇宙、環境といったそれぞれの特定分野における協定等がある。これらを図のように分類した結果、62件の協定等のうち、55件は先進国との二国間協力であり、発展途上国は7件となっている。これら発展途上国の内訳は、中国4件、インド1件、インドネシア1件、ブラジル1件である。アジア諸国から日本への科学技術国際協力の要請は多いと考えられる中、協定等が少なく感じられる。一例として原子力を取り上げれば、アジア各地でも開発が徐々に進行してきている中、ベトナムなどから日本に対する技術協力が強く望まれているところであるが、今のところアジア諸国に対する二国間原子力協力協定は、中国を除いて締結されていないと言われている[17]。国際機関を通じた多国間協力も重要であることは当然のことながら、二国間協力の観点からも発展途上国との協力促進のしくみが検討されるべきである。 図 1-6-7は、発展途上国を対象とした科学技術国際協力関係経費を協力形態別にみたものである。多くは「国際機関等を通じた協力」経費であるため多国間との協力である。二国間との協力においては、「国際共同研究・科学技術協力」経費がほとんどである。発展途上国を対象にした「研究者交流」経費は1割程度であるが、各種の研究者交流制度などはその対象が各国となる場合が多いことから発展途上国を限定したものでないため、ここでは除かれていることに注意を要する。いずれにせよ、明確に発展途上国を対象にした協力テーマ間で比較する限り、政府開発援助などを主とした国際機関等への拠出金や分担金といった資金提供が主たる協力形態といえる。   図 1 - 6 - 7  発展途上国と の 科学 技 術国 際 協力 の 形態 1.1.国際共同研究国際共同研究・ 科学技術協力 2.2.国際機関等国際機関等を 通 じ た 協力 3.3.研究者交流研究者交流   経費  (億円) 発展途上国との協力を研究分野でみれば、前出図 1-6-1に示されるように、ほとんどは研究開発プログラム関係の協力経費であり、宇宙/原子力関係の協力経費は非常に少ない。ここではさらに、これら先進国、発展途上国、各国を対象とした科学技術国際協力の研究分野による分類を行った。図 1-6-8の結果から、発展途上国に着目してみれば、先進国との科学技術国際協力関係経費では宇宙開発に代表される「フロンティア」が 37%と大きいのに対し、発展途上国では「ライフサイエンス」が 38%と大きな割合を占める。またこの「ライフサイエンス」は、「農業科学」関係に分類されるものが多く、農業関係の協力経費が 44%を占める。次いで大きいのは地球・環境、エネルギー、製造技術の協力経費であり、医学や社会科学分野での協力経費は非常に少ない。   図 1 - 6 - 8  先進国と発展 途 上国 と の科 学 技術 国 際協 力 関係 経 費に お ける 研 究分 野 の比較 科学技 術 基本 計 画重 点 分野 に 基づ く 分類 1.ライフサイエンス 2.情報・通信 3.地球・環境 4.物質・材料 5.エネルギー 6.製造技術 7.社会基盤 8.フロンティア 9.その他 先進国 開発途上国 各国 FRA SCATI MANUAL に基づく分類 1.自然科学 2.工学・技術 3.医学 4.農業科学 5.社会科学 6.人文科学 9.その他 先進国 開発途上国 各国 海外経済協力基金(OECF)と国際協力事業団(JICA)が 1996年に実施した「21世紀の諸問題と開発援助に関する途上国有識者意識調査」[18]がある。この調査は、発展途上国 50ヶ国の有識者(政府関係者、民間企業幹部、大学教授、ジャーナリスト等)を対象に、発展途上国の問題と将来の期待について、当時と 2000年代の近未来を予測した意識調査である。本研究で収集した経費データは意識調査時点より 3、4年経過した時点ではあるが、途中経過として発展途上国との科学技術国際協力のあり方が評価できる。この調査によれば、将来発展途上国問題の状況予測としては、「経済インフラ不足」、「食料需給・飢餓」、「保健・衛生」、「エネルギー問題」などは改善されるが、「都市への一極集中」や「環境破壊」などは深刻になるとの結果がある(図 1-6-9参照)。また、発展途上国が将来望む先進国からの援助の必要性として、「エネルギー問題」、「経済インフラ不足」、「保健・衛生」、「環境破壊」、食料需給・飢餓」問題などに認識が強く、発展途上国の9割は日本の援助へ大きな期待を寄せている。このような意識調査を踏まえれば、農業関係の協力が大きなウェイトを占めていることは、食料問題に協力し、貢献してきたといえる。また、次いで協力経費の大きい「地球・環境」、「エネルギー」、「製造技術」分野の協力においても、必要としている援助の強い要望分野に合致しており、ニーズに応えるべく協力経費配分がなされていると見ることができる。 図 1 - 6 - 9  開発途上国問 題 の状 況 予測 [ 出典: 「 OE CF, J ICA による途上国アンケート調査」、 OE CF ニューズ     レター、 No.45 、 pp9 - 15 、 1996.12   より抜粋 ] 6.3アジアとの科学技術国際協力 我が国の発展途上国との科学技術国際協力において、主たる協力相手国はアジア諸国であり、日本においてアジア地域との協力は重要であることからアジア地域の発展途上国に焦点を当てた分析を行った。研究分野の分類でみれば、図 1-6-10に示すように、「地球・環境」や「エネルギー」分野の協力比率が大きく、「自然科学」や「工学・技術」分野に属する協力となっている。前出の意識調査[18]によれば、アジアでは、今後の重点援助分野として8割が「環境保全」の分野としており、最も重視している。将来の環境問題を重要視するアジアに対して、「地球・環境」の分野が 31.5%と大きな協力経費比率であることは、そのニーズに応えるべく協力経費配分がなされていると見ることができる。さらに、先進国からの援助の必要性を最も望むとされているエネルギー問題についても、協力経費比率は 26.1%と大きい。ここで、発展途上国全体としては、農業関係の協力比率が大きかったのに対し、アジア地域に限定すれば、環境やエネルギーの比率が高いことに関しては、農業関係の協力経費は大きいにもかかわらず、協力テーマは地域を特定しない、あるいは特定できないものであったためこれらが除外されているからである。しかし、確かに発展途上国は農業関係の国際協力経費が大きいものの、アジアを対象とした国際協力分野は環境やエネルギーが大きい割合を占めていることは明らかである。アジアを中心とした発展途上国のエネルギー問題、環境問題などは、地球規模問題の解決にとっても重要な役割を占めるため、今後も積極的な国際協力が必要な分野であろう。   図 1 - 6 - 10  アジア地 域 の発 展 途上 国 との 科 学技 術 国際 協 力関 係 経費 に おけ る 研究 分野 8.8.フロンテ ィア 9. そ の他 1. ライフ サ イエンス 5.社会科学 6.人文科学 5.5.4%4%10.4% 3.7% 2.情報 ・ 通信 0.0% 0.0%9. その他 1.自然科学 7.7.社会基盤社会基盤 4.6%4.6%3.地球 ・ 環境 4.農業科学 12.7%39.3% 31.5% 3.5% 1.8% 3.3.医学医学 0.6% 6.6.製造技術製造技術 16.4% 2.2.工学工学・ 4.4.物質物質・ 材料 43.9% 5.5.エネ ルギー 0.1% 26.1% 7. まとめ 本章では、日本における科学技術国際協力の現状を分析するため、政府予算をベースとしたデータ収集を行い、経費の推計、研究分野の分類等の分析を行った。そして提案したいくつかの分野分類を軸として、いくつかの観点から科学技術国際協力の実情を把握することを試みた。主たる分類結果から、抽象的、定性的ではあるが我が国の科学技術国際協力経費に基づく国際協力形態を二次元平面にマッピングすれば、図 1-7-1のように描かれる。 図1-7-1 我が国の科学技術国際協力関係経費に基づく国際協力形態のマッピング この結果、経費分析から得られた知見は以下の通りである。 ・ 我が国の科学技術国際協力関係経費の総額は、科学技術関係経費の約 9%弱である。 ・ 国際共同研究等の研究開発課題や国際機関等への資金協力経費は、1件あたり数千万円程度の予算規模が最も多い。 ・ 我が国の科学技術国際協力関係経費の多くは多国間協力に当てられ、二国間協力に費やされるものは少ない。 ・ 科学技術国際協力関係経費全体のうち、宇宙/原子力関係のプロジェクト経費が約 1/3を占め、ほとんどは国際共同研究・科学技術協力経費である。宇宙/原子力を除く一般 の研究開発プログラムは、そのうちの半分は国際機関等への拠出金や分担金といった国 際機関等を通じた協力経費で占める。 ・ 科学技術国際協力の研究分野は、工学・技術の分野に属するものが半分を占める。宇宙/原子力分野は欧米先進国と多国間協力で工学・技術の分野が主体となる。一般の研究開発プログラムは、アジアを中心とした各国との協力で自然科学・農学・医学の分野も多い。 ・ 研究者交流経費は、科学技術国際協力関係経費の1割程度であるが、アジア、欧州の順に多く、この経費分析結果(経費)と交流数実績結果(人数)との間に相関がみられた。 ・ 発展途上国との科学技術国際協力関係経費の多くは政府開発援助などを主とした国際機関等への拠出金や分担金といった資金提供が主たる協力形態であり、ほとんどはアジア地域との協力である。また協力分野は、農業関係、地球・環境、エネルギー、製造技術の分野が多い。これは、近未来を予測した発展途上国の意識調査において、発展途上国が先進国へ援助を希望する分野に合致している。 また、経費分析から得られた含意、課題等は以下の通りである。 ・ 科学技術国際協力は、近年、科学研究費の取り扱いの変更にも見られるように国際共同研究のみを特別に取り上げず、一般の共同研究の中で扱われるようになってきた傾向があり、予算上も明確に区別して見られなくなりつつある。 ・ 国際機関等を通じた協力の一例から、民間企業の国際協力への参加手段として重要となる場合がある。民間企業の国際協力への参加促進は我が国の科学技術の発展にとっても重要と思われ、今後政府は民間企業の参加を呼びかけることを促進していくべきである。 ・ 研究者交流の中ではアジア地域との交流が最も多い。特定分野での交流や研修制度が設けられているケースが見受けられる。他の地域についても、具体的な研究課題や研修・教育での交流制度が積極的に展開されるようになれば、双方の目的が明確な中身の濃い交流として活性化されるのではないだろうか。 ・ 発展途上国との二国間協力の締結数は先進国との二国間協力の締結数に比べずっと少ない。国際機関等を通じた多国間協力も重要であることは当然のことながら、二国間協力の観点からも発展途上国との協力促進のしくみが検討されるべきである。 ・ アジアを対象とした科学技術国際協力関係経費は、環境やエネルギーの分野が大きい割合を占めていた。アジアを中心とした発展途上国のエネルギー問題、環境問題などは、地球規模問題の解決にとっても重要な役割を占めるため、今後も積極的な国際協力が必要な分野と考える。 参考文献(出現順) [1]川崎弘嗣、小林信一、「科学技術国際協力に関する現状の分析」、研究・技術計画学会第 17回年次学術大会・講演要旨集、pp.137-140、2002.10 [2]平成12年度予算における科学技術関係経費、平成12年3月、科学技術庁科学技術政策局 [3]平成13年度科学技術に関する経費の見積もり方針の調整意見書、平成12年10月、科学技術庁 [4]補助金総覧、平成11年版、財政調査会 [5]補助金総覧、平成12年版、財政調査会 [6]文部省科学研究費補助金採択課題・公募審査要覧平成 10年版、科学研究費研究会 [7]文部省科学研究費補助金採択課題・公募審査要覧平成 11年版、科学研究費研究会 [8]文部省科学研究費補助金採択課題・公募審査要覧平成 12年版、科学研究費研究会 [9]科学技術白書平成 10年版、科学技術庁 [10]科学技術白書平成 11年版、科学技術庁 [11]科学技術白書平成 12年版、科学技術庁 [12]科学技術白書平成 13年版、文部科学省 [13]国際科学技術協力ハンドブック 1999年版、財団法人吉田科学技術財団 [14]国際交流パンフレット、2001年5月、文部科学省 [15]平成14年度科学技術の振興に関する年次報告、文部科学省 [16]「科学技術・学術活動の国際化推進方策について」、平成 15年 1月、科学技術・学術審議会国際化推進委員会 [17]日本原子力学会、2003年春の年会要旨集、pp講 14-17、2003.3 [18]「OECF, JICAによる途上国アンケート調査」、 OECFニューズレター、No.45、pp9-15、 1996.12 第2章科学技術国際協力プログラムの事例調査 第2章科学技術国際協力プログラムの事例調査 1.事例の選定川崎弘嗣 1.1選定の背景 本章では、科学技術国際協力の実施の面からの分析として事例研究を行い、これまで実施されてきたいくつかの科学技術国際協力プログラムについて、ヒアリング調査を実施し、プログラムの開始から運営に至るプロセスでの含意、課題などを検討した結果を述べる。 本科学技術国際協力に関する調査は、OECDのグローバル・サイエンス・フォーラム(GSF)の一つの活動と関連づけられた。これは、過去の国際科学協力プログラムを調査することにより、将来の国際協力プログラムを計画、実施していくための教訓を導き出すことを目的とした「国際科学技術協力調査( Study on International Scientific Co-operation)」 (以下 GSF研究と呼ぶ)と呼ばれる研究活動である。 この GSF研究は、科学技術に関する国際協力を円滑に進めるためのベスト・プラクティスについての分析を行うため、2000年6月にカナダ、オーストラリア、スペイン、日本の4カ国で共同提案された。その後フィンランドが参画し、 2001年には韓国が研究に加わった。日本国内では、文部科学省を事務局として科学技術政策研究所や大学等から日本側調査活動グループが組織され、2001年 10月から本調査活動が本格的に開始された。 GSF研究で取り上げた科学技術国際協力プログラムのタイプは、次の3つの分野を含むことが重要であるとされた。すなわち、「多国間における国際協力プログラムの創設及びマネジメント」、「大規模集中型研究施設の立案、建設及び実施」、「大規模データベースの創設、リンク及びメンテナンス」の科学技術国際協力プログラムに焦点を当てている。このため、過去や現在の成功した国際協力プログラムを分析し、そこから教訓を得るため、 Linking Effectively: Lessons Learned from International Collaboration in S&T (RAND)研究、Global Systems and Policy and Policy Design for the European Research Area (GLOSPERA)研究のような先行している既存研究を踏まえて国際比較を行うこととされた。これらの研究を実施するにあたっては、主に Human Frontier Science Program (HFSP)、 Human Genome Project (HGP)、 Intelligent Manufacturing Systems (IMS)、 Intergovernmental Panel on Climate Change (IPCC)の4つの国際協力プログラムを事例調査として取り上げることとされた。また、高エネルギー物理、ニューロインフォマティクスのような国際科学協力に関する他の GSFの活動や、Global Biodiversity Information Facility (GBIF)のような GSF以外の活動にも焦点があてられた。本調査活動は、 2003年 2月東京にて、我が国のホストにより「科学技術国際協力におけるベスト・プラクティスに関するワークショップ」(Workshop on Best Practices in International Scientific Cooperation) を開催し、その報告書は3年間に渡る本活動のまとめの報告書 1として作成され、本活動は 終了した。 本研究は、このようなGSF研究の日本側調査活動にも協力してきたため、各事例調査は、日本側調査研究のベースデータともなっているもので、以降の各節はこのベースデータの範囲でまとめた。このような経緯から、事例調査としては GSF研究にならって、ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)、インテリジェント・マニュファクチャリング・システム(IMS)、ヒューマン(ヒト)・ゲノム・プロジェクト(HGP)、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)、高エネルギー物理(HEP)の5つを取り上げた。そして、国際協力プログラムとしての設立過程から実施に至るまでの状況を調査し、知見や課題を抽出した。 1.2 事例調査の対象とした科学技術国際協力プログラムの経費 ここで、対象としている5つの科学技術国際協力プログラム(HFSP、HGP、IMS、IPCC、 HEP)について、第1章で作成した平成11年度データを基に集計した経費を図2-1-1に示す。これらの総額は、平成 11年度で約 46億円であり、科学技術国際協力関係経費の 2.6%、研究開発プログラム経費の 1.7%である。HFSPはほとんどが政府予算からの拠出金であるが、意外なことに、他の4つのプログラムないしはプロジェクトは、政府予算項目としての明確な予算計上はほとんどみられないか、計上されていても金額は非常に少ない。各プログラムの進行過程の中で何年度目のどのような時期に当たるかによっても当該年度予算が異なると思われるが、プログラムの項目としてほとんど現れてきていないということは、実施機関レベルの実施予算の中で運用されている可能性がある。 図 2 - 1 - 1  事例調査の 対 象 とし た 科学 技 術国 際 協力 プ ログ ラ ムの 経費            ( 平成 11 年度 政 府予 算 から の 抽出 に よる )   経費  (百万円) 6,000 5,000 4,000 3,000 2,000 1,000 0 合計 HFSP HGP IMS IPCC HEP 1 http://www.oecd.org/dataoecd/47/32/3700815.pdf 2.ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)林隆之 2.1プログラムの概要 ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム (HFSP)は、 1989年に設立され、現在、日本、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、 EUが加盟している国際的な研究助成プログラムである。HFSPは日本が 1987年の G7サミットにおいて正式に設立の提案をしたものであり、設立後も予算のほとんどを日本が負担してきた。この点において、HFSPは日本により主導されてきた国際共同研究プログラムであると言える。 HFSPは設立から 2000年までの約 10年間は、「脳機能の解明」と「生体機能の分子論的アプローチの解明」の二つの学際的な分野における基礎研究を対象に、研究グラント、フェローシップ、ワークショップ支援という 3つの事業を展開してきた。研究グラント事業とは少なくとも 2カ国の研究者による国際共同研究チームへの 3年間のグラントであり、フェローシップ事業とは他国の研究機関において研究を行おうとする研究者への2年間(長期フェローシップ)あるいは 3ヶ月(短期フェローシップ)の助成である。2002事業年度からは、助成対象の 2つの分野は 1つに統合され、また、グラント事業をプログラムグラントと若手研究グラントとに 2区分するなどの変更が行われている。 HFSPはこれまで 10年以上維持されてきたという実績や、2000年までに 5名のグラント被授与者がノーベル賞を受賞したという事実において、「成功している」国際共同研究プログラムの一つと見られている。では、そのような「成功している」プログラムはいかなる段階を経て、提案から実施へと展開することができたのであろうか。また、その過程でいかなる問題が生じ、克服されたのであろうか。以下では、 HFSP設立の歴史的展開を分析する。 2.2 HFSP設立の歴史的展開 (1)課題設定とプログラム素案の形成 後に HFSP設立に至る最初の問題意識が表明されたのは、 1985年の中曽根首相(当時)の私的諮問委員会などにおいてであった。そこで認識されていた問題は、当時の貿易摩擦や技術摩擦への対応として、日本が進んで国際公共財を世界に提供する必要性であった。また、米国の戦略防衛構想( SDI)では西側各国との協力が模索され、欧州でもユーレカ計画や ESPRITなど国際共同研究開発プログラムが設立する中で、日本も「何かをしなければならない」という思いもあったという [13]。そのため、委員会では新たな技術開発の国際機構の設立を発案した。 これを受け、1985年 9月に通産省工業技術院では工業技術院長の諮問委員会「技術と国際交流に関する研究会」(座長:石坂誠一元工業技術院長)で議論を開始し、1986年 2月発表の報告書「 21世紀に向けた技術開発と国際交流のあり方」(石坂レポート)において「ヒューマン・フロンティア・プログラム」を提唱した。その内容は、人口増加・資源枯渇などへの対処を目的に、生体機能を解明してその工学的応用を実現するための基礎研究を国際共同で行うという、応用面を意識した目的基礎研究のプログラムであった。一方、科学技術庁では地球科学も含む「ヒューマン・アンド・アース・サイエンス・プログラム」を同時期に提唱した。 2省庁からのこれら提案を受けて、1986年 5月 27日の科学技術会議においてプログラムの推進が示され、同会議政策委員会(委員長:岡本道雄科学技術会議議員)が責任機関となり、 2つの提案を生体機能を対象とする基礎科学重視のプログラムとして一本化することになった。また、関係省庁の連絡会議を設けて国内政府間でのコンセンサス形成をはかることになった。1986年 12月からは科学技術振興調整費において国内の科学者による「フィージビリティ・スタディ (FS)」が開始された。フィージビリティ・スタディでは翌 1987年 3月までに計 7回会議が開催され、物理学、医学、生理学、農芸化学、応用化学、電子工学、機械工学などの多分野の専門家が委員となり、また国内外の科学者にアンケート調査やヒアリング調査を行うなどして、具体的に研究テーマやプログラムの事業内容を検討した。 1987年 3月に刊行されたフィージビリティ・スタディの報告書にはいくつかの特徴的内容が示されている[1],[2]。先述のように、プログラム提案の背景には貿易摩擦や技術摩擦への対応があり、さらには当時次第に日本の「基礎研究ただ乗り」が他国から批判され始めており、それへの対応も求められるようになりつつあった。だが、その一方で報告書は「我が国は、遺伝、微生物等の応用分野を中心にかなりの研究水準にあると言われている。また、今後、例えば高度で複雑な脳の機能を解明するための重要なアプローチの一つであると同時に、生体機能の解明を支援する技術として重要であるエレクトロニクス、コンピュータサイエンス等他の先端分野でも高いポテンシャルを有している。従って、我が国はこういった面から、生体機能の解明に向けて大きく貢献することのできる十分な素地を有している」と述べ、日本側の強みである工学分野からの生体機能の新たなアプローチを提案する。また、「我が国はものごとを全体として総合的に捉えようとする考え方が古来から一つの思想として続いている。この総合化の方向は、西欧がここ数百年精力的に取り組んできた分析的、還元主義的なアプローチを補完するものとして、今日欧米からも注目されており、それはまた先に述べた高次レベルからのアプローチの考え方に通じるものがある」として、「日本的な」研究アプローチを強調している。このように本プログラムの提案は、諸外国からの批判への対応を発端とはしたものの、単に世界の基礎研究へ日本が資金提供を行うことや、欧米と全く同様の研究を日本でこれまで以上に実施することを目指したものではない。日本固有の強みであるエレクトロニクス分野からの生体機能解明への貢献や、総合的アプローチ、あるいは「科学と技術の融合」など、これまで西欧で形成されてきた科学に対して、日本から新たな方向性を打ち出そうとする積極的な意味づけをも持ってい たのである。このような概念は、HFSPの基本理念の一つである「学際性」へと制度設計 されていく。だが、後に述べるように他国から様々な反応を受けることになった。 本フィージビリティ・スタディではより具体的な重点研究領域について、フィージビリティ・スタディの下部に情報変換ワーキンググループと物質・エネルギー変換ワーキンググループの 2つを設けて検討し、「当面の重点分野」として 7つの領域を設定した。これらが後に、「脳機能の解明」と「生体機能の分子論的アプローチの解明」というタイトルのもとで整理されていく。 (2)プログラム案の国際的コンセンサスの形成と詳細設計 この国内フィージビリティ・スタディによるプログラム案を基にして、次に各国への交渉へと展開した。まずは 1987年 4月に各国の著名な科学者を集めたロンドン賢人会議が開催された。ここには 17名の著名な科学者が集い、プログラム案の説明と議論がなされた。最後にはプログラム設立が必要であることが同意され、サミット各国首脳にプログラムを支持することを要望する「ロンドン・アピール」を表明した。このように、HFSPでは政府レベルよりも先に科学者レベルでのコンセンサス形成を行うことがこの後の展開でも見られる。 ロンドン賢人会議の 2ヶ月後の 1987年 6月、ベネチア G7サミットにおいて、中曽根首相がプログラムの提唱を正式に行った。その結果、「ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラムについての日本のイニシアティブを歓迎し、今後、フィージビリティ・スタディが継続されることに留意し、その進展について今後とも報告を受けることを希望する」という一文が経済宣言の中に盛り込まれることになった。このような国際政治のトップレベル会合において HFSPを正式に議題の一つとして取り上げてもらうことは、その後のプログラム設計において各国の政府や科学者の参加を得る上で、極めて重要な意味を有するものである。そのため、そもそもこのサミットで取り上げてもらうための事前の折衝が大変であったという[8]。 この G7サミットを受けて、次にプログラムの内容を詰める「国際フィージビリティ・スタディ」へと展開する。国際フィージビリティ・スタディには日本、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、 ECから各国 3〜8名参加しており、多くは科学者であり、科学技術担当省庁の行政官が各国 1名程度加わっている。国際フィージビリティ・スタディでは、プログラムによってカバーされる活動の内容、その実施システム、研究成果の取り扱い、重要な研究分野について議論が行われた。特に 1986年の国内フィージビリティ・スタディでは重要研究分野の設定に焦点がおかれていたのに対し、この国際フィージビリティ・スタディでは実施システムと内容について、日本および海外の研究推進スキームや海外の研究者のサーベイをもとに議論を行った [5], [6]。また、同 1987年 10月には日仏合同討議が開催され、日本が提案した研究分野は日本での予算要求額 6億円と比して広すぎることなどが仏国から指摘されている[4]。 1987年の国際フィージビリティ・スタディの結果は再び賢人会議( 1988年4月、ボン)を開いて、科学者レベルで議論された。それを踏まえて 6月のトロントサミットで政府レベルにおける進捗報告がなされた。 翌 1988年にはさらに、「国際科学者会議」が開かれプログラムで支援する重点分野・事業内容・審査体制が検討された [7]。これらと並行的に、日本からは各国政府関係者へ公式・非公式に接触しフィージビリティ・スタディ案などを説明して回ったが、資金面での協力合意にはなかなか結びつかなかった。 1989年 1月にそれまで不確定であった日本の拠出金が 24億円(通産省 9億円、科技庁 15億円)と正式決定したことにより、この財政的裏付けを持って、より精力的に政府間の折衝が行われた。日本は事業内容、運営方法、実施機構についての日本政府提案を作成し、 1989年 6月に東京で、7月に西ベルリンで政府間会合を開催した。そこで、プログラムの実施枠組み、運営を行う法人である国際 HFSP推進機構を日本ではなく欧州の仏国ストラスブールにおくこと、評議員会議長、科学者会議長、事務局長を日・米・欧(英)でバランス良く選定することを決定したことで、ようやく 3年間の試行フェーズを実施することに最終合意を得た [29]。これにより、 HFSPが動き始めることになる。 (3)プログラムの実施 HFSPの実施組織である国際 HFSP推進機構の構成は、各国政府代表者などからなる評議員会、研究者からなる科学者会議、事務局の 3組織体制となっている。実際のグラントやフェローシップの採択については、科学者会議の下に審査委員会が置かれ、厳正なるピアレビューにより配分先を決定する方式をとっている[28]。このピアレビュー方式の確立には米国の NSFや NIHの方法を参照したという。また、プロジェクトは最終報告書の提出などは行うが、事後評価は行わず、それよりも事前評価に重点をおいたプログラム運営をとっている。また、配分された資金の使途が拘束されないことや、年度を超えた利用が可能である点でフレキシビリティが高く、実際にプロジェクトに参加した研究者からも高く評価されている。このように組織体制や実施において科学者共同体が主体的な機能を担っていることは HFSPの特徴と言える。 3年間のテストフェーズが終了するとともにレビューが行われた。レビューはグラント、フェローシップ被授与者や各会議の委員へのサーベイやビブリオメトリクス分析を行い、 HFSPの他プログラムからの特異性や科学者側の使いやすさ、引用数などから見る研究結果の質の高さを示している[27]。1996年にレビューは終了し、その結果をもとにさらに 5年間の延長と 2001年に再びレビューを実施することが決定された。2001年のレビューにおいても HFSPの有効性を認め[31]、2002年にはさらなる 5年間の延長を決定している。 表 2-2-1 HFSP設立の展開 主な動き 1985 9 通産省工業技術院長諮問機関「技術と国際交流に関する研究会」 1986 22455812 通産省「21世紀に向けた技術開発と国際交流の在り方」(石坂レポート) 科技庁「ヒューマン・アンド・アース・サイエンス・プログラム」提唱 通産省「国際協調のための経済構造調整研究会」報告で支持 通産省産業構造審議会企画小委員会「21世紀産業社会の基本構想」で支持 科学技術会議政策委員会 第 1回関係省庁連絡会(通産、科技庁、外務、文部、厚生、農水、郵政) 国内フィージビリティ・スタディ(〜1987年 3月) 1987 4611 ロンドン賢人会議(第 1回) ベネチア・サミットにおける提唱 国際フィージビリティ・スタディ(〜 1988年3月) 1988 4611 ボン賢人会議(第 2回) トロント・サミットにおける国際フィージビリティ・スタディの結果の報告 国際科学者会議により更なる議論 1989 6,78101112 国際政府間会合(6月東京、7月ベルリン)。 3年間のテストフェーズに合意 公募開始(nature, scienceなどに広告) 仏国ストラスブールに HFSP機構が設立 第1回評議員会 第1回科学者会議 1990 33 第一回目のグラント 大阪賢人会議(第 3回) 1992 6〜9 国際政府間会合(東京) Nature誌上での論争記事レビューの実施を決定(1996年に終了) 1993 3 事務局長に Prof. Michel Cuenod就任 1996 レビュー終了。リヨンサミットにおいて HFSPの成果を承認 http://www.hfsp.org/pubs/reports/Review1996_summary.pdf 1997 5 国際政府間会合(ワシントン D.C.) HFSPの 5年間延長および 2001年のレビューを決定 2000 事務局長に Prof. Torsten Wiesel就任 2001 第二回レビューを公表 http://www.hfsp.org/pubs/reports/Review2001_full.pdf 2002 6 国際政府間会合(ベルリン)5年間の延長 2.3設立・実施過程で生じた問題 HFSPは日本からの提案を基に展開したが、その中では幾つかの問題が生じた。 (1)各国政府における国際共同の必要性の非共有と疑念 一つはそもそも国際共同研究のためのプログラムを新たに設立しなければいけない「必要性」が、特に初期において、他国の政府には共有されにくかったことである。日本においては、HFSPを設立して国際的に基礎研究へ資金拠出を行うことで、技術摩擦や基礎研究ただ乗り批判への応答となることが目指されていた。しかし、これ自体は日本の政府にとっては重要であっても他国政府にとってはプログラム設立を積極的に支援する理由とはならない。原理的には、他国政府にとってのプログラム設立や参加へのインセンティブは、自らが拠出すべき基礎研究資金を日本が代わりに拠出してくれること、ならびに、これまで各国で個別的に行われた研究行為が適切な国際的組み合わせで行われることにより発展の効率性が増すということである。だが実際には、これらインセンティブ以上に、日本が資金を拠出して世界中の研究者を搾取しようとしているのではという疑念の方が大きかった。特に、通産省が設立に関与していることや、当初の通産省の計画では研究を支援するための先導的な技術開発(例えば生体機能無浸襲計測技術や超ミクロマニピュレーション技術)にも重点がおかれた計画であったため、日本の技術開発戦略に基づいて優先分野設定がなされているのではないかという疑念もあった。同時に、学術研究を所管する文部省が資金拠出の姿勢を示していないことにも疑問の声も出た[9]。このように、プログラム設立の必要性や各国のメリットが明確ではなく、逆に疑念が大きかったために、政府間の交渉は長い月日をかけて行われる必要が生じた。 他方で、各国の科学者レベルにおいては、具体的な研究内容の設定を除いては、プログラム設立は概ね好意的に受け取られた。そもそも、知識産出のみを目的とする科学研究の多くでは、知識は普遍性を有するために国境によって活動が区分される必要はない。研究実施に必要な知識やスキルや研究資源を持った研究者は、必要であれば国境に関係なく最適な組み合わせを形成して補完しあうことで研究活動を一層進展させることができる。研究者にとっては、HFSPが設立され、特別な資金が提供されることによって、そのような最適な組み合わせによる研究活動が支援される可能性が増すことになる。科学者レベルではこのようにプログラム設立の必要性が明確であった。そのため、 HFSPの設立過程では、科学者が賢人会議などを通して各国政府に HFSP設立支援を訴えるという展開が随所で見られることになった。 他国政府の疑念を解消するために、プログラムは、自国の研究者の成果が日本に搾取されるのを防ぐことを保証するような制度設計になる必要があった。それは、各国の科学者による厳正なピアレビュー制度の導入、研究結果の公開原則、事務局の日本以外への設置、各役職の人選における地域バランスの確保、 3年間の試行期間とその後のレビューなどで具体化された。これにより、日本が優位な立場になることを防ぎ、また具体的な実施レベルではピアレビューや公開原則による科学者主導の体制を築くことで、純粋な科学プログラムとして次第に受け入れられるようになった。 (2)各国からの資金提供の不足 上記の問題のもう一つの側面として、日本以外の国からの研究費の分担金の割合の低さが問題として挙げられる。図 2-2-1に示すように HFSPはその設立以来、日本がほとんどの資金を拠出してきた。第 3回政府間会合では日本の拠出割合を半分とすることが目標とされたが、2001年度に 図2-2-1 日本および他国のHFSPへの資金拠出の推移 おいても日本は依然と して 74.5%の資金を拠 百万ドル 60 50 出している。一方で、資 40 金配分先についてはピ 30 アレビューにより(国際 20 共同である限り)国籍は 10 考慮しないで採択され 0 るため、1990-2001年の 1989199019911992199319941995199619971998199920002001 グラント授与者のうち 年 日本人はわずか 16%のみである。この比から見ても、日本の拠出額は極めて大きい。 上述のようにリスクを防ぐ制度設計を行うことで、各国政府の参加への障害は解消された。だが、各国の資金提供額と各国が得る利益の大きさは無関係であり、各国が資金提供を進んで行う設計はなされていない。そのため、事実上、このプログラムは設立から 10年経過しても日本の国際貢献によって現在の財政規模を維持しえているのであり、いまだに利益と貢献のバランスが確立されたものとはなっていない問題をかかえている。 (3) プログラムの分野設定 各国科学者の間ではプログラム設立は概ね好意的であった。しかし、プログラムの中で実施すべき研究内容や重点分野については、各国の研究者の間で様々な議論が生じた。これは、上述のような日本的な科学観に基づく新たな研究方向への疑問である。日本の研究者は「 HFSPの目的は真実の自然の性質を理解するために全ての分野の研究者を支援することにある」として、独自の学会やジャーナルを有するポピュラーな分野(分子生物学、免疫学、発生生物学など)は意識的に除かれた。また、和田氏は初期の議論において「なぜ生物か、なぜ人間か」という大きな問題に挑戦しようということになり、前者が「生体機能の分子論的アプローチの解明」、後者が「脳機能の解明」になったと後に説明している [15]。 それに対して、他国からは、「提案国の日本の実力を考えれば野心的な一般的なものとせず、欧米で十分手のまわらなかった熱帯病、植物の多様性、公害処理の 3分野に絞るべき」「乏しい研究費で全てを実施するのは難しい。もっと課題を絞るべきだ」「エイズ問題が大きくなったのでエイズ研究に集中しては」「既存のプログラムとの差異化が必要」という意見が交渉の過程で出された[3], [4], [8], [9], [13]。 このような HFSPの基本理念の一つである学際性に関する衝突は 3年間の試験フェーズにも生じた。これは科学アドバイザーの一人であった和田昭允氏が Natureへ投稿したレター[17]で顕在化した。この衝突は、より伝統的な生物学分野へと助成対象を絞ろうとする事務局長 J. Gowans氏(元・英国医学研究会議事務総長)と、学際性を基本理念とする日本人委員との間の対立であった [18]−[23], [26]。1991年 3月の科学者会議において、申請数が多すぎて採択率が低いことやレビューに多くの時間がかかることから、プログラムを細胞生物学や発生生物学のような伝統的な分野に限定することが提案された。日本人などから反対意見が表明されたが、科学者会議長の J.E. Rall氏(米国 NIH副所長)と事務局長 Gowans氏は会議で承認されたと評議員会に報告した。そのため、 Gowans氏に対して日本人スタッフや日本人の科学者カウンシルメンバーは、プログラムを 1989年に設立したときの基本理念である「学際性 interdisciplinarity」原則を壊すものであると反対意見を述べた。日本人側が主張する「学際性」とは、物理、科学、数学、生物といった分野の相互作用を意味するものであった。しかし Gowans氏は「学際性」は生物学内部での細胞生物学や発生生物学などの間での学際性であると説明した。このような学際性の解釈の違いは実際の運営にも現れており、事実、採択者の 9割が基礎医学と生物学を専攻する者であるという「明らかに学際性を標榜する HFSPの哲学に反する」状態であり、それは審査委員会の構成が生物学へ偏っているからだという意見もあった[16]。日本側は研究内容を少数の確立された生物学分野に限定することで、国際的・学際的共同の可能性を減少させることを危惧していた。 この衝突は結果的に Gowans氏が任期満了で退任したことで終結し、当初プログラム設立の理念が保たれた形となった。しかし、この議論が生じた理由の一つには、初代事務局長の Gowans氏は国際フィージビリティ・スタディには参加しておらず、理念の共有がなされていなかったことが挙げられる。さらに、「日本的な科学観に基づく研究」は HFSP資金のほとんどを日本が拠出していることによりそれまで是認されていたが、たとえ額は少なくとも次第に他国も資金を拠出するようになると他国の意向は顕在化することになる。さらに、日本側の有する大きな理念を達成するほどには、十分な資金総額が HFSPにはないという問題は、常にプログラムの設立時点の理念への挑戦を誘発するものとなっている。和田氏は変更を全て否定するのではなく、フィージビリティ・スタディにおいて議論したのと同じ程度の時間をかけて議論をするべきだと述べている[19]。 (4)HFSPによる共同研究の誘因効果 国際共同研究を推進す るプログラムである以上、 30 図2-2-2 プロジェクトを構成するグループ数(1992-94年) その中で行われる研究活 ) 25計 動が実際にどのような連 合 203年間 携関係を形成して行われ たかは、プログラム目的 15(の数 の達成という点から問題 10ェクト になる。ここでは 1992〜 5プロジ 94年に開始されたグラ 0 2 3 4 5 6 7 8 910以上プロジェクトを構成するグループ数 ントのプロジェクトを対象に見てみよう。 図 2-2-2は 1つのプロジェクトを構成するグループ数を示したものである。分子生物学では 3〜4という比較的少数のグループで構成される傾向が強く、3年間のプロジェクト数も 77である。これに対し、脳研究は 5グループ以上という多数のグループにより構成される比較的大きなプロジェクトが半数以上を占めるが、3年間で採択された数は 42プロジェクトのみである。採択数の違いは応募数の違いを反映したものである。このことは、脳研究は分子生物分野と比べて複数の分野の複数の国の研究者が集うという HFSPの理念をより体現したプロジェクトである反面、その裏返しとして、科学者がプロジェクトを形成すること自体が難しいという問題を示している[14]。 また、図 2-2-3は同じく 1992〜94 年に開始されたグラントについて、参 図2-2-3  HFSPグラントにおけるプロジェクト内部共著割合とその新規性 加研究グループ数が5以上のプロジェ 100% クトを抽出して、その成果論文につい てビブリオメトリクス分析を行った ものである 1。グラントプロジェクト は同一の場所に集中して研究を実施 する集中方式ではないため、共同の行 50% い方は研究会や電子メールなどを通 じた情報交流によって、相補的な研究 を行うこととなる。そのような中で生 まれた共著論文は、複数グループが論 文を分割投稿するのではないほど、情 0% 0% 50% 100% 報や知識を交換・共有して研究を行っ プロジェクト共著の割合 たことを示す指標とみることができ る。図では、横軸はプロジェクトから産出された全論文の内で、プロジェクト参加者間での共著論文の割合を示している。縦軸はそれら共著論文の内で、 HFSPプロジェクト開始以前 5年間には共著論文が無かった関係による論文の割合であり、共著関係の新規性を示 1分析は次の手順で行った。1992年から 1994年の 3年間に開始された全プロジェクトについて、国際 HFSP推進機構に提出された終了レポートを入手した。各レポートにはプロジェクト成果の文献リストが付与されてあり、それを分析対象とした。ただし、終了レポートが未提出なプロジェクト、および文献リストがレポートについていないプロジェクトは分析の対象外とした。プロジェクトに参加している研究者名は、同終了レポートに記されており、それをもとに共著関係が分析可能であった(ただし、分析対象としたのはプロジェクトに参加しているグループの代表者らであり、例えば代表者の下の大学院生などは対象としていない)。プロジェクト参加前の共著関係については、プロジェクト開始年から過去 5年間に出版された論文を Science CitationIndexで検索し、グループの代表者間での共著があるかを分析した。通常、データベースを著者名で検索すると同姓同名の誤データが含まれるが、代表者間の共著論文の検索では、複数名の著者を AND検索することになるので、同姓同名の誤データはほとんど含まれなかった。ただし、逐一、所属機関名などによる再チェックを行った。 す。これにより、 HFSPが新しい国際共同関係の形成を促進したのか、それとも昔から存 在した関係に資金を提供しただけにすぎないかを示す。 この結果からは、プロジェクトごとに多様な特徴を持っていることが示されている。たとえプロジェクト内で共著を多く生んでいたとしても、それは HFSPに応募する前から既に共著論文を書くほどの共同を行っていた既存の連携関係でしかない場合も多い。これらグループは、たとえ HFSPというプログラムが設立されなくとも、別の資金により共同を行った可能性も高い。その一方で、少数の共著しか生んでいない場合でも、新しい共同関係が HFSPを期に構築された場合もある。 HFSPのレビューでもアンケートやビブリオメトリクス分析を行い、プログラムが理念としている国際共同や学際性が概ね達成されているという評価を行っている[27],[31]。だが、実際にはこの結果が示すように、国際共同や学際性がいかに実現されているかには幅がある。通常、研究開発プログラムは資金提供を行う対象に、国際共同研究や学際プロジェクトという制限を設けることで、理念に掲げた活動を誘発しようとする。しかし、科学者側にとっては、実際にはその理念に即したプロジェクトの計画立案をすることは容易でない場合もあり、また資金を受け取っている共同関係も新たな関係がプログラムの効果によって形成されているものとは限らない。 2.4 HFSPにおける国際共同研究プログラムのマネジメントの特徴と含意 以上のように、HFSPの設立は日本の総理大臣諮問委員会や省庁での提案からスタートし、様々な問題に直面しながら 5年をかけて実施へと展開した。そこで見られた特徴とそこからの含意を以下にまとめる。 @アクターの段階的拡大とそれに伴う制度設計の精緻化 HFSPでは交渉は、まず国内の単一省庁レベル(省庁やその内部委員会)から始まり、省庁横断レベル(旧科学技術会議や省庁連絡会)、科学者を含んだ国内フィージビリティ・スタディ、国際フィージビリティ・スタディ、さらに、日本以外の科学者を含んだ賢人会議、各国政府トップによる G7サミット、政府間会合というように、研究者・政府の双方で段階的に拡大されていった。これにより、理念が次第に浸透していくとともに、それら拡大されたアクターが次には支援者として機能し、さらなる拡大と浸透が行われることが可能となった。同時に、このように各国の多様なアクターが段階的に含まれていくことにより、初期のプログラム案はそれら各アクターの利益を保証するような制度へと具体的に設計された。 国際共同プログラムの種類によって、このように順に拡大していく展開が良いのか、あるいは、ある時点で一度に全ての関連アクターを巻き込む展開が良いのかは一概には言えない。だが少なくとも、利害関係を有する関連アクターをもれなく巻き込んでプログラム の制度設計を行い、アクター間の合意を得ていくことは必要なプロセスであると言える。 A科学者主導の基礎科学プログラム制度の設計 HFSPは基礎研究を対象とした共同プログラムである。そのため、プログラムの内容や制度を設計する際には、フィージビリティ・スタディにおいて科学者が中心的に関与した。これは、日本国内だけでなく国際レベルにおいても同様であった。国際フィージビリティ・スタディを行い、その結果が「賢人会議」により各国の著名な科学者の間で合意され、それを通じて各国政府へ支援を求めるという展開がしばしとられた。このように科学者が国際的なコンセンサスを形成して各国の政策の意思決定に影響を与えるという特徴は、一面では国際関係論で Haas(1992)が Epistemic community2と称した専門家集団の役割と等しい[32],[33]。すなわち、専門家集団はその専門分野における価値観や政策志向性を国境を越えて共有しており、それを基に国際交渉の場で政策決定者に働きかけを行い、帰結を一定の方向に誘導する機能を果たすというものである。HFSPの場合は、基礎研究における国際共同の重要性という価値観を共有する場を、賢人会議やいくつかのワークショップによって意識的に形成することによって、専門家集団である科学者が政策決定者に働きかけを行ってきたと言える。だが、他方で、 HFSPの場合は、科学者は政策的課題のアドバイザー的立場ではなく、研究費を得る利益集団である。そのため、共同の必要性という大枠は共有されても、具体的な重点分野については各研究者の専門分野や信念が相違を生むことになった。プログラムの運営においては、それら理念までもが、いかに運営者や研究実施者に共有されるかが重要となる。例えば設立過程に参加してきた人間が中心的な運営者となることや、採択の審査を行う人間にも理念浸透を図ることなどが必要と言える。 HFSPでは、このように科学者主導でプログラムの設計がなされた結果として、他プログラムでは見られないような研究者にとって望ましいフレキシビリティの高い制度を形成したことは高く評価されている。実際のプロジェクトの採択も、厳正なピアレビュー方式を採用することにより、科学者共同体が研究の質を保証している。 HFSPは基礎研究を対象とするものであるからこそ、科学者にとって望ましいマネジメント方法を科学者らによる議論を基に設計し、実際に科学者がプロジェクト実施者として HFSPへ参加するインセンティブを形成することに成功している。今後も基礎研究プログラムを設立する際には、科学者共同体が主体的に関与して、自らが参加を誘因されるようなプログラムの制度設計を行うことは重要な点の一つであると言える。 B国際共同の必要性の明確化とインセンティブ連鎖の制度設計 基礎研究は本質的には国境により区分されるものではないため、国際共同を必要とする理由は潜在的に存在する。だが、様々な政策的課題が国内・国際にある中で、なぜ HFSP 2 Epistemic communityとは「ある特定の政策分野における政策に関連した知識に対する権威を持ち、認知された経験と能力を持つプロフェッショナルのネットワーク」と定義される。 という生物科学分野の新たなプログラムを設立して、公的資金を提供しなければならないのかという必要性は必ずしも明確ではなかった。HFSPは「国際貢献(貿易摩擦などの解消)」という日本独自の問題意識から始まった。そのため、各国政府にとっては既存の国内プログラムと分野が重なるプログラムへ新たな資金提供を行うインセンティブは提供されていない。逆に不利益を生じる疑念という、参加へのディスインセンティブが形成されていたとも言える。 本来、各アクターが進んで参加するような自律的なプログラムを形成するためには、アクターの間でインセンティブが連鎖するような設計を行うことが必要である[34]。HFSPでは、初期段階ではそのような設計が明確にはなされておらず、段階的にアクターが増えることにより、何が各アクターの参加へのインセンティブとなり、何がディスインセンティブとなっているかが次第に明らかになり、それをプログラムの制度として具現化させるという対応をとってきた。だが一方で現在においても、各国政府が進んで資金提供を行うようなインセンティブは設計されていない。いくら資金提供を行っても資金提供先の選択とは一切関係ない。それ故に、資金面では HFSPは自律的なシステムとして成立しておらず、今後の課題となっている。プログラム設計においては、利害関係を有するアクターがプログラムに自ら進んで参加するような目的や制度設計を当初から志向し、アクター間で相補的な利益が得られるようにすることが必要である。 C試行的実施とレビュー 設立のあとも、プログラムの潜在的な諸問題を把握するために、数年間のテスト期間を設けた。さらにその後も運営は時限を区切っており、終了時においてレビューを実施することで、継続的運営の必要性や理念の変更、制度の修正の必要性を議論している。これにより、初期の「共同の必要性」が変化し、あるいは資金や研究分野に新たな問題が生じたときに変更できるような動的な運営を可能としている。このような異なる利害関心を有する複数のアクターが関与する国際共同プログラムでは、時限の試行とレビューが必要なプロセスであろう。 参考文献 ・HFSPに関する資料(出版年順) [1] (財)日本科学技術振興財団 (1987.3)『国際的な基礎研究プログラム構想の可能性に係る調査検討』、昭和 61年度科学技術庁委託研究報告書(科学技術振興調整費) [2] 「特集ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム」『通産ジャーナル』 Vol.20(1987.4)、pp.12-24 [3] 工業技術院ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム推進室(1987.8)「ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラムその意義と今後の展開」『工業技術』Vol.28、pp.4-10 [4] 「ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム日仏合同会議」『工業技 術』Vol.28(1987.12)、pp.1-14 [5](株)野村総合研究所 (1988.3)『ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム構想に関連した海外の研究推進事業等に関する調査』昭和 62年度科学技術庁委託研究報告書(科学技術振興調整費) [6] The Human Frontier Science Program . The Feasibility Study Committee Report (1988.3) [7] The Human Frontier Science Program (HFSP) . Report of the International Scientific Committee (1989.3) [8] 森晃徳(1989.9)「ヒューマンフロンティアサイエンスプログラム」『電子情報通信学会誌』Vol.27、pp.985-988 [9] 和田昭允 (1989.10)「Human Frontier Science Programについて」『生物物理』 Vol.29、pp.46-50 [10]「特集ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム」『通産ジャーナル』 Vol.22 (1989.11)、pp.59-65 [11]「特集ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム動き出す日本主導の国際共同プログラム」『工業技術』Vol.30 (1989. 12)、pp.1-19 [12]「特集生体機能の解明を目指すヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム」『日本の科学と技術』 Vol.31、No.259 (1990) [13]飯塚幸三(1990)「HFSP構想から実施まで」、前掲書[12], pp.18-22 [14]「特集生体機能基礎研究の最前線ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム」『日本の科学と技術』Vol.33、No.266 (1992) [15]和田昭允(1992a)「HFSP ―分子分野の動向について」、前掲書[14]、pp.19-22 [16]栗原史郎 (1992)「HFSPの審査について」『日本の科学と技術』、前掲書[14]、 pp.92-94 [17] Wada, A.(1992), “What frontier for Frontier?”, Nature, Vol.357, p.356 [18] “Human Frontier in rough water”, Nature, Vol.358 (1992), p.525 [19] Swinbanks, D., J.Mervis and A.Abbott (1992), “Conflict over scope of research splits Human Frontier programme”, Nature, Vol.358, p.527 [20] Tocchini-Valintini, G.P. (1992), “Frontier future”, Nature, Vol.358, p.618 [21] Bernsen, N.O. (1992), “Scope of Human Frontiers”, Nature, Vol.359, p.99 [22]永山国昭(1993)「ヒューマンフロンティア(HFSP)に噴出した「科学技術」論争科学と技術の新しき融合」『日本物理学会誌』Vol.48 No.9、pp.741-743 [23]松本元(1992)「ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)の運営をめぐる争いにみる研究観」『生物物理』Vol.32 No. 6、pp.60-62 [24]和田昭允(1992b)「生命の総合的解明に向け、我が国初の国際的イニシアティブ= HFSP」『科学技術ジャーナル』Vol.1 No.8、pp.20-21 [25]「特集日本発の科学研究」『通産ジャーナル』Vol.26 (1993.3)、pp.24-33 [26]栗原史郎(1993)「ヒューマンフロンティアサイエンスプログラムの現状」『電気情報通信学会誌』Vol.76 No. 12、pp.1273-1277 [27] The ARA Consulting Group Inc. and PREST (1996), Evaluation of the Human Frontier Science Program [28]田中秀明(1997)「ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)と研究グラント申請のピアーレビューによる審査」『工業技術』Vol.38 No.5、pp.7-11 [29]「特集 HFSP10周年」『科学技術ジャーナル』Vol.7 No.12、(1998.12)、pp.10-25 [30]清水隆(1999)「10周年を迎えたヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム」『工業技術』Vol.40 No. 9、pp.64-66 [31] KPMG, PREST, A.Goto (2001), Human Frontier Science Program Review .Final Report ・その他 [32] Haas, P.M. (1992), “Introduction: Epistemic Communities and International Policy Coordination”, International Organization, Vol.46, pp.3-35 [33]鈴木一人(2001)「国際協力体制の歴史的ダイナミズム:制度主義と「政策論理」アプローチの接合―欧州宇宙政策を例にとってー」『政策科学』8巻 3号、 pp.113-132 [34]林隆之、平澤? (1997)「技術の社会的形成概念に基づく、公共技術支援政策形成に関する研究」『研究・技術計画学会第 12回年次大会』pp.271-276 3.インテリジェント・マニュファクチャリング・システム(IMS)林隆之 3.1プログラムの概要 インテリジェント・マニュファクチャリング・システム (IMS)プログラムは製造技術分野における国際共同研究プログラムである。 1995年に正式に開始し、2003年 4月現在、日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、スイス、 EU(+ノルウェー)、韓国の7地域 22ヶ国が参加している。IMSプログラムは、製造オペレーションの高度化、技術者の質的向上・量的拡大、知識の継承のための学問分野の発展、新しい技術・知識の世界的普及、市場の拡大とオープン化を目的とし、世界 3地域以上からの参加を必須条件とする「国際プロジェクト」を複数実施している。 2002年には 20件の国際プロジェクトが実施中である。プロジェクトは複数の地域からだけでなく、産・官・学といった複数のセクターの研究者の参加により形成されている。 IMSプログラムも HFSPと同様に、1980年代後半に日本からの提案により生まれたものであり、その背景には貿易摩擦などの国際関係があった。だが、 HFSPでは対象が基礎研究であったのに対し、IMSプログラムは製造技術という国の産業競争力に直接的に関わる分野であるために、その設立・運営では HFSPとは異なる問題が生じることになった。以下では、その設立過程とそこで生じた問題を分析する。 3.2プログラム設立の歴史的展開 (1)課題設定とプログラム素案の形成 IMSプログラムに至る最初のアイディアが提案されたのは、1989年 6月の通商産業省機械情報局「FAビジョン懇談会」(座長:吉川弘之東京大学工学部長(当時))においてである。IMSとは「現場レベルの知的な活動を活かし、機械と人間との融合を図り、製造業全体の生産活動を統合化するシステム」と定義され[1]、この懇談会で製造技術分野の新たなキーワードとして提唱された。懇談会においては、貿易摩擦などの諸外国との軋轢の中で日本の技術分野での国際的貢献が求められていることを指摘する。特に諸外国の求めている生産技術は民間企業の中に蓄積されたものが多いため、これらを国際社会に普及させるためには民間ベースの交流の活性化が望まれる。しかし、個々の企業にある情報・技術は経験に依存する部分が多く、一企業の内部でも工作機器、産業ロボット、CADシステム、事務管理などが個別に開発されてきたために互換性・連結性が乏しいという「自動化の孤島」と呼ばれる状態にある。そのため、官民が総力を挙げて IMS技術を体系化し、また、国が主導的に IMSの基盤技術を開発し、それらを社会的財産として広く世界に普及させることが必要であると述べている。 具体的には、日米欧の間では、今後の IMS技術を左右する先端の FA機器技術やシステム化技術について得意な分野を持ち寄る相互協力型の研究体制を構築し、 NIEs諸国や発展途上国に対しては、これら開発・体系化された技術を各国の産業レベルに応じて適正に技術移転をするというように、 2つの方向を示している。また、広範な製造活動を網羅した統合的で学際的な IMS技術に対しては、プロジェクトをグループ化して実施する「プログラム方式」とすることが適当であると提言している。 このような FA技術分野における研究開発への公的支援は日本国内レベルでは既に存在していた。通産省では 1977年から 1984年まで大型工業技術研究開発制度(大プロ)において「超高性能レーザー応用複合生産システム」プロジェクトが行われており、鉱工業技術研究組合制度に基づく企業間コンソーシアムにより研究開発が行われた。IMSプログラムはさらにそれを国際的な共同プログラムへと展開したという位置づけでもあり、既に日本はこの分野での企業間の共同の経験を有していたと言える。 この提言を基にして、(財)国際ロボット・FA技術センターに「IMS国際プログラム検討委員会」(委員長:吉川氏)が設置され、プログラムの目的、研究開発内容、プログラムの期間、事業規模(予算)、研究開発体制について議論がおこなわれた。当時の資料では、プログラム目的として次の3つが挙げられている [2], [3]。 1)先進諸国間及び NIEs等での相互利用を目指した既存・現用技術の整備、体系化 2 )現在及び次世代生産技術の標準化 3)21世紀を志向した新しい高度生産システムの研究開発 1 )および2)の一部は「ポスト・コンペティティブ」 [6]と称されるような体系化・標準化を NIEs諸国を含めて行うものであり、3)は主に「プレ・コンペティティブ」領域での研究である。これらは先述の 2つの方向を追随したものとなっている。また、研究実施体制としては、既存の大学、研究機関、企業等で構成される研究グループに委託する方法とともに、米または欧に「国際 IMS推進機構」を設立し、その中に国際共同研究所を設けて各国からの出向研究者により共同研究を行うという集中型も構想していた。 (2) プログラム案の国際的コンセンサス形成と詳細設計 このようなプログラムの初期案を基に、翌 1990年 1月には日・米・欧の企業や大学から企画書の公募を始めた。当初予定では、 3月には世界の学識経験者による技術評価委員会で企画書を評価し、 6月から IMS国際委員会を年 3回開催し、プログラムの研究内容、運営体制、知的所有権の取り扱いについて国際的コンセンサス形成を図ることになっていた。この公募には国内外から数十の企画が寄せられた一方で、このような早期の研究企画募集は、「検討不十分で余りにも性急」という批判も国内および海外から多数寄せられた[4]。 1990年 4月には(財)国際ロボット・ FA技術センターの内部に IMSセンターが設立され、 4〜5月には欧米にミッションが派遣され、 EC13総局および米国 Society of Manufacturing Engineering(SME)を相手に交渉が行われた。しかし、両者からは懐疑的反応や制度上の問題が指摘された。米国からは、「米国の企業や大学が勝手に日本のプログラムに企画応募するのは国際慣例からしても許されない」、「日本の通産省は外国の企業の懐に直接手をつっこむのか」「プログラムに関わる情報が不十分なため混乱を来している」「既に存在する「日米科学技術協力協定」のもとで検討すべき」などの反発がなされた [4], [14]。そのため、米国の交渉相手を SMEから商務省(DOC)の技術政策担当局へ変えることになる。また、 EC13総局でも時期尚早を理由に域内の企業や大学に対して研究企画書を提供しないように指示したという。古川 (1991)は、日本が生産の知的分野・ソフトウェアについても欧米にただ乗りしようとおり、このプログラムは「トロイの木馬ではないか」と疑いをもたれたことがこれら批判の裏にあったと説明している[4]。 このような状況のもとで、1990年 5月には日米欧 3極会合を開催し、日本からは通産省、国際ロボット FA技術センター、米国からは DOC、NIST、OSTP、NSF、欧州からは EC13総局の代表が参加してコンセンサス形成を図っていく。会合では本プログラムの実施体制、技術開発テーマ、知的財産権、資金負担などの課題は日・米・ ECの合意の下に決定すること、協力の基本的枠組みのアウトラインの作成を 3極共同で準備すべきことなどで合意した。また、この会合において EC13総局は、規定書のドラフト (Draft Terms of Reference for Feasibility Study on Future Generation Manufacturing Systems)をたたき台として示した。このドラフトの中で、まずはフィージビリティ・スタディとして 2、3の試験プロジェクトを実施して、プログラムの実施体制、資金負担、知的財産権の扱い、研究開発課題を検討して国際共同プログラムが実際に運営しうるかを試行する必要があることが提議された。また、日本の提案であった集中研究方式に対して、既存の研究機関のグループ化による研究コンソーシアム方式を形成することが提案された。 同1990年11月に行われた第2回3極会合では、米国からDiscussion paper on principles for international cooperation in advanced manufacturingが提出され、一般原則、用語、技術プロジェクト分野、協力の方法、寄付と資金調達、知的財産権について詳細な議論が展開された。この議論の合意が Chairman’s reportとしてまとめられた。なお、第 2回会合から、カナダ、スイス、およびオーストラリアがオブザーバとして参加している。 3極会合の結論である Chairman’s paperでは一般原則として「政府資金を受けるプロジェクトについてはプレ・コンペティティブな課題であるべきこと」と示された。これにより、当初の「ポスト・コンペティティブ」志向よりも「プレ・コンペティティブ」な研究開発が強調されたものへとプログラムは展開した。また、ここで論点となったのは、知的財産権(IPR)の扱いであった。特に EC側は IPRについての合意なくして研究課題の検討はできないと主張した[4]。3極会合では「成果の帰属と利用権は、発明者、発明者が帰属する組織体、同一コンソーシアムに参加している他の組織体、他のコンソーシアムに参加している他の組織体、プログラムに参加していない組織体の順に低下する」という原則で了解されたが、さらなる詳細な議論を行うことで同意された。 この結果を受けて、フィージビリティ・スタディを実施することが了解され、1992年 2月には国際運営委員会、4月には国際技術委員会、6月には国際 IPR委員会がそれぞれ議論 を開始し、フィージビリティ・スタディの計画や進め方について詳細を決定した。これに 基づき、1993年 1月からテストケースプロジェクト 5件および調査テーマ 1件が 1年間行われた[8]。また、それに先んじて、日本では 1991年から国内先行研究を別途開始している。 (3)プログラムの実施 フィージビリティ・スタディは翌 1994年に終了した。第6回国際運営委員会において、 IMS国際共同研究は実現可能との結論が得られたことにより、IPRのガイドラインを含む Terms of Reference (TOR)をとりまとめ、IMSプログラムの早期実施を各国政府に勧告した[7]。その後、 ECは加盟各国との交渉や EUへの再編などの事情により参加決定が遅れたため、1995年 4月に日本、アメリカ、カナダ、オーストラリアによって正式スタートした。 1995年 9月には 2つの国際共同研究プロジェクトが承認され開始している。1996年にはスイスが新たに加盟し、1997年には参加が遅れていた EUが正式参加した。 IMSプログラムは 10年間実施される予定であり、2000年には中間評価を実施している[15]。 表 2-3-1 IMSプログラム設立の展開 主な動き 1988 11 産業機械政策懇談会発足 1989 6 通産省機械情報産業局「FAビジョン懇談会」報告書。IMSを新たなキーワードとして提唱 9 (財)国際ロボット・FA技術センターに「IMS国際プログラム検討委員会」および WGを設置 11 IMSプログラム予備提案ミッション(米国 NSF、NRC、SME、NIST、および欧州 EC DG XIII、英国 DTI、仏国 MIなど) 1990 11〜54 5571111 国内企業、在日大使館への説明会 研究企画書募集 IMSセンターを(財)国際ロボット・FA技術センター内に設立 欧米へのミッション 第 1回日米欧 3極会合(ブラッセル) 日本国内の技術評価委員会が発足 第 2回日米欧 3極会合(東京) IMSセンター事前調査研究実施(〜1991年 7月) 1991 912 国内先行研究(〜1995年 3月) 政府間事務局会合 1992 23 46 第 1回フィージビリティ・スタディ国際運営委員会(トロント)。フィージビリティ・スタディの全体計画承認。 IMSセンター主催第 1回 IMS国際シンポジウム 第1回フィージビリティ・スタディ国際技術委員会(東京)。テストケースの進め方検討。 第1回フィージビリティ・スタディ国際 IPR委員会(東京)。 IPR議論開始 1993 13 テストケースプロジェクト開始。プロジェクト 5件、調査テーマ 1件(〜 1994年 1月) IMSセンター主催第 2回 IMS国際シンポジウム 1994 1 第 6回フィージビリティ・スタディ国際運営委員会(ハワイ)。 IMS国際共同研究は実現可能という結論。TORをまとめ、IMSプログラムの早期実施を各国政府に勧告。 1995 4 第1回国際運営委員会。IMSプログラムの正式スタートを宣言。 9 第 2回国際運営委員会。国際共同研究プロジェクトの承認・スタート 1996 5 第 3回国際運営委員会。スイス単独参加承認 1996 8 IMS専門家会議設置 1997 4 第 5回国際運営委員会。EU正式参加 2000 中間評価実施 3.3設立・実施過程で生じた課題 IMSも現実に国際レベルで設立・運営されているという点において、成功したプログラムである。そうであっても成立過程や実施過程の中で幾つかの問題を経験している。それらは次のようなものであった。 (1)国際共同の必要性の非共有 IMSプログラムを日本が提案した背景には貿易摩擦の解消の一助とすることがあった。日本国政府にとっては、プログラムを主導して先進諸国と共同研究開発を行うとともに、 NIEs諸国には技術移転を行うことにより、国際的な評判を高めるべき必要性があった。また、技術移転を受ける立場として想定されていた NIEs諸国にとっても参加のメリットはあったと言える。だが、その他のアクターにとっては、国際共同プログラムを設立する必要性は明確ではなかった。先進諸国については、原理的には、製造業における共通的な問題を重複投資をせずに解決できるというインセンティブはある。だが実際には、それ以上にソフトウェア分野での日本の再びのただ乗り等のリスクを初期には感じていた。一方で、日本ならびに海外の民間企業にとっては、公的資金により先端研究開発を支援されることは参加へのインセンティブとなりうるが、自己の技術を体系化して NIEs諸国へ技術移転することは自己の相対的競争力減少にも結びつく可能性があった。 このような他国政府の疑念を解消し、民間企業の参加を誘因するために、 IMSプログラム設立では次のような対処がなされた。一つは、米国の交渉相手を SMEという民間組織から行政府の DOCに変更し、3極の政府により制度設計を行うことで同意したことである。また一つには、フィージビリティ・スタディの実施により具体的な問題を明示化する方法がとられ、それにより運営体制、技術領域、研究資金調達、知的財産権の扱いが TORとして明文化されたことである。さらに一つには、 NIEs諸国を巻き込んだポスト・コンペティティブ的な体系化は重点が弱まり、日米欧に共通するプレ・コンペティティブな先端技術開発への焦点が増したことである。特に、公的資金の支援がある場合にはプレ・コンペティティブな領域を対象に限定することが TORに規定され、実際に採択された課題もポスト・コンペティティブにあたるものは数件しかない。 (2)分散的運営体制の利点と欠点 議論の末に決定された運営体制は分散的な特徴が強いものであった。IMSは国際運営委員会、地域間事務局(国際事務局)、地域事務局の 3種の組織からなる体制である。国際運営委員会は総合的なガイダンスと地域レベルの業務の監視を主たる業務とする。地域間事務局は2年交替で持ち回りであり、特定国に利益が集中するのを防ぐ体制をとっている。事務局の人員構成も議長国では数名の職員が職務にあたるが、マーケット担当とインターネット管理はカナダの専門家と契約しているなど、分散的でバーチャルな組織体制となっている[13]。地域事務局は各地域におかれ、地域内部のプロジェクトのマネジメントを行っている。 IMSの運営の中で分散的な特徴を特に示すのは、研究プロジェクトに要する費用の拠出方法である。研究費も地域ごとの管理運営に要する資金も、実施者(「パートナー」)の属する地域内でまかなうことになっており、地域をまたいで研究費を援助するクロスファンディングは禁止されている(ただし、地域間事務局の費用については全参加地域の公平負担としている)。日本では通産省から 50%分の補助が IMSセンターを通じて民間企業になされる。また、国際プロジェクトの準備のための国内研究に対しても半額補助が行われている。EUではフレームワーク計画から資金援助が行われている。スイスでも特別な公的補助がある。一方で米国、カナダ、豪州については特別な公的資金援助はないか、あっても管理運営のための資金だけなど限定的なものである。そのため、民間企業は自己資金のみで行うか、別の公的資金(例えば米国においては NSFのファンドや DOC/NISTの ATPからのファンドなど)を申請し獲得しなければならない[9][10]。産業競争力に直結するような分野においては各国で民間企業の研究開発支援政策の違いなどが存在する。そのため、資金提供や運営体制は各国・地域で閉じた構造とし、それらの横断的なマネジメントのみを行う国際組織を上位に置くという階層的な構造にすることで、障害をいくらか解消することを可能とした。だが、そのため国によって民間企業がプログラムへ参加するインセンティブの強さも変わることになった。さらには、公的資金がない国ではプログラムの中で行われているプロジェクトを評価するべき正当な理由がなくなるため、プロジェクトの統一的なモニタリングを行いにくい体制にならざるを得ない。 (3)各研究実施者の参加へのインセンティブ 研究実施者側である企業に対して、プログラムへ参加するインセンティブを制度設計することは必要である。すなわち、貢献と利益の間のバランスをとり、参加することにより 1社単独で研究開発を行う以上の効果を得ることができることが必要となる。その中で特に企業側にとっても政府にとっても問題となったのは、IPR(知的財産権)であった。各国で知的財産権の法律が異なるため、必要最低限の統一的な規定を作る必要があった。 結論である Terms of Referenceで決定された内容では、次のようになっている。まずフォアグラウンド(プロジェクトから生み出された全ての知的財産権)はこれを生んだ組織(「パートナー」)に帰属する。これは資金源によらない。当時の日本では、国のプロジェクトの成果は国が保有することになっていたが、IMSの場合には IMSセンターが委託として資金を出す形にしてこの問題をクリアした。また、「プロジェクトのパートナーおよびその関連企業は、フォアグラウンドを許諾料を支払うことなく研究開発のため、または商業的に利用することができる。商業的な利用は、使用し、製造し、製造させ、販売しおよび輸入することを含む」として、コンソーシアムのパートナーは無償で利用できる。別プロジェクトのパートナーには商業ベースの交渉によりライセンスするとなっている。ただし、日本の国立研究所の場合は国有財産法の規定からライセンス料を取る必要があるため、 TORの規定には「協力協定に特段の定めのない限り」と制限をつけることで各国制度との折り合いをつける方法がとられた。 このような規定により、各国の制度の違いから来る障害は解消されるとともに、民間企業がプログラムへ参加するインセンティブが強化されている。 (4)プログラムによる研究活動へのインパクト 実施者側である企業に、プログラムがどの程度インパクトを与えたかは別に問題となる。日本では国際プロジェクトに至る前の国内予備プロジェクトが実施されている。この段階から国際共同プロジェクトへと展開するには、 3地域以上からの企業の参加が必要と定められている。だが、この制約が逆にプロジェクトを作りにくくさせているという意見もある。国際共同を推進しようという目的から設計された制約は、実際には国内レベルまでのプロジェクトを多く生み、国際レベルまで至るのを難しくさせているという結果も生じている。 3.4 IMSにおける国際共同研究プログラムのマネジメントの特徴と含意 IMSは HFSPと同様に日本が提案したプログラムであり、その展開の仕方も日本から各国それぞれへと交渉を行い、合意を形成し、制度設計を行っていくという方法をとった。 HFSPの事例と同様、IMSプログラムの設立の特徴は主に 2つの側面から指摘できる。一つはプログラムが提案されてから実現にいたるまでの過程で、どのような段階区分を踏み、どのようなアクターを入れ、どのような制度上の課題を議論すべきかという設立マネジメントの経時的展開の側面である。また一つは、真に国際共同を必要とする目的をプログラムに設定することであり、さらに参加国や実施者である企業や大学研究者が自ら好んで参加し、また政府が自主的に資金を提供するというインセンティブを具体的にいかに制度設計するかという側面である。 @課題の展開とアクターの拡大 IMSにおいても段階的にアクターが拡大される方法をとっている。 HFSPとあわせて鑑みれば、一国がイニシアティブをもってプログラムを設立する場合の展開は、課題把握からプログラムアイディアの創出、プログラム案の初期構想、その共有、制度の精緻化、フィージビリティ・スタディ、制度の合意、時限的実施へと段階的に展開するものである(ただし、HFSPと IMSでフィージビリティ・スタディが意味する内容は異なり、順番も変わりうる)。また、各段階で関与すべきアクターは図 2-3-1のように省庁内委員会から、省庁全体レベル、省庁横断レベル、国内研究者を含んだ委員会、各国研究者からなる委員会、政府間交渉、フィージビリティ・スタディ実施委員会、正式な運営組織へと展開する。さ らに、そこで議論されるべき具体的内容は、プログラム目的や事業内容の概略から始まり、 重点分野、実施体制、知的所有権、プロジェクト選択方法、資金分担、運営組織構造、タイムスケジュールと、より具体的な制度内容の設定が段階的に求められる。もちろん、目指すプログラムの種類によってこの順番やその中での具体的な内容は変わりうるものであるが、今後新たなプログラムの設立を行う場合にもこれを一つのロードマップとして展開することができる。 図 2-3-1プログラム設計段階ごとのアクターの拡大と検討課題 課題アイディプログラム案プログラムプログラム制フィージビリ正式制実施把握ア創出の初期構想案の共有度の精緻化ティスタディ度合意(時限) 議 A国際共同の必要性の明確化とインセンティブ連鎖の制度設計 段階的に議論を展開する中で、常に重要となるのは、本当に国際共同を行う必要があるのかというプログラムの目的である。IMSでは、当初日本政府は「国際貢献」という名の下で、民間企業内部の技術の標準化・体系化による技術移転を行い、さらに公的資金を提供して先端的な共同研究を行うことで、自国の貿易摩擦批判の解消を目指していた。しかし実際には、他国政府にとっては共同を行う必要性が明確でなく、さらに主導側である日本への疑念も生じた。また民間企業にとってはポスト・コンペティティブ研究を行うインセンティブが提供されなかった。そのためプログラムはプレ・コンペティティブな研究に焦点を移動させ、参加企業や米・ ECという先進諸国にとっても参加へのインセンティブが生じることになった。 このように、当初の課題把握やプログラム構想において、真に国際共同を必要とする目的を設定しなければ、プログラムは多くの交渉を必要とし、その基本概念も変更せざるを得なくなる。一般的には、各アクターが国際共同に参加する必要性には、相補的知識や希 少な設備や資源へのアクセス、コストとリスクのシェア、国際課題の解決、標準の設定、 政治的・外交的理由からの間接的必要性などが挙げられる[17], [18]。 ただし、実際にはプログラムの必要性は明確に一つと設定できるものではない。利害関係を有する各アクターそれぞれからみた必要性を考えなければならない。たとえ「製造業分野の投資の重複の回避」というような国際共同の必要性が示されたとしても、各国の政府や研究実施者にとっては競争力の相対的低下や資金拠出の余裕資金の有無など様々な問題が同時に生じる。そのため、全体としての国際共同の必要性だけでなく、各アクターが 進んで参加することが誘因されるようなインセンティブを制度として設計しなければなら [1]通商産業省機械情報産業局産業機械課・監(1989)『21世紀に向けての FAビジョ[2]通商産業省機械情報産業局産業機械課(1990.2)「IMS国際共同研究プログラムの推進について」『工業技術』Vol.31 No.2、pp.6-9 [3]通商産業省機械情報産業局産業機械課(1990.5)「IMS国際共同研究プログラムの推進21世紀の新たな生産技術への挑戦」『通産ジャーナル』Vol.23、pp.38-42 −[4]古川勇二(1991.3)「IMS国際共同プログラムについて」『日本機械学会誌』Vol.94 」[5]「座談会 IMS国際共同研究に何を期待するか『通産ジャーナル』Vol.24 (1991.3)、 [6]吉川弘之(1993)『テクノグローブ』工業調査会 [7] IMS:AProgramforInternationalCooperationinAdvanced Manufacturing, Final Report of the International Steering Committee (1994) [8]「特集:知的生産システム」」『電気学会誌』Vol.114 No.12 (1994)、pp.785-813 ない。IMSで特徴的であったのは、そのような制度設計として IPRが重要であった点である。IPRガイドの制定により、たとえ全て自己資金で賄わなければならない国の企業であっても、プロジェクトに参加している企業からの特許を許諾料なしで用いることができるというインセンティブがある。逆に参加しなければそのようなコンソーシアムから除外される不利益がある。これが参加へのインセンティブを設計していると考えられる。また、企業の研究に対して各国政府が個別に資金提供を行うという分散的体制を取ることによって、コストと利益のバランスも考慮されることになり、疑念も解消されていった。このように、政府および研究実施者が進んで参加するような制度設計をいかに初期段階から構想するかが、プログラムを問題少なく実施させるために必要な要因の一つと考えられる。 参考文献 ・IMSに関する資料(出版年順) ン』ケイブン出版 No.868、pp.15-21 pp.58-64 [9] 「座談会製造科学技術と IMS国際共同研究プログラム」『機械振興』Vol.348 (1997.5)、pp.6-24 [10]「製造科学技術のグローバル化を見据えて IMS国際共同研究プログラムの今後」『機械振興』Vol.348、(1997.5)、pp.64-70 [11]「製造科学技術のこれからを考える」『通産ジャーナル』Vol.30、(1997.7)、pp.24-35 [12] Parker M. (1998) “The intelligent manufacturing systems initiative: an international partnership between industry and government”, STI Review, Vol.23 pp.213-237 [13]「国際機関の現場から2 IMS国際事務局」『通産ジャーナル』Vol.32、(1999. 6)、 pp.24-27 [14]『IMS Intelligent Manufacturing Systems』(10周年記念特別号)、 Vol.10 (1999. 11) [15] The Mid-Term Review Panel, Mid-Term Review of the Intelligent Manufacturing Systems Program . Final Report (2000) [16] IMS Terms of Reference for a Program for International Cooperation in Advanced Manufacturing, Ver.3 (2001) ・その他 [17] Georghiou, L.(1998), “Global cooperation in research” Research Policy, Vol.27, pp.611-626 [18] Wagner, C.S. et al. (2001), Linking Effectively: International Collaboration in Science and Technology, RAND 4.ヒューマン・ゲノム・プロジェクト(HGP)隅藏康一、新保斎 4.1ヒトゲノム計画とは ヒューマン・ゲノム・プロジェクト(HGP)(以下、ヒトゲノム計画と呼ぶ)とは、ヒトの細胞核にある22対の常染色体と2本の性染色体に含まれるDNAの全塩基配列を解読するものである。同計画には、世界各国から 16チーム(2000名)の研究者が参加した。1998年 9月までに、ヒトゲノムのほとんどすべての部分の担当研究機関が決まり、その分担にしたがって研究が進められている。研究者が純粋に興味関心に従って対象を決めて解析をするという従来型の学術研究とは異なり、ヒトゲノム全解読という目標を定めて参加機関の間で役割を分担するという方法が採られている。 本稿では、ヒトゲノム計画の背景と経緯についてまとめた後、研究開発マネジメントの観点から、ヒトゲノム計画に特徴的な点について述べる。 4.2ヒトゲノム計画の背景 ヒトゲノム計画は、1980年代のガン研究が下地となっている。米国においてヒトゲノム計画の重要な推進者となったのは、NIH(国立衛生研究所)とDOE(米国エネルギー省)である。DOEは、放射線による遺伝子損傷を調査していたことから、遺伝子研究への下地は当初から存在していた 1。DOEがゲノム計画を推進した要因の一つは、レーガン時代の軍事研究が縮小して、膨大な数の施設が非軍事目的へと転換させられたことであると考えられる。一方、日本では、1980年代初頭から諸外国に先駆けて、遺伝子解析技術の開発が行われていた 2。 日本や米国で 1980年代にゲノム計画が開始された背景の一つとして、この頃に疾患の責任遺伝子が見つかってきたことにより、多くの疾患が遺伝子異常による原因であるというゲノム疾患に注目が集まり、これを網羅的に理解しようとすることに関心が寄せられた、という要因を挙げることもできる。 4.3ヒトゲノム計画の経緯 1 1984年 12月にDOEの兵器研究所のメンバーがユタ州アルタで会合、放射線による遺伝子損傷の調査を開始。 2日本は1981年、和田昭允博士を委員長とするDNA技術の基盤整備を目指した委員会を設け、DNA配列解析装置の開発を掲げた。日本は、遺伝子解析技術に対する構想は早かったが、結果的に遺伝子解析装置とその周辺の機器等は米国企業製となった。この原因を分析したものとして、岸宣仁「ゲノム敗北の教訓」( Loop2003年 3月号より連載)がある。 米国においては、当初、米国エネルギー省(DOE)が、ヒト遺伝子解析計画について先行していた。その背景には、放射線による遺伝子損傷のメカニズムを研究しており、ヒト遺伝子解析にすでに取り組んでいたことがある。計画当初は、DOEとNIHが別々に同計画を開始した。1986年から 1988年にかけて両者間の主導権争いがあり、議会は2つの省を協力させる法律を計画した。これを受けて、両省は協力を確約し、共同計画立案に合意した。 米国を中心とした、ヒトゲノム計画に関連する主要な経緯を、表 2-4-1にまとめた 3。また、日本の主要な動きを表 2-4-2にまとめた。 国際共同研究の前段階として、研究者がそのプロジェクトの萌芽的なアイデアに気づくという段階(段階 1)がある。米国においては、1980年代初頭のガン研究や DOEの放射線による遺伝子損傷研究の中で、ヒトの全ゲノムを解読するというアイデアが育まれていたものと考えられる。日本においては、1981年の科学技術庁振興調整費「DNAの抽出・解析・合成」プロジェクト(委員長:和田昭允)の発足時には、すでにヒト全ゲノム解読のアイデアが研究者の中に存在していたと考えられる。 次に、実際にプロジェクトを実施しようという、具体的なアイデアが生まれる段階(段階 2)がある。米国では、1986年のダルベッコやワトソンの提案がそれにあたる。日本では、1986年に和田昭允が科学技術庁のシンポジウムで「日本で開発中のヒト遺伝子自動解析装置で、解析を 30年に短縮でき、600億円で可能」と発表したことがそれに該当する。 次に、プロジェクトのアイデアについて国際的に共通の理解がなされる段階(段階 3)がある。日本からの動きとしては、1987年に、和田昭允がネイチャー誌で、塩基配列決定の基本的な部分の自動化のめどが立ったと発表したことや、和田が米国を訪問してヒトゲノム解読の重要性を説いたことにより、共通理解の形成に貢献したと考えられる。 これと並行して、各国で、予算措置が整えられ(段階 4)、フィージビリティ・スタディが行われた(段階 5)。米国では、ワトソンが政府に予算化を働きかけ、 1988年からパイロット・プログラムが進められた。これに比べ、日本では、予算措置がはかどらなかったが、 1989-90年度には科学研究費・総合研究(A)「ヒト・ゲノムプログラムの推進に関する研究(研究代表者:大阪大学教授・松原謙一)」が設定され、準備研究が行われた[1]。 こうした中で、プロジェクトの基本デザインが整えられていった(段階 6)。研究者の自主的な連携推進組織である HUGO(Human Genome Organization)発足の 1988年 4月を、この段階と見なすことができる。その後、プロジェクトのオペレーション・ルールが整えられる段階(段階 7)は、1989年の HUGO第一回会議や、1996年 2月のバミューダ会議である。バミューダ会議は、NIHとウェルカム・トラストが主催であり、ヒトゲノムの全塩基配列を決定するプロジェクトを国際協力で進めることが明文化されたのは、これがはじめてであった[2]。 3ここでは米国を中心に述べたが、もう一つの主要な解析国である英国については、ジョン・サルストン、ジョージナ・フェリー『ヒトゲノムのゆくえ』(秀和システム、2003)に詳しい。 なお、プロジェクトをマネージする委員会が組織された段階(段階8)は、1989年のHUGO第一回会議であると考えることができる。 表 2-4-1ヒトゲノム計画の経緯(海外の動き) 年代 海外の動き 1953年 ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによって、DNA二重らせん構造が発見される。 1986年 3月、ソーク研究所所長のレナード・ダルベッコ(ノーベル受賞学者)が、がん原因遺伝子の理解をするために、ゲノムを完全解読するという巨大プロジェクトを提唱(サイエンス誌)。 1986年 ワトソンがコールドスプリングハーバーの研究所で、ゲノム解読の提案。 1986年 DOEは、ヒトゲノム計画に着手。放射線が体に与える悪影響を調査。衛生局のチャールズ・デリシ局長(生物物理学)が推進。 1987年 連邦学術研究会議(ブルース・アルバーツ議長)が、ヒトゲノムプロジェクトを協議して、アメリカ主導の国際プログラムを提案した。 1987年 DOEが 420万ドルを拠出。DOEのヒトゲノム計画部長は、バーンハート氏。 1987年 イタリアがゲノム計画を国家プロジェクトとして立ち上げ(米国に続いて2番目の国家プロジェクト)。 1987年 NIHが同計画を開始。NIHのジェームス・ワインガーデン所長は、NIHが主導して同計画を進めると主張し、予算獲得のために議会の説得工作を行う。 1988年 全米研究審議会がヒトゲノム計画を正式に打ち出す。 1988年 4月、HUGOが発足、初代会長にビクター・マーキュージック氏。 1988年 9月、HUGOの副会長に松原謙一氏が就任。 1989年 ワトソンがNIHヒトゲノム研究センターの所長に正式に任命される。 90年度に 6000万ドルの予算。 1991年 4月、ブッシュ大統領が、NIHの新所長にバーナディン・ヒーリー氏を任命。 1992年 ワトソンがNIHを辞任。ヒトゲノム研究センター長に、フランシス・コリンズ博士が着任。 1996年 遺伝子解析データは公共データベースに登録して公表することが、バミューダ会議で決定される。 1998年 民間企業と公的な国家プロジェクトの競争が表面化。 2000年 2000年 3月に、米クリントン大統領と英ブレア首相による「ヒトゲノム配列の即時公開」を求める共同声明。 2000年 6月 26日、ヒトゲノム解析データの概要版が完成したことを受け、クリントン・ブレア宣言。「抗生物質の発見を上回る医学の革命」(ブレア首相)。 2001年 1月、ヒトゲノムの90%以上を決定したと発表。2月にネイチャーで発表。 2003年 4月、ヒトゲノム配列の高精度な解読が完了。 表 2-4-2ヒトゲノム計画の経緯(日本の動き) 年代 日本の動き 1981年 和田昭允を委員長とするDNA技術の基盤整備を目指した委員会を設け、DNA配列解析装置の開発を掲げた。 1986年 3月、和田氏が科学技術庁のシンポで、「ヒトの全 DNAの解読は、日本で開発中の自動解析装置で 30年に短縮でき、600億円で可能」と発表 [3]。 1986年 1986年末から 1987年 1月、和田氏が米国を訪問、同計画の重要性を発表。 1987年 和田氏がDNAの高速解読とロボット化に取り組む日本の現状を「ネイチャー」誌で発表。 1987年 3月、科学技術庁長官の諮問機関の航空・電子等技術審議会にヒトゲノム計画について諮問。 1987年 7月、岡山市で国際ワークショップ・林原フォーラム「高速自動DNA解析装置」。参加者はウォルター・ギルバード(ノーベル化学賞受賞者)、榊佳之、清水信義、神原秀記ら。 1988年 6月、航空・電子等技術審議会が「ヒト遺伝子解析に関する総合的な研究開発の推進方策について」の答申をまとめる。 1996年 ゲノムプロジェクトのシークェンシング部分は4チームでのスタート。東大医科研・慶応大学・理化学研究所・東海大学。 1999年 慶応チーム(清水信義氏)等が 22番染色体の解読に成功。 2000年 慶応チーム、理研チーム等が 21番染色体の解読を終了。 2000年 6月 26日にヒトゲノムの「解析データ概要版」の完成を中曽根科学技術庁長官に報告。(同日、クリントン・ブレア宣言。) 2000年 NIHへ遺伝子提供。米スタンフォード大・ハーバード大に提供協定。 4.4外国の動きの予算獲得への影響 日本では、1981年に科学技術振興調整費「DNAの抽出・解析・合成」プロジェクトが始まり、シークエンサーの開発において諸外国をリードしていた。米国のワトソンは、このプロジェクトの進展を、米議会にヒトゲノム解読に対する予算の支出を認めさせる材料として利用した。このことが、1988年より米国で行われたパイロットプロジェクトの形成に寄与したと考えられる。 一方、日本においては、ゲノムのための特別予算があるわけではなく、科研費など既存の予算枠を集めてゲノムに振り分けているため、予算規模を大きくすることが困難であった。1989年、ワトソンから松原謙一(当時、日本のヒトゲノム計画の中心的存在であった)に送られた手紙の中で、ワトソンは、「日本がヒトゲノム計画に応分の協力をしなければ、この計画から生み出される情報や資料にアクセスさせない」と述べ[4][5]、日本に経費負担額の増大を迫った 4。フリーライドは許容しないという態度である。 この出来事が、日本のゲノム計画を推進する原動力となったとする見方もある [6]。もしそうだとすると、日米の研究者が協力し合って「外圧」を演出し、政府から研究資金を引き出す、という図式も理論的には可能かもしれない。しかし、このケースでは、ワトソンは米国政府からの資金獲得に際してのアピール要因とするために、日本にも応分の負担を迫っていることを既成事実化したかったという見解もあり、ワトソンの関心は日本よりは自国にあった可能性が高い[7]5。 4.5ヒトゲノム計画における分担 1988年に設立されたヒトゲノム解析機構(HUGO)は、ヒトゲノム計画を推進し、協調体制を築くことを目的とした研究者の自主的な組織であり、政府間の組織ではない。 1996年にヒトゲノム解析データをデータベースに24時間以内にリリースすべきである旨が決まったが、これも研究者の自主的な取り決めによるものである。ヒトゲノムのうちどの部分を読むかという分担も、研究者が自主的に決定した。(表 2-4-3) このような分担決定の方法は、研究者が純粋に興味関心に従って対象を決めて解析をすることのみに任せるのではなく、分担を決めて体系的・網羅的に解析を行うことを決めたという意味で、従来のライフサイエンス研究の推進方法を変えた最初のケースとしても注目される。ヒトゲノム計画のような、網羅的にデータを獲得することを目的とするプロジェクトにおいては、参加する科学者は、時として、自身の関心よりも解析のノルマの方を優先させなければならない場合があろうが、このようなタイプの研究においては致し方ないことである。 ただし、ヒトゲノム計画においても、科学者の関心に基づく精密な解析が皆無だったわけではない。例えば、日本のチームが 21番染色体の高度な塩基配列解読を行ったことは、国際的にも高く評価されている。「解決型」の研究と「先導型」の研究が同時並行でバランスよく進むことにより、ゲノム解読が発展してきたといえるだろう。 4榊佳之『ヒトゲノム』(岩波新書)pp.179によると、国際ヒトゲノム計画自体に対応する予算額は、日本において、1997年度 9億円、1998年度 19億円、1997年度 37億円、2000年度 21億円なのに対し、米国においては 1997年度 320億円、1998年度 360億円、1999年度 380億円、2000年度 430億円となっている。 5なお、文献[4]では、ワトソンの手紙の背景として、ワトソンが力を入れていたアジア分子生物学研究機構(AMBO)の設立が日本側のまとまりがつかず頓挫する形になったこと、ならびに会議でワトソンと同席した日本の研究者の話から「外圧」をかけるのを思いついたこと、といった要素も記されている。 表 2-4-3 公のDNA解析センターに割り当てられた染色体 [8] 研究所 責任者 染色体 サンガーセンター ジョン・サルストン 1,6,9,10,13,20,22,X ワシントン大学 ボブ・ウォーターストン 2,3,7,11,15,18,Y ベイラー医科大学 リチャード・ギブス 3,12,X ジョイント・ゲノム研究所 (DOE) エルバート・ブランスコン 5,6,19 ホワイトヘッド研究所・MIT エリック・ランダー 17他 ワシントン大学ゲノムセンター メイナード・オルソン 7 ジェノム・セラピューティクス デイヴェット・スミス 10 フランス ジャン・ワイゼンバッハ 14 ドイツ アンドレ・ローゼンタールヘルムート・ブレッカーハンス・レーラック 8,21 日本 榊佳之、清水信義 8,18,21,22 4.6ヒトゲノム計画への民間企業の進出 表 2-4-4に、ヒトゲノム計画への民間企業の進出の経緯をまとめた。 1998年、民間企業と公的な国家プロジェクトの競争が表面化した。セレーラ社は全ゲノムを断片化して、染色体に関係なく配列を決定した後に、コンピュータで編集して統合させるという「全ゲノムショットガン方式」を採用している。公的機関は、染色体ごとに分類してゲノム・シークエンスを決める方針を採っている。 ここで問題となるのは、公的研究機関がすでに大規模な取り組みをしている研究対象に民間が参入することは、社会的に見ると単なる二重投資に過ぎないのではないか、ということである 6。しかしながら、このケースでは、官民の競争が生じたことにより、ヒトゲノム計画の解析が加速されたことは間違いない。単にゲノム解読を加速しただけではなく、ライフサイエンス研究そのものの進展をも加速したであろう。セレーラ社のデータベース・ビジネスがビジネスモデルとして成立していたということは、セレーラ社のデータベースの中にある配列情報はいずれ解読され無償で公開されるにもかかわらず、数ヶ月の間であってもそれにいち早くアクセスし、研究を進めたいと考える研究者・企業が多かったことを示している。 6この点について詳しくは、隅藏康一・新保斎「公的研究と民間研究:ヒトゲノム解析のケース」(研究・技術計画学会第 18回年次学術大会講演要旨集、2003年)に記した。 ゲノム解読に関連して、民間企業の果たした大きな役割の一つとして、DNAシークエンサーの開発が挙げられるだろう。セレーラ・ジェノミックス社の親会社「パーキン・エルマー社」は、高速でDNAの配列決定を行うのに必要な装置「ABIプリズム 3700アナライザー(3700型)」をすでに製造販売している 7。大規模遺伝子解析会社と遺伝子解析装置機器メーカーがタイアップしている戦略は注目すべきものである。現在、ABI社(アプライド・バイオサシステムズ・インコーポレイテッィド)は、PE社に吸収されている。日本は島津製作所と日立が作製したが、現在は、結局早期に市場を獲得したPE社が事実上独占している。機種を変更すると、シークエンス機器以外の周辺機器や試薬など総取替えしなければならず、先に研究現場に導入した会社が有利な状態となっている。 表 2-4-4 ヒトゲノム計画への民間企業の進出の経緯 8 1991年 6月 21日、クレイグ・ベンター9が論文「cDNA解読―ESTとヒトゲノムプロジェクト」をサイエンスに発表。遺伝子断片の特許性の議論の火付け役となった。 1992年 7月 10日、クレイグ・ベンターがNIHを辞職。 1992年 ベンチャーキャピタル「ヘルスケア・インベストメント」のウォレス・スタインバーグが、ベンター氏に 8500万ドルを提供、非営利の研究センター「TIGR」を設立。 1993年 スタインバーグ氏は、同時に解析データを市場に出すための姉妹会社「ヒューマン・ジェノム・サイエンス(HGS社)」を設立した。5月、CEOには、ウィリアム・ヘーゼルタイン氏(ハーバード大学教授)が就任。 1993年 スミスクライン・ビーチャム社がHGS社の株7%と遺伝子フォルダの独占商業権に1億 2500万ドルを支払った。 1995年 クレイグ・ベンターは「微生物ゲノム配列」論文をサイエンスに発表 1998年 民間企業と公的な国家プロジェクトの競争が表面化。 2001年 2月、クレイグ・ベンターは、「ヒトゲノム配列」論文をサイエンスに発表。 7平板型ゲルタイプのABI−377は約 2000万円で、キャピラリー型シークエンサーは約 4000万円の価格である。セレーラ社は後者のタイプのシークエンサーを 300台保有していると言われている。DNA解析装置の設計者はマイケル・ハンカピラー氏、また生物学教授のリロイ・フッド氏との共同開発に携わった。同装置はサンガーの開発した方法を採用したが、塩基のそれぞれに異なる蛍光を付けたことが特徴である。 8ケヴィン・デイヴィーズ『ゲノムを支配する者は誰か』(日本経済新聞社、2001)を参考にした。 9ベンターは、カルフォルニア大学サンディゴ校で生理学・薬理学で博士を取得後、ニューヨーク州立大学、ロズエル癌研究所を経て、 1984年にNIHの国立精神疾患・卒中研究所に異動した。 4.7遺伝子特許を巡る争い 遺伝子に対する特許付与については、ベンター博士のESTに関する特許出願が論争となった。EST以前には、インスリン、血液凝固因子 8やエリスロポリエチンなど、遺伝子全長に対する少数の特許があったが、EST特許は原則として遺伝子の断片を特許請求の範囲としてクレームするものであり、遺伝子全長とは異なる審査基準が必要である。 ESTの特許出願には、NIH・ゲノムセンターのワトソンをはじめ、多くの科学者が反対声明を出した。政界からは、アル・ゴア副大統領が批判、またフランスのユベール・キュリアン研究大臣も反対声明を出した。しかし、NIH所長(当時)のバーナディン・ヒーリー氏は、「遺伝子の特許問題に関する論争が解決するまでの防衛策であり、製品の開発と商業化を促進し、奨励することにもつながる」と主張した。 ヒトゲノム計画のように分担を決めてから進める研究における最大の特許問題は、もし特許が取れるような研究がでてきたときに誰に権利が帰属するのか、ということである。塩基配列を解読しただけの段階では、なんら機能が明らかでなく特許にはならないが、ある遺伝子の塩基配列を解読したチームは、その遺伝子の機能解析を行うにあたって優位な立場にある。そこで、どの染色体を分担したかによって不公平が生じないよう、1996年のバミューダ会議以来、塩基配列の解読後 24時間以内にデータを公的データベースに公開することが義務付けられている。 4.8まとめ 本稿のインプリケーションを概観すると、次のとおりである。 @ 国際共同研究を進めるにあたって、研究者主導のプロジェクトの場合は、参加各国の政府に予算を要求する必要がある。その際、各国は、他国の進捗状況を「脅威」として説明したり、あるいは他国にも支出を促していることを説明したりしながら、各国政府を説得することとなる。このような図式は、「共同研究」ではあるが同時に「競争」という要素も持ち合わせている研究の場合に成立する。ゲノム分野は、単に解読するという点では「共同作業」であるが、その先の機能解析をして創薬や診断につなげるという部分では「競争」がある、という性質を持つため、このような図式に適合している。 A 大規模プロジェクトを進めるにあたって、科学者の興味関心にしたがって個別に研究を進めてもらい、出来上がったところをデータベース化していく、という「ボトムアップ型」あるいは「解決型」の研究体制と、割り振りを決めて機械的に解析してゆくという「トップダウン型」あるいは「先導型」の研究体制のいずれをとるかが問題となる。網羅的に進めるには後者のほうが適しているが、後者だけではなく前者もバランスよく組み合わさるような制度とするのが望ましい。なお、後者の形態をとる場合 は、研究者が独創性を発揮できる局面が少なくなってしまうので、研究者の育成施策 が適正に図られているか、ということにも注意を払わなくてはならないだろう。 B 公的研究機関がすでに大規模な取り組みをしている研究分野に民間が参入することは、一見、社会的には二重投資であるようにも思えるが、官民の競争によって研究が加速されることも多いので、民間参入の可能性をなるべく残しておくべきであろう。 C どの分野においても、また公的研究機関であるか民間であるかを問わず、研究において特許戦略が重要である。政策的な観点からすれば、技術的貢献をなしたプレイヤーに適正に権利が設定されるよう、今後の制度化を進める必要がある。 参考文献(出現順) [1] 学術審議会特定研究領域推進分科会・バイオサイエンス部会「大学等におけるヒト・ゲノムプログラムの推進のための 5カ年計画(報告)」、 1990年 7月 16日、pp.19。 [2] 榊佳之『ヒトゲノム』(岩波新書、2001) pp.45。 [3] 青野由利『遺伝子問題とはなにか』(新曜社、2000)pp.12。 [4] 榊佳之『ヒトゲノム』(岩波新書、2001) pp.20。 [5] R.クックディーガン『ジーンウォーズ』(化学同人、1996)pp.243-246。 [6]「日本のヒトゲノム計画」、日経サイエンス 1992年 9月号 p.12-14。 [7] 岸宣仁「ゲノム敗北の教訓」( Loop2003年 9月号)pp.77。 [8] ケヴィン・デイヴィーズ『ゲノムを支配する者は誰か』(日本経済新聞社)pp.234-235。 5.気候変動に関する政府間パネル (IPCC)―研究者と政策決定者のオプティマル・リレーションを求めて 綾部広則 5.1 IPCCの概要 IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)「気候変動に関する政府間パネル」は、1988年 11月に国連環境計画( UNEP)と世界気象機関( WMO)の共催で開始された、「各国が政府の資格で参加し、地球の温暖化問題について議論を行う公式の場」 1である。 その役割は、「人為的な気候変動のリスクやその潜在的影響、適応策および緩和策の選択に関する科学的根拠を理解することに関連した科学的、技術的、社会経済的情報を、包括的、客観的立場とともに公開性かつ透明性をもって評価( assess)すること」 2にあり、IPCCが研究を行ったり、気候関連のデータ等をモニタリングしたりするわけではなく、これまで発表された気候関連の研究論文をもっぱらピアレビュー方式に基づいて評価し、報告書を作成することを基本としている 3。 したがって、IPCCは、前章まででみた HFSPや HGPのような科学研究プログラムと同じではない。第一に IPCCはそれ自体が研究するわけではない。HFSPや HGPといった研究プログラムは、当該課題の解決もしくは解決の基礎となる新しい知見の獲得がその第一義的目標であるのに対して、 IPCCでは、そこに参加する研究者は、気候変動に関する新知見の獲得を目指した研究を行うのではなく、地球環境問題に関して発表されているこれまでの研究を幅広くサーベイし評価を行うことにその第一義的役割があるからである。いいかえれば、それはリサーチ・サイエンスとレギュラトリー・サイエンスとの違いである。 HFSPや HGPのようなリサーチ・サイエンスは、自然について信頼足りうる知識の生産が目標となるのに対して、IPCCのようなレギュラトリー・サイエンスは、意思決定のために信頼しうる知識の生産が目標となっているからである。 第二に、それが自然科学のみならず人文・社会科学を含む分野横断的なものであるという点である。通常の研究プログラムにあっても、分野横断的な特徴が認められるものの、それらは大方自然科学分野内にとどまり、人文・社会科学までを含んだものではない。加えて IPCCでは、研究者のみではなく、先進国から発展途上国にわたるさまざまな政治、経済、文化的背景をもった各国の行政官らの占める役割が大きい。 このように IPCCは、政治経済的文化的な次元と研究分野の次元という 2つの次元の交錯点に形成されたハイブリッド・フォーラ(Gibbons 1994=1997)であり、したがって、科学技術における国際協力といえどもその意味が異なってくる。 HFSPや HGPでは、効果的な知識生産を行うためにはどういう国際協力の方策が望ましいかという、いわば研究振 1 http://www.env.go.jp/earth/cop3/kanren/kaisetu/19-4.html 2 http://www.ipcc.ch/about/about.htm 3 http://www.ipcc.ch/about/about.htm 興の観点から政策が立案されることになるものの、これに対して IPCCの場合、知識生産が第一義的目標ではない。やや粗雑であることを承知の上であえて対比するならば、研究振興に重きをおくプログラムでは、生産された知識の消費者はもっぱら生産者=研究者であるから、国際協力は科学(者)のために行われる、International Collaborations for Scienceとなるのに対して、IPCCの場合、生産された知識の消費者は生産者にのみ限定されるわけではなく、生産者以外の広範な人々によっても消費される.その意味において、科学技術における国際協力も科学者を含む公衆すべてのために行われる( International Collaborations for Public)ものとなる。以上のような特徴を持つ IPCCにおいて研究者の関与の仕方の現状はどのようなものであり、そこにはどのような問題が横たわっているか。また研究者と政策決定者の適切な協力関係を保つためには今後どのような方策を講ずる必要があるのか。以下、本稿ではこれらの問題について検討する。 5.2 IPCCの経緯 (1)地球温暖化という現象の認知と IPCCの形成 表 2-5-1に示すとおり、今日最も人口に膾炙した考え方であり、地球温暖化(以下、単に温暖化という)の基本的メカニズムの一つである二酸化炭素の濃度と気温上昇の関係については、80年代になって突如として明らかになった現象ではない。すでに 1896年には、スウェーデンの化学者スヴァンテ・アレニウスによって、産業革命後の化石燃料使用量の増大によって、大気中の二酸化炭素濃度が増大し、その温室効果によって温暖化が生ずるという指摘がなされていたものの、長らく真摯な検討に付されることはなかった。もちろん、大気中の二酸化炭素濃度は上昇しており、それが産業革命以降の化石燃料の大量使用と土地利用の変化によるものであることは人々の間で漠然と認識されていたとは考えられるものの、そのことを定量的かつ決定付けるものとなった最初の契機を与えたのは、 1958年に、アメリカの D. キーリングが、前年の 57年に始まった国際地球観測年をきっかけに、ハワイのマウナロア観測所において大気中の二酸化炭素濃度測定を開始し、二酸化炭素濃度の上昇を観測したことであった。このデータが公表されたのは、89年になってからであるが、しかし、1967年には、真鍋淑郎とウェザラルドが、大気中の二酸化炭素濃度が 2倍になったとき、地球の気温がおよそ 2.4℃上昇すると見積もった。こうした一部の気象学者の指摘を受けて、1969年、国際学術連合会議(ICSU)に地球環境問題に関する学術団体である「環境問題に関する科学委員会(SCPOE)」が設立された。 ところが 70年代は、温暖化説よりもむしろ、地球が徐々に小氷河期に入るのではないかという寒冷化説が支配的であり、温暖化説を唱える研究者は全くの少数派だった。その後、徐々に寒冷化説から温暖仮説が支配的な学説となっていったものの、77年 5月にカーター大統領の命を受けて米国の環境問題委員会と国務省が行った調査結果である『西暦 2000年の地球』( 80年 5月)においては、寒冷化説と温暖化説が両論併記されていたし、79年に世界気象機関( WMO)の後援で開催された第 1回世界気候会議でも、温暖化の危険性は指摘されてはいたものの、科学的データの不足から、国際的な組織で定期的に評価を続ける必要があるという一般的な表現にとどまっていた。 表 2-5-1 IPCCをめぐる主な動き 主な動き 1896 S.アレニウス、二酸化炭素濃度と気温上昇の関係について指摘 1957 国際地球観測年(〜58年) 1958 D.キーリング、ハワイのマウナロア観測所において二酸化炭素濃度の観測を開始。 1967 真鍋叔郎とウェザラルド、二酸化炭素濃度が二倍になったとき、気温が 2.4℃上昇する見積もりを行う。 1969 ICSUに環境問題に関する科学委員会(SCOPE)が設置される。 1972 ローマクラブ『成長の限界』 1979 第 1回世界気候会議開催(ジュネーブ)。地球温暖化の危険性について指摘。 1980 『西暦 2000年の地球』が公表される。温暖化説と寒冷化説が両論併記。 1985 フィラハ会議開催。21世紀前半に地球の平均気温の大幅な上昇が起こることと、それへの適応策を検討しなければならない旨が具体的に表明される。( 10月) 1986 ICSU−IGBP(地球圏―生物圏国際共同研究計画)設立。 1987 地球温暖化防止のための政策に関する国際会議(フィラハ・ベラジオ会議)開催。 環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)、『 Our Common Future』を公表。 『ネイチャー』に過去 16万年間の大気中の二酸化炭素濃度と気温の関係を示すボストークデータが掲載される。( 10月) 1988 カナダ政府の呼びかけにより、研究者、行政官、 NGO、企業らが集まったトロント会議が開催される。( 6月 27〜30日)2005年までに二酸化炭素排出量 20%削減を提案。 NASAゴッダード研究所の J. ハンセン、米国議会上院公聴会において、温室効果による温暖化は 99%の確かさで起こっている旨の発言を行う。( 6月 23日) UNEP、WMOの共催で、第 1回 IPCCが開催される。( 11月) 国連総会にて国連決議として IPCCを国連が支援する正式の活動として承認(12月 6日) 1989 大気汚染と気候変動に関する関係閣僚会議開催(オランダ・ノルトヴェイク) 92年の地球サミットまでに枠組条約を採択することに合意するノルトヴェイク宣言を行う。 アルシェサミットで経済宣言の 3分の 1が環境問題となる。 1990 IPCC第一次報告書公表。( 8月) 第 2回世界気候会議開催(10月 29〜11月 7日) ヒューストンサミット開催。気候変動に関する枠組条約の策定を 92年までとすることを確認。 気候変動枠組条約交渉が開始される。 1991 気候変動政府間交渉会議(INC)設置。第 1回 INC開催(ワシントン) 1992 気候変動枠組条約の採択。( INC5にて) リオデジャネイロで国連環境開発会議(地球サミット)が開催され、 155カ国が気候変動枠組条約に署名。( 6月) 1995 IPCC第二次評価報告書公表。 第 1回締約国会議(COP1)がベルリンで開催される。 1996 COP2(ジュネーブ)開催(7月) 1997 COP3(京都)開催。( 12月)京都議定書の採択。 1998 COP4(ブエノスアイレス)開催。( 11月) 1999 COP5(ボン)開催。( 10月 25日〜11月 5日) 2000 吸収源特別報告書公表。( 5月 1〜8日にモントリオールで開催された第 16回 IPCC総会で承認) COP6(ハーグ)開催(11月)。京都議定書を実施するための詳細なルールに関しては、時間切れで合意に至らず。 2001 第三次評価報告書公表(9月の第 18回 IPCC総会で採択) 再開 COP6(ボン)開催。( 7月) COP7(マラケシュ)開催。( 10月)京都議定書の運用に関する詳細なルールが決定。 2002 COP8(ニューデリー)開催。( 10月 23日〜11月 1日) 温暖化説が決定的になったのは、 85年 10月にオーストリアのフィラハで開催された WMO、UNEP、ICSU主催の「気候変動に関する科学的知見の整理のための国際会議」(フィラハ会議)であった。ここにおいて初めて、温暖化に関する定量的なデータに基づいて 21世紀前半には、地球の平均気温の上昇が人類未曾有の規模で起こりうることが合意されたのである。フィラハ会議を受けて、87年には同じくフィラハとイタリアのベラジオにおいて、地球温暖化を防止するための政策について議論する国際会議が開かれ、地球温暖化という問題は、科学的見地からの予測のみならず、防止に関する政策にまで拡大していくことになる。 このように、地球温暖化問題に対する認識は徐々に高まりつつあったものの、それはまだ、一部の気候研究者とその周辺にとどまるものであった。それが、明確な問題として一部の気候学者のみならず、政策決定者を含めた広範な人々の間の共通認識となり、国際政治上の課題にまでのぼるようになるのは、88年になってからのことである。もちろん、例えば、ソ連のボストーク基地で地下 2038mにわたって採取された氷柱サンプルをもとに、現在から 16万年前までの気温と二酸化炭素濃度の関係を示すデータが 87年 10月に『ネイチャー』誌上に公表されたように科学的な新しい発見もあった。しかし、特にその後の IPCC設立に大きなインパクトを与えたのは、 88年 6月に米国議会上院公聴会で NASAゴッダード研究所のジェームス・ハンセンが温暖化の原因は 99%の確かさで温室効果ガスによるものだとの証言を行ったことだった。おりしも 88年には、米国が大干ばつに見舞われていたことも相俟って、ハンセンの議会証言は人々に対して地球が温暖化しているという強烈な印象を与えることになった。 こうした流れを受けて、88年 6月には、カナダ政府主催で世界 46カ国から科学者、行政官、産業界、NGOらが集まって会議(トロント会議)が開かれた。ここで、2025年までに 1988年の二酸化炭素排出量の 20%を削減することと、国際条約および議定書の策定を含む行動計画が提言された。トロント会議の提言は、国連にも影響を及ぼすことになった。同じ 88年秋に開かれた国連総会では、環境総会という異名をとるほど、地球環境に言及する演説が目白押しとなった。そのなかでソ連外相のシュワルナゼは、生態学的安全保障を確保するために、国連環境計画(UNEP)を環境保障理事会へ転換する必要があり、それを国連の援助により段階的に行い、92年までに環境に関する国連会議をサミットレベルで開催することを提案した。これが 92年の国連環境開発会議(地球サミット)の開催へとつながった。米ソを中心とした東西冷戦の崩壊と新しい脅威を求める国際政治上の変化も相俟って、同じ 88年 12月 6日に開かれた国連総会では「人類の現在及び将来世代のための地球気候の保護」が採択され、1ヶ月前に WMOと UNEPの共催でスタートしていた IPCCは、国連が支援する正式の活動として認められることになったのである。 (2) IPCCの実行段階上記のような経緯のもと発足した IPCCは、気候変動に関する科学的知見の評価を扱う 第一次作業部会( WGI)、地球温暖化が環境および経済・社会に与える影響を扱う第二次作 業部会(WGII)、気候変動への対応戦略を扱う第三次作業部会( WGIII)の 3つの作業部会にわかれて作業に入った4。そして1年半後の90年8月に第一次評価報告書を提出した。 第一次評価報告書については、『ネイチャー』( 90年 11月 15日号)のように、もっともましな報告書とされた第一次作業部会報告書ですら、物理学的な不確実性に関する真摯な議論を欠いたものであり、残り 2つの作業部会の報告は不十分であり素朴すぎるという評価もあったものの、各方面に影響を及ぼした。第一次評価報告書をベースとして開かれた第二回世界気候会議 5の科学技術セッションでは、それまでの様相とは打って変わって、科学技術セッションでは二酸化炭素排出量 20%削減が至極当然のように採択された。閣僚会議では、共通の数値目標を明記する宣言を採択することはなかったものの、代わりに後の 92年の国連環境開発会議(地球サミット)で採択されることになるリオ宣言のなかにある予防原則を盛り込むと同時に、第三次作業部会報告書で勧告されていた気候変動枠組み条約(FCCC)と議定書交渉の場を設置するよう国連総会に求めることを確認した。第一次評価報告書は、91年の気候変動政府間交渉会議(INC)設置に大きな役割を果たしたのである。 この勧告に沿って国連総会直属の気候変動枠組み条約のための政府間交渉委員会(INC)が UNEPと WMOの協力を得て設置された。INCには 92年の地球サミットまでに交渉を完結するというミッションが与えられ、91年 2月にワシントンで開かれた第 1回 INCを皮切りに 92年 4月からニューヨークで行われた再開第 5回 INCまで地球サミット開催までに合計 6回開催された( INCは、UNFCCC成立後も COP1まで開かれた)。ところが、 INC交渉では、温室効果ガスの排出削減の目標値と基準年を条約に盛り込むべきだとする欧州諸国と目標値の設定に難色を示すアメリカとの溝は埋まらず、結果的に条約の文面は、温室効果ガスの排出抑制の努力義務は負うが、目標を達成できなくても義務違反とはならないという玉虫色のものとなった。しかし、再開第 5回 INCでは、国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)が採択され、92年 6月の地球サミットでは、 155カ国と ECが署名、93年 12月に 50カ国が批准した。 4ただし、第二次評価報告書作成から、WGIIと WGIIIを統合して新しく WGIIを組織し、新たに WGIIIを組織した。これにより、WGIIが気候変動の自然と社会経済への影響及び適応策並びに緩和策を、 WGIIIが、気候変動の社会的影響と政策並びに温室効果ガス排出シナリオを担当することになった。さらに第三次評価報告書作成では、 WGIIが気候変動の影響及び適応策の社会・経済的側面からの評価、 WGIIIが気候変動の緩和策の社会・経済的側面からの評価というように、影響・適応策と緩和策が分離された。 5第二回世界気候会議は 90年 5月ないしは 6月に開催される予定であったが、IPCC報告書作成の作業日程との関連で、繰り下げられたとの報告もある (Paterson 1996: 44.)。 IPCC気候変動枠組条約(FCCC) 1988年  IPCCの設置 1990年 第一次評価報告書 1991年  INC設立 1992年 補足報告書 1992年 国連環境開発会議(地球サミット) 1995年 第二次評価報告書1995年  COP1(ベルリンマンデート) 1997年  COP3(京都議定書採択)報告書1997年 地域的影響特別 2000年  COP6(京都メカニズムのルール技術移転特別報告書化策定)2000年 シナリオ・吸収源・ 2001年  COP7(京都議定書の運用の細目書が決定) 2001年 第三次評価報告 IPCCの政府間交渉との関係 「IPCCの概要と最近の動向(上)」『 GISPRIニュースレター』 1999年9月号,「科学と政策の関係(地球温暖化を例として)」第 9回総合科学技術会議月例報告(平成13年8月30日)等をもとに作成 UNFCCCは成立したものの、95年 3月末から 4月初めにかけて、ベルリンで開かれた第 1回締約国会議(COP1)では、UNFCCCの条約内容は不十分であり、国際約束として新たに先進国における 2000年以降の目標や具体的な取り組みを COP3でとりまとめることになった。EU、アメリカという単純な対立軸ではなく、アメリカ、日本、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの JUSCANZと呼ばれる目標値や基準年を明記した議定書の交渉に反対するグループと EU、途上国グループなど様々な思惑を持ったグループが形成され、交渉は一枚岩ではなかったものの、最終的に、 COP3までに法的拘束力を持った議定書を採択するという決議(ベルリンマンデート)がなされ、具体的な詰めの作業は、ベルリンマンデート・アドホックグループ( AGBM)及び COP2を舞台として行われた。AGBMの交渉もやはり難航したものの、96年 7月の COP2閣僚級会議では、温室効果ガスの排出に関する数値目標に法的拘束力を持たせることとが考慮( take note)され、これら一連の交渉を経て COP3では、2008〜2012年(第 1期)の間に、二酸化炭素等 6種類の温室効果ガスの排出量を日、米、EU等先進国全体で 1990年より 5.2%削減すること、具体的には、EU全体で 8%、米国で 7%、日本で 6%など先進国の温室効果ガス排出量について法的拘束力のある数値目標を盛り込んだ京都議定書の採択へとつながった。 議定書の運用に関する細目を定めた文書については、2001年 10月にモロッコのマラケシュで開かれた COP7で決定されたものの、その後、 2001年に誕生したブッシュ政権が米国経済に対する悪影響の懸念からいまだ京都議定書に反対の立場をとっているため、55カ国以上の締結国数 6と締結国の 1990年時点での二酸化炭素排出量が同年の二酸化炭素総排出量の 55%を越えることという発効要件を満たせるかどうか、いまだ不透明な状況にある。 5.3 成立・実行段階における特徴と問題点 (1)科学と政策の境界線問題 以上のように、IPCCが設置されて、第一次、第二次、第三次と報告書の作業が進むにつれて、評価の焦点は、気候変動からその社会経済システムへの影響、温室効果ガス排出の緩和策といった技術的方策や政策へと移行しつつある。また、第二次評価報告書からはこれらを意識的に統合したアプローチとして、政策決定者向け要約(SPM)と政策に関連する科学的、技術的、社会経済的問題( PRSQ)からなる統合報告書( SYR)が作成されている。また、これとは別に第一次、第二次評価報告書では、作業部会ごとに評価が行われてきたが、それらに共通する課題や用語の統一がなされていなかったため、第三次評価報告書ではクロスカッティング・イシューと呼ばれる各作業部会に共通する課題(@持続可能な発展と公平性、A意思決定分析の枠組み、B不確実性、Cコスト評価等)を取り上げ、ガイダンスペーパー等を用いて執筆者相互間の理解を進めるとともに報告書の整合性をあげる試みもなされている。 このように第三次評価報告書からは、自然科学と社会科学の領域横断的な試みがなされ始めている。しかしそれにともない、科学的評価が扱うべき範囲が改めて問題となっている。こうしたことから政策立案や決定には適切な関連性は持つものの、政策判断には踏み込まない( policy relevant but not policy perspective)とするスタンスが IPCCでの評価作業に関わる研究者の間での共通了解となりつつあるようである(谷口 2000: 50)。例えば、統合報告書が 3つの作業部会報告書の概要ではなく、PRSQ(policy Relevant Scientific 6 2003年 7月現在で 111カ国が批准。 Questions)を中心に構成されているのも、「政策指向と科学的中立性の間で慎重にバランスを取ることと、評価結果を出来るだけ外部の人に分かり易く伝えることを狙ったもの」(谷口 2000: 51)だからである。 また、上記クロスカッティング・イシューのなかに意思決定分析の枠組みが組み込まれているのは、「政策決定につながる評価を重視していること、異なった知的枠組み、異なった政治的枠組みを尊重し中立性の高い総合的評価を目指していることの現われ」(谷口 2000: 51)である一方、各々の立場や知的枠組みを尊重しすぎて陥りかねない知的錯綜を克服するために宗教的信条やイデオロギーに替わるものとしての広義の知的フレームワークを考えるべきだという準備段階での議論を反映してのことだった(谷口 2000: 51)。 図 2-5-1 IPCC報告におけるクロスカッティング・イシュー 出所 http://www.gispri.or.jp/newsletter/1999/9910-4.html (2)ハイブリッド・フォーラゆえの評価軸の多様さが招く研究者との軋轢 IPCCは、ICSU傘下の世界気候研究計画( WCRP)や地球圏―生物圏国際共同研究計画(IGBP)から大学にいたる気候変動に関する幅広い最新の知見を単に科学者から温暖化に関する最新の研究成果を一方的に伝えるだけではなく、同時に IPCCを通じて各国政府の意思決定に必要な知見の提供依頼を研究者に伝えるという機能をもあわせもつ。いいかえれば、IPCCは、研究者と政策決定者が情報、意図、価値を交換する新しい出会いの場であり、モード 2型研究の典型であるということができる。地球温暖化が一部の研究者だけの認識にとどまっていた時期には、自然科学側から政策側への一方的な情報と意思の伝達であったが、IPCCが設置されたことによって、曲がりなりにも両者が対話する場が作られた。 しかしながらその一方で、IPCCはハイブリッド・フォーラ特有の問題を抱えている。 IPCCは研究者が論文審査を行う際に用いるピアレビュー方式を基本としているが、科学者以外に各国の官僚や政治家が評価主体として入り込むことになる。特に政策決定者向け要約の作成に当たってはこの傾向が強い。したがって、「南北間など各国の対立の場になり、報告書は最大公約数的なものになり、IPCCを政策決定への参加から棄権させる役割」(Agrawala 1997)を果たすことになる。とりわけ、全体要約や政策決定者向け要約の作成に当たっては、「魔女狩り法廷」となる傾向が強い。「第一次評価報告採択全体会合では、ブラジルの外交官や米国産業ロビイストの応援を得たサウジアラビアの一字一句に対する科学的意味のない意見表明のため、議事は最終日深更を過ぎても終わらず、急遽土壇場で首脳会談が行われ、次の日の未明にずれ込んで一次採択がなされた。・・・土足で神殿に踏み込まれた感じであり、部会に参加した多くの研究者が、嫌気がさして二度と IPCCには出ていかないと宣言している」(西岡・川島 1997)というように、研究者との軋轢を生じている。 (3) 日本の研究体制に関わる障碍 @言語的・文化的差異 IPCC報告書に引用された文献中の日本の割合は、第一次評価報告書では、WGIで0.7%、 WGIIで 1.8%、第二次評価報告書では、WGIで 1.08%、WGIIで 2.2%、WGIIで 1.3%というように、「人口比ではトントンであるが、経済規模に比べるとまだ貢献度が少ない」という評価がある(原沢 2000: 77f)。こうした国際的な影響研究・レビューに対する日本の貢献度が不十分である理由としては、1)日本人研究者が成果を国際的な学協会誌に発表している数がすくない、 2)国際的な議論や関心を意識して成果を整理していない、3)原稿の段階で日本人もレフリーに回るが、そのときに日本の研究者が国際的な慣習や基準で対応していないか、対応できにくいこと、があげられる(原沢 2000: 77)。1)の点については、第三次評価報告書作成から産業界における出版物等など限定的ではあるものの、日本語や中国語などの論文も対象とすることになっているようである。 A人文・社会系研究者の関与の少なさ 第 1作業部会は、気象学者が占める割合が高いものの、第 2作業部会、第 3作業部会では、自然科学の他の領域や、さらには人文社会科学系の研究者の比率も高くなっている。しかし、第二次評価報告書第 3部会報告書においても、分野的には経済学を専門とする研究者の比率が高く、経済学以外の人文社会系の研究者の関与が極めて少ないという指摘もある(森田 2000: 106)。 B日本における気候研究体制の特徴 日本においては、これまで大学は気象研の人材養成機関として位置付けられており、大学で気候研究が行われるということはあまりなかった。大学における大気観測研究のなかで、もっとも古いのは東北大学であるが、それも1980年代前半からである(野尻2000: 63)。日本で現在、大気観測研究に取り組んでいる研究機関は、国立試験研究機関では、国土交通省気象研究所、大学では、東京大学気候システム研究センターや名古屋大学地球水循環研究センター、筑波大学、弘前大学、岡山大学、神戸大学等、一部の限られた大学の研究室程度しか存在しない。こうした傾向は、諸外国も同様であるが、このように日本の大学や国研において気候研究が不十分な状態となっている理由としては以下の点が指摘されている。 1 )季節性のある自然現象の観測には、通年で行える枠組みが必要であるものの、日本の研究体制・予算の特殊性により、海外フィールド調査が困難であること(外国旅費の使用が年度途中からであること、海外研究機関に直接的な研究費支払いが困難、常勤的研究員雇用が盛り込めない)(野尻 2000: 64)。 2 )気候モデル研究者の不足。国立試験研究機関では、気象研究所と国立環境研究所 以外にはいないこと(野尻 2000: 65)、この他、3)気候研究がもともと地域的な研究であったため、グローバルな視点に欠けること、さらに 4)日本の研究者は、アイデアは出すが、アメリカに持っていかれるので、企業化できない、 5)理論系に比べて実験系が低く見られる傾向も拍車を掛けている、という指摘もある。 5.4 IPCCにおける国際科学協力のマネジメントへ向けて―専門性をもった専属のインタープリターないしは調整官の必要性 以上のように IPCCは、科学技術における国際協力における従来のプログラムとは大きく異なるものといえる。それは研究者と政策決定者の緩衝装置ないしはインタープリターというよりかは、むしろ直接対峙しあう場(アゴラ)である。こうしたことから科学的中立性を可能な限り保持することを重要視する研究者(さしあたりモード 1型研究者と呼ぶ)の倫理と科学的中立性よりも現実の課題の遅滞ない解決に資する政策を求める政策決定者の志向性との間で葛藤が生じている。「従来の学問が、大学に立てこもり、『象牙の塔』を標榜していたのは、この社会の現実の持つ深遠さや危うさに気がついていたからであろう。さまざまな社会的な問題に対し禁欲的に振舞うことは、『ひよわな』研究者にとっては、次善の策であったろう」(住 1999)という見方がある一方で、今まさに芽生えつつある現実の課題に向かおうとする研究者(レギュラトリー・サイエンティスト)たちのインセンティブに冷や水を浴びせる効果をもたらしている。こうしたことから IPCCに研究者が関わる場合、政策立案や決定には適切な関連性は持つものの、政策判断には踏み込まないため にはどうすべきかという境界設定の問題が重要になりつつある。だが、こうした境界線の 設定は、研究者個人の行動規範に委ねるのはもはや限界がある。 そこで制度として何らかの策を講ずるための仕掛けとして、緩衝装置ないしはインタープリターのような研究者と政策決定者の中間を取り持つような仕掛けを作ることをここでは提案したい。つまり、従前のように大学や国研の研究者をパートタイマーあるいはボランタリーで IPCCに参加させるだけではなく、インタープリターという役割を担う人材を IPCCに専属に配置することである。これまでの大学や研究所に属する研究者は、おおかたモード1を基本とする研究者が多く、そうした研究者を斯様なハイブリッド・フォーラに直接的に関与させて二束の草鞋を履かせることには限界がある。 具体的には、競争的資金配分機関等ではプログラムオフィサーによって研究のマネジメントが行われているが、こうした資金配分に関わるマネジメントのためのプログラムオフィサーと類似の地球温暖化問題を専門に扱う人材を育成し積極的に活用していく方法である。そのためには、気象学、環境学等の自然科学分野、あるいは政策学、行政学、国際関係論等の人文・社会科学分野におけるリーダークラスの研究者のみならず、若手人材を国連職員等の身分で積極的に登用することも有効な手立てのひとつであると考えられる。 文献(アルファベット順) 「科学と政策の関係(地球温暖化問題を事例として)」第 9回総合科学技術会議月例科学技術報告(平成 13年 8月 30日) Agrawala, Shardul (1997) “Explaining the Evolution of the IPCC Structure and Process”, IIASA. Gibbons, Michael (1994) The New Production of Knowledge, Sage Pub., 1994=(1997)小林信一監訳『現代社会と知の創造』丸善. 原沢秀夫(2000)「地球温暖化の影響予測評価に向けて」西岡秀三編(2000) 逸見謙三・立花一雄監訳(1980)『西暦 2000年の地球1人口・資源・食糧編』家の光協会. 逸見謙三・立花一雄監訳( 1981)『西暦 2000年の地球 2環境編』家の光協会. 細田衛士監訳(1998)『入門地球環境政治』有斐閣. 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LHCの約3倍強の周長ということになる。ちなみに山手線の周長は 34kmである)、このリング状のトンネル内に 2つの 20TeV陽子リングを設置し、4カ所の衝突点で陽子と陽子を衝突させ、生成する粒子を検出器によって捉える計画であった。設計されていた衝突点での最高衝突エネルギー40TeV(20TeV×20TeV)2がいかに高い値であるかは、現存する加速器と比較してみればよく分かる。最大級の陽子・反陽子コライダーのひとつとされている米国フェルミ国立加速器研究所(FNL)のテバトロンにしても 2TeV(1TeV×1TeV)であるから、SSCはテバトロンの約 20倍であり、SSCと双璧をなすといわれる CERNの LHC計画でも 15TeVだから、SSCは LHCの 3倍弱ということになる。まさに世界の加速器開発競争は行くところまで行っていたのである。 こうした究極の加速器を建設して素粒子物理学実験を行おうとする SSC計画は、しかし 93年に米国議会で中止が決定された。前章までの事例は、現在進行中のプロジェクトないしはプログラムであるのに対して、SSC計画は進行中に打ち切りが決定された稀有な事例である。したがって SSC計画を対照事例とすることで、現在進行中のプロジェクトやプログラムを首尾よく進める上でも何らかの教訓が得られるのではないか。これが本章で SSC計画を取り上げる理由である。 1 SSC計画の本来の目的は、SSCという加速器の建設というよりも、 SSCを使った物理学実験を行うことにあった。ただしここでいう SSC計画とは、加速器の建設を最終的な目標とする過程を念頭において論じることにする。 2コライダーは互いに正反対の方向に進む粒子を正面衝突させる方式であるから、一般にそれぞれの粒子が持つエネルギー(ビームエネルギーまたは入射エネルギー)の大きさを併せて、例えば 20TeV×20TeVのように表記する(運動量の和は保存されるので、最高衝突エネルギーは 40TeVとなる)。 表 2-6-1 SSCの主要パラメータ 3 加速器タイプ 陽子・陽子衝突型加速器 ビームエネルギー 20TeV ルミノシティ 1033/cm2/s以上 入射エネルギー 2TeV 主リング長 87.12km 超伝導双極磁石 8652台(MR),432台(HEB) 口径・磁場 50mm,6.55T at 4.35K 超伝導四重極電磁石 2,024台(MR),278台(HEB) 陽子数 0.75×1010/バンチ バンチ間隔 5m(16ns) 衝突点でのビームサイズ 5μm×10μm×7cm (rms) 蓄積時間,1サイクル 30分,24時間 入射システム (エネルギー 周長 サイクル) 線形加速器(H-) 1.22GeV/c 148m 10Hz 低エネルギーブースター 12GeV/c 540m 10Hz 中間エネルギーブースター 200GeV/c 3.96km 3s 高エネルギーブースター 2TeV/c 10.9km 2min. 低温設備 10プラント 冷却能力 54.3kW(4.15K) 97kW(20K) 660kW(84K) 6.2 SSC計画の経緯 (1) SSC計画誕生の背景 SSC(Superconducting Super Collider)は、高エネルギー物理学研究のために用いられる粒子加速器で、超電導マグネットを利用したコライダー型であることからこのように呼ばれる。SSC計画が誕生した背景には、第一に「質量の起源の探査」という知的課題の解決があったことを指摘することができる。 1968年にワインバーグ・サラム理論(GWS理論)が出され研究が進んだ結果、理論的に予言されたヒッグス粒子と呼ばれる粒子の探索が素粒子物理学者らの共通課題となった。 そこでこの目的を達成させるために必要な加速器の仕様について、世界の高エネルギー物理学者たちによって構成される「将来の加速器に関する国際委員会(International Committee for Future Accelerators. 以下、ICFAという)」を中心に検討が行われた。 ICFAは、75年 3月に世界の高エネルギー物理学者たちが集まって、ニューオリンズで国際シンポジウムが開かれ、ここで、超大型加速器( Very Big Accelerator, 以下 VBAという)を国際協力で建設するための国際委員会の設置が提案されたことを受けて設立された組織である。第 2回目にあたる 76年 5月の組織委員会において、VBAの規模について、陽子加速器については 10TeV、電子―陽電子コライダーについては 100GeV以上のエネルギーレベルにするという申し合わせがなされたのを受けて、76年に IUPAP(物理学国際連合)の傘 3[近藤 1991: 743]. 下に「将来の加速器に関する国際委員会( International Committee for Future Accelerators, ICFA)」が設置された。メンバーは西欧(CERN加盟国)、米国、ソ連がそれぞれ 3人、 Dubna加盟国(ソ連以外)、日本がそれぞれ 1人、それに IUPAP1人を加えた合計 12名から構成されていた(後年、中国と第三地域が 1名ずつ加入した)4。 ICFAの目的は、「将来の高エネルギー加速器が単一の国または地域で建設できる規模を凌駕することを憂い、超大型の加速器(VBA)を世界的な協力で建設することを推進し、また、世界各地の高エネルギー物理学の研究施設の国際的な共同利用や施設間の国際協力を推進すること」にあった。 ICFA発足以降、VBA構想は次第に具体性を帯びたものとなっていった。実際、その後 78年から 79年にかけて行われた ICFAのワークショップでは、VBAに関する具体的な提案が出され始めた。ところが、VBA建設の実施主体として、特に重要な地位を占めた米国と CERNはその後、VBA建設をめぐってしのぎを削り始めるのである。それと同時に、米国では、HEPにおけるリーダーシップ維持に対する懸念が醸成されていった。 こうして 1982年 6月、スノーマスで開かれたアメリカ物理学界粒子と場の部会(APS-DPF)において、SSC計画の前身である「デザートロン」計画が誕生することになる。 こうした動きに対しては、HEPAP(DOE高エネルギー物理学諮問委員会)も積極的に後押しをした。83年 7月、HEPAPは、国内計画であるブルックヘブン国立研究所の計画(Colliding Beam Accelerator, CBA)を中止し、SSC計画を可及的速やかに推進することを勧告したのである。 このように、高エネルギー物理学者という研究者の間では、科学者集団の性格上、 VBAというプログラムがなぜ必要とされるかに関する理念の共有は図られていたものの、その設置場所、国際協力形態等に関しては必ずしも国際的な共有が図られず、むしろ米国の単独主義的な行動がみられたのである。 そこで ICFAは、その本来の目的に即して、こうした米国の単独主義を是正しようとした。 83年 7月の第 8回 ICFA委員会では、SSCおよび CERNの LHC計画については、ICFAで検討すべきであるとの決定がなされた。ところが、 84年 5月に KEKにて開かれた ICFAセミナーにおいては、ICFAは「各国・各地域の計画に裁定する場ではない」5ということになり、VBAに関する全世界的な国際協力の合意は成立しなかったどころか、ICFAはその任務の変更を余儀なくされ、「超高エネルギー加速器の建設と利用のあらゆる面で国際的な協力を奨励するために、各地域の研究施設の現状と将来計画についての情報交換や共同利用についての会議を組織する」ことになったのである。つまり、 ICFAは当初の目的のような、世界の全高エネルギー研究施設の運営を統括する組織から、円滑な運営を行うための“お膳立て機関”へと変革を余儀なくされたのであった。 4日本学術会議物理学研究連絡委員会原子核専門委員会 1994: 7 5日本学術会議物理学研究委員会原子核専門委員会 1994: 7 (2) SSC計画の実行段階 こうして背景をもって始まった SSC計画は、以下の 3つのフェーズを通じて実現化への歩みをたどり始めることになる。 @フェーズ0[83年] フェーズ 0は、RDS(Reference Design Study)と呼ばれる加速器の技術的フィージビリティの検討である。代表は、加速器物理学者のモウリー・ティグナー( Maury Tigner)が務めた。その結果、総コストは、 6年間で 27〜30億ドルの見積とされた。ただし、研究装置、建設前にかかる研究開発費、用地取得費用は含まれていなかった。 RDSは、米国の研究者がほぼ単独で行ない、国際共同態勢はとられなかった。 Aフェーズ1[84年〜88年](代表:Maury Tigner) フェーズ 1は、CDG(Central Design Group)と呼ばれるグループが、@ SSCで使用すべきマグネットの選択、A建設サイトの条件に関わる検討を行い、それらの検討の結果、 86年 3月に概念設計報告書(Conceptual Design Report、CDR)が提出された。 CDGの代表も RDSと同様ティグナーが務めた。@のマグネットの選択については、特に口径問題との関連が重要であった。マグネットの口径が小さければ、総コストの引き下げになるものの、磁場の質的低下が起こる。ところが、逆に口径が大きければ、総コストが上昇する。このようにマグネットの口径と総コストはトレード・オフの関係にあった。 しかしながら、85年 8月、ブルックヘブン・バークレイ案、フェルミ国立加速器研究所(FNAL)案、テキサス(Texas Accelerator Center, TAC)案の 3案が検討された結果、ブルックヘブン・バークレイ案が採用された。(テキサス案は不採用となった)ただし、それは FNALが低温システムの開発に関する任務を受けもつという条件が付されており、事実上、マグネットの開発は既存の研究機関が請け負うことになっていた。 ともあれ、87年 1月にはレーガン大統領の承認も得られ、同年 4月から始まった建設候補地の公募の反応も上々で、35州 43の地域が誘致に名乗りを上げるまでに至った。ところが同年 12月に候補地が 8箇所に絞られてからというもの、米国議会を中心に批判論が高まることになる。88年には議会予算局( CBO)が『SSC建設のリスクとベネフィット』と題するレポートを提出して議会に精査を呼びかけていた。 Bフェーズ 2[89年〜] フェーズ 2は、SSC研究所(SSCL)が設立されて以降の期間をさす。89年 1月に新設された SSC研究所(テキサス州ワクサハチ)をもとに SSCプロジェクトの運営体制が固まった。SSCLの管理運営は、URA(大学研究協会)に任され、URAが指名したロイ・シュビッターズ(Roy Schwitters)が SSCLの初代所長に就任した(CDGのティグナーは SSC 計画から離脱した)。 SSCLにおいてプロジェクトの国際的な運営体制の観点から重要な組織は、所長の諮問機関として設置された Scientific Policy Committee, SPCと Program Advisory Committee, PACである。SPCは、米国の大学や高エネルギー研究所から 8名、ヨーロッパから 5名(うち CERN2名)、カナダ、ソ連、イスラエル、日本からそれぞれ 1名の合計 17名で構成された、研究所の科学行政全般について所長に勧告する任務を担っていた(公式報告は、内外の主な研究機関に送られることとなっていた)。一方、PACは、SSC建設後の実験に関して、各実験グループから提出された実験提案書( Expression of Interest, EOI)を検討した。 完成後の SSCで実験を希望していたグループは、90年始めには SDC、L*、1034、 EMPACT/Texasの 4グループがあり、90年 5月にそれぞれのグループは、SSCLに実験提案書を提出した。ところが、PACがこれらの提案書をレビューした結果、11月になって、 SDC、L*、EMPACT/Texasの 3グループに再編され、これらがそれぞれ予備提案書( Letter of Intent, LOI)を提出した。このうち日本との関係が最も深かったグループは、 SDCグループであった。SDCグループは、ソレノイダル・コイルと呼ばれる粒子検出器を用いて実験を行う国際共同グループであり、日本以外にも米国、ロシア、中国、イタリア、カナダ等の国々から構成された総勢 933名(92年 10月現在)にもなる最大規模のグループであった。そのうち、日本の高エネルギー物理学研究者の参加者は 102名にも及び、これは米国に次いで 2番目の割合を占めていた。そして、日本で SSC計画に参加を予定していた研究者のほとんどは、 JSDグループを結成して SDCに参加していたのであった。 一方、加速器建設については、設置場所がテキサスに決定した後、当時ドイツの HERA加速器の磁石に関する情報が寄せられ、詳細なシミュレーションの結果、確実に働く加速器にするためには、これまでの加速器設計に幾つかの変更が必要ということになった(真木 1996: 75)。加速器の設計変更提案については、これ以前にも、 85年 12月に可決された「1985年の均衡予算ならびに緊急赤字抑制法(The Balanced Budget and Emergency Deficit Act of 1985)」、通称グラム―ラドマン―ホリングス法( Gramm- Rudman- Hollings、 GRH法)への対処から、レーダーマンによって、陽子―反陽子コライダーによってコストダウンを図るというプログラムの改善案が提案されたことがあった。もっとも、陽子―反陽子コライダーは、陽子―陽子コライダーよりも動作が不安定で、さらに 200万ドル程度の節約にしかならないことが明らかになったため、実際に変更されることはなかった。 89年末に開かれた第 1回加速器国際諮問委員会( MAC)では、ビーム力学や超伝導技術等の観点からより信頼性の高い加速器にするべく、86年に CDGから提出された概念設計書に示された加速器のパラメータに関する変更提案がなされた。主な変更点としては、1)入射用の高エネルギーブースターのエネルギーを 1TeVから 2TeVとすること、2)双極電磁石の口径を 4cmから 5cmとし、コイルの径も大きくすること、3)偏向電磁石の短縮化とビームの収束性の強化、4)さらに細い超伝導フィラメント( 6μから 3μ程度へ)を利用することであった。 しかし、SPCで検討された結果、物理学的な目標を達成するために、初期の設計どおりで進めることとなった。SSCは前代未聞の性能をもつ加速器であったため、プロジェクトが開始されてから以降も、設計面では依然として手探りの状態が続いていた。研究には本来試行錯誤が付きまとうが、SSC計画のように巨大となれば、少しの変更でも大きな変化となってあらわれることになったのである。 (3)日本との関係 こうした設計変更もあって、SSCの総コストは 90年には、82億ドルにまで膨らんだ。そこで SSC計画の総コストから連邦政府予算およびテキサス州政府負担分を除いた残り約 3分の 1程度を海外から調達するという道が模索された。そこでもっとも資金調達の見込みが高いと目されたのが日本であった。日本政府に対しては建設費用のうち 15〜17億ドル程度の協力が要請されたものの、こうした米国からの協力要請に対しては、物理学者を中心として、SSC計画の物理学上の研究目的の意義は認めつつも、その一方で他分野へのしわ寄せの可能性が高く、それは引いては国内の基礎科学研究の基盤を危うくするのではないかという危機感もあって激しい批判が沸き起こった(久保 1991)。 しかしながら、ブッシュ大統領から海部総理宛に SSC計画に参加するよう親書が届けられたことや( 90年 5月)、また 91年 4月にカリフォルニア州ニューポートビーチで開催された日米首脳会談において同じくブッシュ大統領から海部総理宛に口頭で SSC計画への参加要請がなされるなど、米国から盛んな協力要請がなされたこともあって、92年 1月のブッシュ―宮沢会談において日米間では、合同作業部会を設置して検討を行うこととなった。合同作業部会には、パネルとよばれる作業部会のサブワーキンググループがつくられ、学術的意義と技術的フィージビリティに関する議論が行われた。そして、 DOEをはじめとした米国政府と、日本の各省庁とのあいだで、 SSCのコスト、技術的フィージビリティに関する詳細な質疑応答が行われたものの、具体的な結論にまで至ることはなかった。 表2-6-2当初見積り(1986年)と1990年時点の乖離度(単位百万ドル)6 CDR SCDR DOEベース乖離度 乖離度 (1986)@ (1990)A ラインBA―@B―@ 加速器システム 758 1082 1128 324 370マグネット 1186 1904 2040 718 854通常の建設費 776 1052 1073 276 297プロジェクト管理 26 49 248 23 222予備操作,R&D等 772 976 875 204 103試作費 752752 760 0 8基本費用(1990会計年度) 4270 5815 6124 1545 1854エスカレーション 867 1102 1282 235 415偶発配慮 757 920 843 163 86 総プロジェクト費用 5894 7837 8249 1943 2355 SCDR: Site-specific Conceptual Design Report 一方、日本国内においても、自民党の基礎研究基盤の整備と国際研究協力の強化に関する特別委員会(中村喜四郎委員長)や科学技術会議において日本の SSC計画参加に関する検討が行われ、前者では国内の研究基盤の整備が重要であることを認めつつも、他方で SSC計画への参加協力を念頭においた先進国との国際研究協力を強化するための新しい枠組み作りが模索されたものの、実現には至らなかった。その間に、米国議会ではますます批判が高まっていった。議会では、 92年以降になると SSC建設予算を削除する修正案が幾度となく提出されるようになっていった。そしてついに 93年 10月、議会で SSC計画を終了する決議が採決されたのである。 もっともここでの反対論は、単に危機感だけから発せられたものだけというよりかは、日本が国際貢献を果たすに当たっては、まず日本の大学や国立試験研究機関の整備を行うことが緊急の課題であるというものであった。 6.3 SSC計画の特徴と問題点 (1) 幹事国主導型国際科学協力としての SSC計画 以上のように、SSC計画、特に加速器の建設に関しては、米国主導で始まったものである。フェーズ 2以降の SSCの概念設計がほぼ固まった段階においては国際的にも、また関係者以外にも開かれた態勢となったものの、フェーズ 0や 1など、概念設計の段階においては、「世界の専門家の意見を入れ、かつ、世界の研究者に解放してきたが、本質的に米国の国内計画」(真木 1996: 78)であり、「決定権はすべて米国の機関が持ち、米国一国によって運営されていた」(真木 1996: 78)。つまり、SSC計画は、米国という幹事国が単独に主導権を握ってプロジェクトを立ち上げ、概念設計がほぼ完成してから、参加各国を募る国際共同研究の方式(これを仮に幹事国主導方式という)であったということができる。 6[DOE Office of Energy Research 1991]をもとに筆者作成。 だからこそ、プロジェクトの早い立ち上がりを可能としたのである。また国際協力の形態としても、米国を中心に各国と個別に二国間協定を結ぶという形態(これを仮に「スター型国際科学協力態勢」と呼ぶ)となり、 CERNのように多国間協力ではなかったのである。もちろん、同様の国際協力の形態は、ドイツのDESYのHERA加速器でもとられたものの、 SSC計画の場合、参加各国にとってそれは米国の単独主義的な行動に基づく研究プロジェクトであると写ってしまったのである。 (2) ICFAの機能の変化 第二に指摘できる点としては、ICFAの統率力の低下である。先述のように、83年 7月の第 8回 ICFA委員会では、SSCおよび CERNの LHC計画については、ICFAで検討すべきであるという決定がなされたにもかかわらず、84年5月のICFAセミナーにおいては、 ICFAの統率力を奪う決定がなされてしまった。このように ICFAが世界の全高エネルギー研究施設の運営を統括する組織から、円滑な運営を行うための“お膳立て機関”へと変革を余儀なくされたことが、幹事国主導方式を基盤とする高エネルギー物理学の同盟組織を模索する道を誘発することになったのである。 もちろん、ICFAそのものに内在する限界もあった。第一に、そもそも ICFAは各国が対等な立場で参加して意思決定を行う場であるため、それ自体が強い権限を有するわけではないからである。また、第二に、ICFAのガイドラインは、「当該装置を運用する研究機関は、実験グループに対して、加速器ないしは衝突型装置のランニングコストの負担、ないしは、関連する実験領域の運転費用を要求することを禁ずる」というものであるが、これは実験に関わる運営規定であって、加速器建設に関わる運営規定ではないため、 SSC建設に関して ICFAのガイドラインを適用することは困難である。このようにみれば、 ICFAが各国各地域の計画を裁定することは限界があったといえる。 (3) 国際協力の意味内容の変化 米国で SSC計画の概念設計活動が行われていた 80年代には、日本ではトリスタン (Transposable Ring Intersecting Storage Accelerators in Nippon, TRISTAN)が建設中であり、SSC計画への参加はあくまでも実験への参加という範疇を超えるものではなかった。例えば、日本の高エネルギー物理学者たちは、トリスタン建設中の 1984年頃から、すでに高エネルギー委員会のもとに置かれた「次期計画検討小委員会」(委員長長島順清)を中心としてトリスタンに続く将来計画について検討を始めており、 2年間にわたる検討の末、次のような提言をまとめていた。「1. TeV領域の電子リニアコライダー(線形衝突加速器)の国内建設を目指した加速器の R&Dに直ちに着手する。2. SSCにおける国際協力実験を推進する。7」。つまり、SSCにおける国際協力実験の推進といえども、それは検出器を作 7日本学術会議物理学研究連絡委員会原子核専門委員会 1994: 21 成し、それを米国に持ち込んで国際協力実験という意味付けしか与えられていなかったのである。ところが、SSC計画における国際協力とは、実験よりもむしろ建設段階における資金協力を含めた協力であった。国際協力の意味内容が変化していたのである。 6.4ビッグ・サイエンスにおける国際協力のマネジメントへ向けて―国際科学協力の諸類型 以上を踏まえて、以下ではビッグ・サイエンスにおける国際科学協力のマネジメントに関する個別具体的な方策というよりも、むしろビッグ・サイエンスにおける国際協力の現状と今後の方策を考える上で必要な分析の視点について若干の考察を行うことにしたい。前述のように、SSC計画が幹事国主導方式の国際科学協力という特徴を持っていたことをもって米国の単独主義であるということは可能であるが、しかしその一方で、各国各地域の機関が適度な競争原理に基づいて研究を行うこと(これを仮に多元化路線とよぶ)は、単一の機関に一元的に集約すること(仮に一元化路線とよぶ)よりも研究の進展にとって有意義であることはいうまでもない。多元化路線は研究の網を広げることになると同時に、異なる手段が併用されることによって同一対象に対するクロスチェックが可能となるというメリットもある。そうであるからこそ、この路線は広く科学研究一般で行われている研究様式となっている。ところが、近年ビッグ・サイエンスにおいては、核融合研究における国際熱核融合実験炉(ITER)計画のように一元化路線をめざす動きもある 8。これに対して SSC計画では、CERNの LHC計画等のような強力なライバルが存在することから考えれば、むしろ多元化路線に近い状態にあったといえよう。 一方、国際協力の形態でいえば、さきほど述べたように SSC計画は、米国という幹事国が単独で主導権を握ってプロジェクトを立ち上げ、概念設計がほぼ完成してから、参加各国を募る幹事国主導型国際協力であったという特徴を持つ。これに対して、ITER計画では、むしろ各国の機関が対等な立場で研究計画を進めるような方式である。これを仮に民主的方式と呼ぶことにすれば、国際協力の形態としては、幹事国主導方式と民主的方式の 2つの形態があるということができる。 これをさきほどの、一元化路線と多元化路線との相違と組み合わせれば、概念的には図 2-6-1のような類型化ができよう。 このなかで最も標準的な研究様式は、民主的多元化路線とでも呼びうるものである。一般に想起される科学研究はこの類型に属する。このいわば対極に位置するのが、幹事国主導的一元化路線であり、現状においては、このタイプの国際科学協力は存在しない。そしていわゆるビッグ・サイエンスと呼ばれる型の科学研究はこの類型で言えば、SSC計画のような幹事国主導型多元化路線ないしは ITERのような民主的一元化路線のいずれかであ 8 CERNのような多国間協力の枠組みは、一元化路線の典型例であるかと思われるかもしれないが、ここでいう一元化路線とは、分野内における研究機関ないしは研究装置を一元的に統合することという意味である。 る。 図 2-6-1 国際科学協力の諸類型 ところが、このいずれの形態も一 長一短がある不安定な国際協力の形 態である。幹事国主導的多元化路線 一元化路線 は、幹事国が主導することで、プロ ジェクトの早い立ち上げを可能とす るメリットがある一方で、幹事国の 国内条件に縛られる要素が強く、何 よりも参加各国にとっては単独主義 と写るデメリットがある。他方、民 主的一元化路線は、逆に参加各国が 多元化路線 民主的に意思決定できるというメリ ットがある一方で、プロジェクトは 遅々として進まないというデメリットがある。その点からすれば、幹事国主導型一元化路線によって集権的かつ一元的にプロジェクトを進めるのがプロジェクトの進展を第一目標とするならば最も効率の良い形態であるということができる。そのためには、 ICFAの統率力を復権するかないしはこれに代わる新しい組織を確立することも一つの方法であろう。 もちろん、それは特定の組織が独裁的に決定するのであるから、分野内の競争的な環境は著しく阻害される可能性がある。しかしプロジェクトを成功させることによって理論的予想を検証するという知的好奇心の満足を最優先課題におくのであれば、分野内の競争的環境という科学者集団の伝統的な規範は、少なくともビッグ・サイエンスにおいては犠牲にしなければならない状態となっていることは確かであろう。分野内の競争的環境という科学者集団の伝統的な規範を優先するか、知的好奇心の満足を優先するか。ビッグ・サイエンスにおいては、これら 2つの課題はなかばトレードオフの関係にあり、その過渡的形態として SSC計画(競争的環境を知的課題の解決よりも相対的に優先する形態)や ITER計画(知的課題の解決を競争的環境よりも相対的に優先する形態)のような形態が生まれたということができよう。今後のビッグ・サイエンスにおける国際科学協力では、こうした類型的な特性を念頭においた上でのマネジメントが必要であると思われる。 文献(アルファベット順) 綾部広則 (1996), 「国際共同研究体制下における科学者集団の構造― SSC計画をめぐる日本の高エネルギー物理学者の論争をもとに」『年報科学・技術・社会』, 5, 21-44. 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我が国の科学技術国際協力に係る経費の総額は約2700億円で、科学技術関係経費の9%弱に相当する。科学技術関係経費総体が増加傾向にある中で、国際協力のための経費はほぼ横ばい傾向である。ただし、このことは国際協力が停滞していることを意味しているわけではない。最近は国際協力が浸透し、一般的な共同研究の枠組みの中で扱われるようになってきた結果、予算上で国際協力として明確に区別されなくなったためであると思われる。 ・ 国際協力の形態別にみると、国際共同研究開発・科学技術協力のための制度のための経費が全体の半分、国際機関等を通じた研究協力のための経費が約4割、研究者交流のための経費が約1割となっている。ただし、宇宙/原子力関係のプロジェクト経費を除く一般の研究開発プログラムのうちの半分は、国際機関等への拠出金や分担金といった国際機関 等を通じた研究協力経費が占める。 ・ 科学技術国際協力関係経費全体のうち、宇宙/原子力関係のプロジェクト経費が約 1/3を占め、そのほとんどは国際共同研究開発・科学技術協力経費である。 ・ 科学技術国際協力を研究分野別にみると、工学・技術の分野に属するものが55%を占める。ただし、そのほとんどを宇宙/原子力分野が占めている。 ・ 我が国の国際協力経費の多くは多国間協力に当てられ、二国間協力に費やされるものは少ない。宇宙/原子力関係の分野では、欧米先進国と多国間協力で工学・技術の分野の協力が主であるが、一般の研究開発プログラムに関しては、アジアを中心とした各国とのあいだの自然科学・農学・医学の分野での協力も多い。 ・ 発展途上国との協力経費の多くは政府開発援助などを主とした国際機関等への拠出金や分担金といった資金提供が主たる協力形態であり、ほとんどはアジア地域との協力である。また協力分野としては、農業関係、地球・環境、エネルギー、製造技術の分野が多い。 1.2事例調査 ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)、インテリジェント・マニュファクチャリング・システム(IMS)、ヒト・ゲノム・プロジェクト (HGP)、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)、高エネルギー物理(HEP)の5つの科学技術国際協力の事例を取り上げ、国際協力プログラムとしての設立過程から実施に至るまでの状況を調査し、知見や課題を抽出した。 (1) HFSP HFSP(ヒューマン・フロンティア・サイエンスプログラム)は「脳機能の解明」と「生体機能の分子論的アプローチの解明」の二つの学際的な分野における基礎研究を対象に、日本が主導した国際共同研究プログラムである。日本の総理大臣諮問委員会や各省庁からの提案からスタートし、様々な問題に直面しながらも 5年をかけて、1989年から活動を開始した。 ・ アクターの段階的拡大とそれに伴う制度設計の精緻化 HFSPでは交渉は、まず日本国内の単一省庁レベル(省庁やその内部委員会)から始まり、省庁横断レベル(旧科学技術会議や省庁連絡会)、科学者を含んだ国内フィージビリティ・スタディ、国際フィージビリティ・スタディ、さらに、日本以外の科学者を含んだ賢人会議、各国政府トップによるG7サミット、政府間会合というように、研究者・政府の双方で段階的に拡大されていった。これにより、理念が次第に浸透していくとともに、それら拡大されたアクターが次には支援者として機能することで、さらなる拡大と浸透が行われることが可能となった。同時に、このように各国の多様なアクターが段階的に含まれ ていくことにより、初期のプログラム案はそれら各アクターそれぞれの利益を保証するよ うな制度へと具体的に設計された。 国際共同プログラムの種類によって、このように順に拡大していく展開が良いのか、あるいは、ある時点で一度に全ての関連アクターを巻き込む展開が良いのかは一概には言えない。だが少なくとも、利害関係を有する関連アクターをもれなく巻き込んでプログラムの制度設計を行い、アクター間の合意を得ていくことは必要なプロセスであると言える。 ・科学者主導の基礎科学プログラム制度の設計 HFSPは基礎研究を対象とした共同プログラムである。そのため、プログラムの内容や制度を設計する際には、フィージビリティ・スタディにおいて科学者が中心的に関与した。これは、日本国内だけでなく国際レベルにおいても同様であった。国際フィージビリティ・スタディを行い、その結果が「賢人会議」により各国の著名な科学者の間で合意され、それを通じて各国行政府へ支援を求めるという展開がしばしとられた。 このように科学者が国際的なコンセンサスを形成して各国の政策の意思決定に影響を与えるという特徴は、一面ではEpistemic communityと称される専門家集団の役割と等しい。すなわち、専門家集団はその専門分野における価値観や政策志向性を国境を越えて共有しており、それを基に国際交渉の場で政策決定者に働きかけを行い、帰結を一定の方向に誘導する機能を果たす。HFSPの場合は、基礎研究における国際共同の重要性という価値観を共有する場を、賢人会議やいくつかのワークショップによって意識的に形成することによって、専門家集団である科学者が政策決定者に働きかけを行ってきたと言える。 だが、他方で、HFSPの場合は、科学者は政策的課題のアドバイザー的立場ではなく、研究費を得る利益集団である。そのため、共同の必要性という大枠は共有されても、具体的な重点分野については各研究者の専門分野や信念が相違を生むことになった。プログラムの運営においては、それら理念をいかに運営者や研究実施者に共有させるかが重要となる。 HFSPでは、このように科学者主導でプログラムの設計がなされた結果として、他プログラムでは見られないような研究者にとって望ましいフレキシビリティの高い制度を形成したことは高く評価されている。実際のプロジェクトの採択も、厳正なピア・レビュー方式を採用することにより、科学者共同体が研究の質を保証している。HFSPは基礎研究を対象とするものであるからこそ、科学者にとって望ましいマネジメント方法を科学者らによる議論を基に設計することで、実際に科学者がプロジェクト実施者として HFSPへ参加するインセンティブを形成することに成功している。 ・国際共同の必要性の明確化とインセンティブ連鎖の制度設計 基礎研究は本質的には国境により区分されるものではないため、国際共同を必要とする理由は潜在的に存在する。だが、様々な政策的課題が国内・国際にある中で、なぜ HFSP という生物科学分野の新たなプログラムを設立して、公的資金を提供しなければならないのかという必要性は必ずしも明確ではない。HFSPは「国際貢献(貿易摩擦などの解消)」という日本独自の問題意識から始まった。そのため、各国行政府にとっては既存の国内プログラムと分野が重なるプログラムへ新たな資金提供を行うインセンティブは提供されていない。逆に不利益を生じる疑念という、参加へのディスインセンティブが形成されていたとも言える。 本来、各アクターが進んで参加するような自律的なプログラムを形成するためには、アクターの間でインセンティブが連鎖するような設計を行うことが必要である。HFSPでは、初期段階ではそのような設計が明確にはなされておらず、段階的にアクターが増えることにより、何が各アクターの参加へのインセンティブとなり、何がディスインセンティブとなっているかが次第に明らかになり、それをプログラムの制度として具現化させるという対応をとってきた。 だが、一方で現在においても、各国政府が進んで資金提供を行うようなインセンティブは実際のところ設計されていない。いくら資金提供を行っても資金提供先の選択とは一切関係ない。それ故に、資金面では HFSPは自律的なシステムとしては成立していない。 プログラム設計においては、利害関係を有するアクターがプログラムに自ら進んで参加するような目的や制度設計を当初から志向し、アクター間で相補的な利益が得られるようにすることが必要である。 ・試行的実施とレビュー HFSPでは、設立のあともプログラムの潜在的な諸問題を把握するために、数年間のテスト期間を設けた。さらにその後も運営は時限を区切っており、終了においてレビューを実施することで、継続的運営の必要性や理念の変更、制度の修正の必要性を議論している。これにより、初期の「共同の必要性」が変化し、あるいは資金や研究分野に新たな問題が生じたときに変更できるような動的な運営を可能としている。 このような異なる利害関心を有する複数のアクターが関与する国際共同プログラムでは、時限の試行とレビューが必要なプロセスであろう。 (2) IMS インテリジェント・マニュファクチャリング・システム(IMS)プログラムは製造技術分野における国際共同研究プログラムであり、製造オペレーションの高度化、技術者の質的向上・量的拡大、知識の継承のための学問分野の発展、新しい技術・知識の世界的普及、市場の拡大とオープン化を目的とする国際共同プログラムである。1995年に開始された。IMSも HFSPと同様に日本が提案したプログラムであり、その展開の仕方も日本から各国それぞれへと交渉を行い、合意を形成し、制度設計を行っていくという方法をとった。 ・ 課題の展開とアクターの拡大 IMSにおいても段階的にアクターが拡大される方法をとっている。 HFSPとあわせて考察すれば、一国がイニシアティブをもってプログラムを設立する場合の展開は、課題把握からプログラムアイディアの創出、プログラム案の初期構想、その共有、制度の精緻化、フィージビリティ・スタディ、制度の合意、時限的実施へと段階的に展開するものである(ただし、HFSPと IMSでフィージビリティ・スタディが意味する所は異なるため、その順番は変わりうる)。 また、各段階で関与すべきアクターは省庁内委員会から、省庁全体レベル、省庁横断レベル、国内研究者を含んだ委員会、各国研究者からなる委員会、政府間交渉、フィージビリティ・スタディ実施委員会、正式な運営組織へと展開する。さらに、そこで議論されるべき具体的内容は、プログラム目的や事業内容の概略から始まり、重点分野、実施体制、知的所有権、プロジェクト選択方法、資金分担、運営組織構造、タイムスケジュールと、より具体的な制度内容の設定が段階的に求められる。もちろん、目指すプログラムの種類によってこの順番やその中での具体的な内容は変わりうるものであるが、今後新たなプログラムの設立を行う場合にもこれを一つのロードマップとして展開することができる。 ・国際共同の必要性の明確化とインセンティブ連鎖の制度設計 段階的に議論が展開する中で、常に問題となるのは、本当に国際共同を行う必要があるのかというプログラムの目的である。IMSでは当初は日本政府は「国際貢献」という名の下で、民間企業内部の技術の標準化・体系化による技術移転を行い、さらに公的資金を提供して先端的な共同研究を行うことで、自国の貿易摩擦批判の解消を目指していた。しかし実際には、他国政府にとっては共同を行う必要性が明確でなく、さらに主導側である日本への疑念も生じ、また民間企業にとっては「ポスト・コンペティティブ」研究を行うインセンティブが提供されなかった。そのためプログラムはプレ・コンペティティブな研究により焦点を移動させ、それによって参加企業や米・ ECという先進諸国にとっても参加へのインセンティブが生じることになった。 このように、当初の課題把握やプログラム構想において、真に国際共同を必要とする目的を設定しなければ、プログラムは多くの交渉を必要とし、その基本概念も変更せざるを得なくなる。ただし、プログラムの必要性は明確に一つと設定できるものではなく、各利害関連アクターからみた必要性を考えなければならない。たとえ「製造業分野の投資の重複の回避」というような国際共同の必要性が示されたとしても、各国の政府や研究実施者にとっては競争力の相対的低下や資金拠出の余裕資金の有無など様々な問題が同時に生じる。そのため、全体としての国際共同の必要性とともに、各アクターにとって進んで参加することが誘因されるようなインセンティブが制度として設計されなければならない。 IMSで特徴的であったのは、そのような制度設計として知的財産権(IPR)が重要であった点である。IPRガイドの制定により、たとえ全て自己資金で参加しなければいけない国の企業であっても、プロジェクトに参加している企業からの特許を許諾料なしで用いることができるというインセンティブがあり、逆に参加しなければそのようなコンソーシアムから除外される不利益が明らかになった。これが参加へのインセンティブを設計していると考えられる。 また、参加企業の研究活動に対して各国政府が独自に資金提供を行うという体制を取ることによって、コストと利益とのバランスも考慮されることになり、以前に生じた疑念も解消されていった。このように、政府および研究実施者が進んで参加するような制度設計をいかに初期段階から構想するかが、プログラムを問題少なく実施させるために必要な要因になると考えられる。 (3) HGP ヒトゲノム計画(HGP)とは、ヒトの細胞核にある 22対の常染色体と2本の性染色体に含まれるDNAの全塩基配列を解読する国際プロジェクトである。この推進母体であるヒトゲノム解析機構(HUGO)は、1988年に設立された。ヒトゲノム計画を推進し、協調体制を築くことを目的とした研究者の自主的な組織である。同計画には、世界各国から 16チーム(2000名)の研究者が参加した。1998年 9月までに、ヒトゲノムのほとんどすべての部分の担当研究機関が決まり、その分担にしたがって研究が進められている。研究者が純粋に興味関心に従って対象を決めて解析をするという従来型の学術研究とは異なり、ヒトゲノム全解読という目標を定めて参加機関の間で役割を分担するという方法が採られている。 ・ HGPの経緯 米国においては、当初、米国エネルギー省(DOE)が、ヒト遺伝子解析計画について先行していた。当初は、DOEとNIHが別々に同計画を開始したが、1986年から 1988年にかけて両者間の主導権争いがあり、議会は2つの省を協力させる法律を計画した。これを受けて、両省は協力を確約し、共同計画立案に合意した。 日本では、1981年に科学技術振興調整費「DNAの抽出・解析・合成」プロジェクトが始まり、シークエンサーの開発において諸外国をリードしていた。米国のワトソンは、このプロジェクトの進展を、米議会にヒトゲノム解読に対する予算の支出を認めさせる材料として利用した。このことが、1988年より米国で行われたパイロットプロジェクトの形成に寄与したと考えられる。 このような中で、1988年に、ヒトゲノム計画を推進し、協調体制を築くことを目的とした研究者の自主的な組織としてヒトゲノム解析機構(HUGO)が設立された。そこでは、どのチームがヒトゲノムのうちどの部分を読むかという分担を自主的に決定した。各国のチームは、それにしたがって、それぞれ研究を進めることになる。 一方、日本においては、ゲノム研究のための特別予算があるわけではなく、科研費など既存の予算枠を集めてゲノム研究に振り分けているため、予算規模を大きくすることが困難であった。1989年にワトソンは、「日本がヒトゲノム計画に応分の協力をしなければ、この計画から生み出される情報や資料にアクセスさせない」と述べ、日本に経費負担額の増大を迫った。フリーライドは許容しないという態度である。この出来事が、日本のゲノム計画を推進する原動力となったとする見方もある。 HGPが進展する中、1998年、民間企業と公的な国家プロジェクトの競争が表面化した。米国のベンチャー企業「セレーラ社」は全ゲノムを断片化して、染色体に関係なく配列を決定した後に、コンピュータで編集して統合させるという「全ゲノムショットガン方式」を採用し、解読を加速化した。一方公的機関は、染色体ごとに分類してゲノム・シークエンスを決める方針を採っていた。 公的研究機関がすでに大規模な取り組みをしている研究対象に民間が参入することは、社会的に見ると単なる二重投資に過ぎないのではないか、という懸念もあったが、このケースでは、官民の競争が生じたことにより、ヒトゲノム計画の解析が加速されたことは間違いない。単にゲノム解読を加速しただけではなく、ライフサイエンス研究そのものの進展をも加速したとみられる。 ・HGPにおける国際協調の特色 国際共同研究を進めるにあたって、研究者主導のプロジェクトの場合は、参加各国の政府に予算を要求する必要がある。その際、各国は、他国の進捗状況を「脅威」として説明したり、あるいは他国にも支出を促していることを説明したりしながら、各国政府を説得することとなる。HGPの進展においてはこのような展開があったと思われる。しかし、このような図式は、「共同研究」ではあるが同時に「競争」という要素も持ち合わせている研究の場合に成立することに留意する必要がある。ゲノム分野は、単に解読するという点では「共同作業」であるが、その先の機能解析をして創薬や診断につなげるという部分では「競争」がある、という性質を持つため、各国政府を説得することができた。 また、HGPにおいては、公的研究機関がすでに大規模な取り組みをしている研究分野に民間が参入するという事態が出現した。このことは、一見、社会的には二重投資であるようにも思えるが、官民の競争によって研究が加速されることも多い。 (4)IPCC IPCC「気候変動に関する政府間パネル」は、1988年 11月に国連環境計画(UNEP)と世界気象機関( WMO)の共催で開始された「各国が政府の資格で参加し、地球の温暖化問題について議論を行う公式の場」である。その役割は、「人為的な気候変動のリスクやその潜在的影響、適応策および緩和策の選択に関する科学的根拠を理解することに関連した科学的、技術的、社会経済的情報を、包括的、客観的立場とともに公開性かつ透明性をもって評価すること」にあり、これまで発表された気候関連の研究論文をもっぱらピア・レビュー方式に基づいて評価し、報告書を作成することを活動の基本としている。本報告書が取り上げた他の4プログラムが効果的な知識生産を行うためにはどういう国際協力の方策が望ましいかという、いわば研究振興の観点を基礎としているのに対して、IPCCの場合、かならずしも知識生産がその第一義的目標ではないという点も、その特色となっている。 ・問題の共有化と議論の場の設定 1980年代において、地球温暖化問題に対する認識は徐々に高まりつつあったが、それは一部の気候研究者とその周辺にとどまるものであった。それが、明確な問題としてそうした一部の気候学者のみならず、政策決定者を含めた広範な人々の間の共通認識となり、国際政治的な課題にまでのぼるようになるのは、88年になってからのことである。88年 6月には米国議会上院公聴会で温暖化問題が取り上げられた。また、同じく 88年 6月には、カナダ政府主催で世界 46カ国から科学者、行政官、産業界、NGOなどの関係者が集まって会議(トロント会議)が開かれた。ここで、2025年までに 1988年の二酸化炭素排出量の 20%を削減することと、国際条約および議定書の策定を含む行動計画が提言された。 トロント会議の提言は、国連にも影響を及ぼすことになった。同年11月には、 UNEP, WMOの共催で、第 1回 IPCCが開催された。さらに、12月に開かれた国連総会では「人類の現在及び将来世代のための地球気候の保護」が採択され、 IPCCは、国連が支援する正式の活動として認められることになった。90年 8月には第一次評価報告書がとめられたのをはじめとして、2001年には第三次報告書がまとめられている。 IPCCが設置されて、第一次、第二次、第三次と報告書の作業が進むにつれて、評価の焦点は、気候変動からその社会経済システムへの影響、温室効果ガス排出の緩和策といった技術策や政策へと移行していった。また、第二次評価報告書からはこれらを意識的に統合したアプローチとして、政策決定者向け要約と政策に関連する科学的、技術的、社会経済的問題からなる統合報告書が作成されている。また、第三次評価報告書からは、自然科学と社会科学の領域横断的な試みが始った。 これらの活動の背後では、政府間交渉が行われた。 IPCCの第一次評価報告書は、気候変動枠組み条約(FCCC)と議定書交渉の場を設置するよう国連総会に求め、91年の国連総会直属の気候変動枠組み条約のための政府間交渉委員会が設置され、92年には、国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)が採択された。その後は、締結国会議(COP)の場で政府間交渉が進められている。現在は、IPCCと COPの両輪で議論が進められている。 ・科学的評価と政策関連性の境界線 IPCCの初期においては、一部の研究者のみが関心を寄せていた温暖化問題、気候変動に関する幅広い最新の知見を科学者から政策関係者に一方的に伝えていればよかった。しかし、IPCCには、各国政府の意思決定に必要な知見の提供依頼を研究者に伝えるという機能があり、それはますます重要になってきている。いいかえれば、 IPCCは、研究者と政策決定者が情報、意図、価値を交換する新しい対話の場、すなわち「ハイブリッド・フォーラ」となっている。 しかしながら、IPCCはハイブリッド・フォーラ特有の問題を抱えている。 IPCCはピア・レビュー方式を基本としているが、科学者以外に各国の官僚や政治家が評価主体として入り込むことになる。とくに政策決定者向け要約の作成に当たってはこの傾向が強い。これらの場合には、研究者集団におけるピア・レビューの範囲を超え、科学的に意味のない議論に巻き込まれることにもなる。 このような状況は、現実の課題に立ち向かおうとする研究者のインセンティブに冷や水を浴びせる結果となりつつあり、研究者のあいだには政策判断から距離を置く傾向も生じる。 研究者の側からみると、この問題は「研究者が関わる場合、政策立案や決定には適切な関連性は持つものの、政策判断には踏み込まないためにはどうすべきか」という境界設定の問題である。IPCC全体では、科学的中立性を可能な限り保持することを重要視する研究者の倫理と、科学的中立性よりも現実の課題の遅滞ない解決に資する政策を求める政策決定者の指向性とをいかに調整するべきか、すなわち、科学的中立性と政策指向のあいだでいかにバランスを取るか、の問題である。 この問題は、科学技術が現実問題に立ち向かう場合には避けられない問題である。今後は、IPCCのみならず、科学技術の貢献が求められる課題の解決において直面する問題となろう。専門分野における価値観や政策志向性を国境を越えて共有する専門家集団、すなわち Epistemic communityが、それをもとに国際交渉の場で政策決定者に働きかけを行う、という図式は理想的ではあるが、現実には乗り越えるべき課題がある。 (5) HEP(SSC計画を中心に) SSC(Superconducting Super Collider)は、高エネルギー物理学研究のために用いられる粒子加速器である。SSC計画は1985年に米国でまとめられたSSCの建設計画であり、1987年にレーガン大統領の承認を受けた。しかし、その後コストの見積をめぐって紛糾し、日本にもコスト負担を要請したが、結局1993年には建設を断念し、計画は終了した。 ・ 国際協力の経緯 高エネルギー物理学研究のために用いられる粒子加速器の大型化にともない、将来の高エネルギー加速器が単一の国または地域で建設できる規模を凌駕するものとなっていった。そこで、超大型加速器を世界的な協力によって建設することを推進し、また、世界各地の高エネルギー物理学の研究施設の国際的な共同利用や施設間の国際協力を推進することを目的に、1976年に「将来の加速器に関する国際委員会」( International Committee for Future Accelerators、ICFA)が物理学国際連合の傘下に設置された。 超大型加速器の建設計画において重要な位置を占めたのが、米国と CERNである。両者はしのぎを削ったが、高エネルギー物理学におけるリーダーシップ維持に対する懸念を抱いた米国が、1982年に、SSC計画の前身である「デザートロン」計画を発表した。高エネルギー物理学者という研究者間の間では、科学者集団の性格上、超大型加速器というプログラムがなぜ必要とされるかに関する理念の共有は図られていたものの、その設置場所、国際協力形態等に関しては必ずしも国際的な共有が図られず、むしろ米国の単独主義的な行動が現れたのである。 そこで ICFAは、その本来の目的に即して、こうした米国の単独主義を是正しようとし、 83年 7月の ICFA委員会では、SSCおよび CERNの LHC計画については、ICFAで検討すべきであるとの決定がなされた。ところが、84年 5月には、ICFAは「各国・各地域の計画に裁定する場ではない」ということになり、超大型加速器に関する全世界的な国際協力の合意は成立しなかったどころか、ICFAはその任務の変更を余儀なくされた。ICFAは当初の目的のような、世界の全高エネルギー研究施設の運営を統括する組織から、円滑な運営を行うための“お膳立て機関”へと変貌を余儀なくされた。 その結果、米国単独の計画として SSC計画が推進されることになった。しかしながら、そのコスト負担が当初の予想以上に大きくなることが判明したため、海外からの資金調達が検討され、日本にも協力が要請された。このため日本国内でも対応への検討がなされると同時に、日米間で合同作業部会を設置して詰めの協議を行ったものの、米国内部でも批判の大合唱が沸き起こり、最終的には1993年に議会が計画の終了を決定した。 2. 政策的含意と課題 2. 1科学技術国際協力に関する教訓 以上の分析から、科学技術国際協力を展開していく上での教訓が得られる。まず、それぞれの分析から導かれる含意や課題を整理しておく。 (1) 科学技術国際協力関係経費の分析から得られた含意、課題等 ・ 国際機関等を通じた協力は、民間企業の国際協力への参加手段として重要な手段となる場合がある。民間企業の国際協力への参加促進は我が国の科学技術の発展にとっても重要と思われ、政府は民間企業の参加についても配慮して国際協力を設計する必要がある。 ・ 研究者交流の中ではアジア地域との交流が最も多い。特定分野での交流や研修制度が設けられているケースが見受けられる。他の地域についても、具体的な研究テーマや研修・教育での交流制度が積極的に展開されるようになれば、双方の目的が明確な中身の濃い交流として活性化される可能性がある。 ・ 発展途上国との二国間協力の締結数は先進国との締結数に比べずっと少ない。国際機関を通じた多国間協力も重要であることは当然のことながら、二国間協力の観点からも発展途上国との協力促進のしくみが検討されるべきである。 ・ アジアを対象とした協力は環境やエネルギーの分野が大きい割合を占めていた。アジアを中心とした発展途上国のエネルギー問題、環境問題などは、地球規模問題の解決にとっても重要な役割を占めるため、今後も積極的な国際協力が必要な分野であろう。 (2) HFSP調査から得られた含意、課題等 ・ 国際共同の必要性の認識の共有 特定の国が提案する国際共同研究プログラムには、資金を拠出して世界中の研究者を搾取しようとしているのではという疑念が生じる可能性がある。他国の政府の疑念を解消するためには、各国の科学者による厳正なピアレビュー制度の導入、研究結果の公開原則などを通じて、公平性や公開性を確保するほか、試行期間の設定とその後のレビューなどにより、特定国が優位な立場になることを防ぐ工夫が必要である。 ・ 各国が資金提供を進んで行うべきインセンティブ設計 HFSPは、日本以外の国からの研究費の分担金割合の低さが問題である。各国の資金提供額と各国が得る利益の大きさとは無関係であり、各国が資金提供を進んで行うべきインセンティブ設計はなされなければ、利益と貢献のバランスが確立されたものとはならない。 ・ 利害関係を有する関連アクターをもれなく巻き込んでプログラムの制度設計 プログラムの運営においては、理念をいかに運営者や研究実施者に共有させるかが重要となるので、設立の検討過程に参加してきた人間が中心的な運営者となることや、採択の審査を行う人間にも理念浸透を図ることなどが必要である。また、基礎研究プログラムを設立する際には、科学者共同体自身が主体的に関与して、自らが参加を誘因されるようなプログラムの制度設計を行うことは重要な点での一つである。 (3) IMS調査から得られた含意、課題等 ・ 国際共同の必要性の認識の共有 HFSPと同様に、特定の国の利益のためのものだとの疑念を生じさせないようにするための工夫が必要である。とくに、IMSのような製造技術に関連する分野、民間企業も参加する場合には、このことは重要である。 ・ 分散的運営体制の利点と欠点 産業競争力に直結するような分野においては、資金提供や運営体制は各国・地域を中心とした構造にしつつも、それらを横断的にマネジメントする国際組織を置くという構造にすることで、各国による民間企業の研究開発支援政策の違いなどから生じる障害はいくらか解消することが可能となる。だが同時に、当然、民間企業がプログラムへ参加するインセンティブの強さも国ごとに変わることになる。さらには、公的資金による支援がない国ではプログラムの中で行われているプロジェクトを評価するべき正当な理由がなくなるため、統一的なモニタリングを欠いた体制にならざるを得ない。 ・ 各研究実施者の参加へのインセンティブ 研究実施者側である企業に対して、プログラムへ参加するインセンティブを制度設計することは必要であり、中でも知的財産権は、各国で知的財産権の法律が異なるため、必要最低限の統一的な規定を作る必要がある。 (4) HGP調査から得られた含意、課題等 ・ ボトムアップかトップダウンか 大規模プロジェクトを進めるにあたって、科学者の興味関心にしたがって個別に研究を進めてもらい、出来上がったところをデータベース化していく、という「ボトムアップ型」あるいは「解決型」の研究体制と、割り振りを決めて機械的に解析してゆくという「トップダウン型」あるいは「先導型」の研究体制のいずれをとるかが問題となる。網羅的に進めるには後者のほうが適しているが、後者だけではなく前者もバランスよく組み合わさるような制度とするのが望ましい。なお、後者の形態をとる場合は、研究者が独創性を発揮できる局面が少なくなってしまうので、研究者の育成施策が適正に図られているか、ということにも注意を払わなくてはならないだろう。 ・ 民間参入の意味 公的研究機関がすでに大規模な取り組みをしている研究分野に民間が参入することは、一見、社会的には二重投資であるようにも思えるが、官民の競争によって研究が加速されることも多いので、民間参入の可能性をなるべく残しておくべきであろう。 ・ 特許戦略の重要性 どの分野においても、また公的研究機関であるか民間であるかを問わず、研究において特許戦略が重要である。政策的な観点からすれば、技術的貢献をなしたプレイヤーに適正に権利が設定されるよう、制度化を進める必要がある。 (5) IPCC調査から得られた含意、課題等 ・ 科学的評価と政策関連性の境界 政治経済的文化的な次元と研究分野の次元という2つの次元の交錯点に形成された議論の場合には、自然科学と社会科学の領域横断的な取り組みがなされる可能性が大きい。また、価値観の異なるさまざまなアクターが関与することで評価軸も多様になり、政策関係者と研究者との軋轢を招く可能性がある。これらの場合には、科学的評価と政策関連性の境界線をどう引くか、科学的評価が扱うべき範囲をどう設定するかが問題となる。 ・ バッファーあるいはインタープリターの必要性上記のような問題を解決するためには、何らかの仕組みが必要である。研究者と政策関 係者の間を取り持つバッファーあるいはインタープリターの役割を担う人材を配置するこ とも一つの可能性である。 (6) HEP調査から得られた含意、課題等 ・ 国際協力の類型的な特性を念頭に入れたマネジメントの必要性科学技術における国際協力においては、幹事国主導的か民主的か、一元化路線か多元化路線かという 2つの軸にもとづく 4類型が考えられる。現在進行中のプログラムないしはプロジェクトがどの類型に位置するかを把握した上でのマネジメントが必要である。 ・ 世界的なマネジメントを行う組織の必要性 超大型加速器のような各国各地域での建設が困難な施設については、世界的な調整組織による研究者集団の意向の集約が必要であると思われる。それが実現できない場合には、各国各地域の単独主義的行動を招くことになる。 2.2横断的課題 ・ 関連アクターの取込みとインセンティブ設計 いずれの事例にも共通するポイントは、関連するアクターを巻き込んだプログラム形成が必須であることである。その過程で、すべてのアクターが納得し、また参加するインセンティブが得られるような仕組みを設計していくことが必須である。しかし、プログラム形成の過程、プログラムのデザインは対象とする領域によっても異なるので、時間をかけて議論を重ねること、試行期間を置くことなどが必要であろう。 ・ 科学の次元と政治の次元 対象とする問題が、現実の問題の解決の場合には、科学技術に関わる側面だけでなく政治的次元も密接に関わってくる。両者が密接に関わる問題であればあるほど、両者の調整は困難なものとなる可能性がある。そこでは単純な Epistemic community論があてはまらない可能性がある。この主の課題は科学技術の役割が重要になればなるほど増えてくると思われる。この問題をいかに解決するかを検討する必要がある。 ・ 知的財産権の扱い 今後は、どのような国際協力プログラムでも知的財産権のマネジメントが必須になってくると思われる。適切な制度設計をすれば、それは協力のインセンティブにもなり、また民間セクターの参加を促すことにもなりうる。 ・ 科学技術国際協力戦略の必要性と困難 日本が主導したHFSP、IMSは紆余曲折があったものの、曲がりなりにも科学技術 分野の国際協力活動として成立した。とくに、HFSPはすでに十年以上の実績を有し、一定の成果を上げていることが明らかになっており、科学技術分野の国際協力プログラムの新しいモデルとして定着した点は大いに評価されるべきであろう。このようなプログラムを我が国が主導して成立させたことは大いに誇れることである。 しかし、それが我が国の科学技術分野における国際戦略や国際政策に基づいたものであるかというと、必ずしもそうではない。HFSPにせよ、IMSにせよ、日本政府には技術摩擦の回避もしくは緩衝という動機があったことは明白だが、プログラムの形成過程においては、そのような話題は脇に置かれ、「いかに純粋に科学技術国際協力プログラムとして望ましいものを設計するか」という方向に論点が移っていった。逆説的だが、日本政府が当初の狙いに拘泥しなかったからこそ、プログラムとして成立したともいえる。結果的に国益にもつながったと考えられる。 我が国の科学技術政策において、HFSP、IMSの事例ほど積極的で、国益を意識した国際協力政策はなかったと思われる。国として国際協力プログラムに関わって行く上では、各国の利害・関心との調整、戦略性は必須であると思われる。しかし、国益の確保は、HFSPやIMSの事例にもみられるように単純ではない。一見したところ国益を追求しないような対応をする方が、最終的には国益の確保につながるという場合もある。国益の確保の方法は、慎重に検討される必要がある。 謝辞 本研究に多大なるご協力、ご助言を頂いた日本原子力研究所の佐藤征夫理事、東京大学の平澤?名誉教授をはじめ、 OECD/GSFの国際科学協力調査に関わる日本側事務局である文部科学省科学技術・学術政策局国際交流官付きの方々に感謝の意を表します。 附属資料事例調査した科学技術国際協力プログラムの概要 1.ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)の概要 @HFSPとは ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)は、 1989年に設立され、現在、日本、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、EUが加盟している国際的な研究助成プログラムである。HFSPは、1987年のヴェネチア・サミットにおいて、中曽根首相(当時)より提唱した国際プロジェクトであり、生体が持つ精妙かつ複雑なメカニズムの解明を中心とする基礎研究を国際的に共同して推進し、その成果を広く人類全体の利益に供することを目的としている。この目的の実現のため、 1989年にフランス・ストラスブールに国際ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム推進機構(HFSPO)が設置された。 A基本原則 プログラムの基本理念には、研究者の「国際協力」の促進、研究者の「独創性」・「革新性」等の最大限の発揮、「若手研究者」の育成・活用、「学際性」の重視、柔軟な事業の運用を掲げられている。 HFSPの助成による研究成果については、学術雑誌などを通じて広く公表されることになる。知的所有権の帰属については、研究当事者間等で適切に処理される。 B事業内容 この基本理念のもとに、HFSPは設立からの約 10年間は、二つの学際的な研究分野の基礎研究、すなわち「脳機能の解明のための基礎研究分野」と「分子論的アプローチによる生体機能の解明のための基礎研究分野」を対象に、研究グラント事業、フェローシップ事業、ワークショップ支援という 3つの事業を行ってきた。 研究グラント事業とは、少なくとも 2カ国の研究者による国際共同研究チームへの 3年間の研究助成である。国際共同研究の内容やそのチーム構成は研究者ら自らが計画をたてて HFSP事務局に申請する。申請書はピアレビュー(メールレビューと審査委員会)によって審査されて助成が決定する。ピアレビューでは、研究の科学的質の高さ、学際性、大陸をまたがるような国際性、研究協力の必要性が評価項目となる。なお、研究代表者は上記の HFSP加盟国の研究者でなければならない。申請額はプロジェクトの大きさ(チームのメンバーの数)などによって異なるが、2003年ではチーム全体として最大 45万ドルまで申請できることになっている。 フェローシップ事業とは、他国の研究機関において研究を行おうとする若手研究者への 2年間(長期フェローシップ)あるいは 3ヶ月(短期フェローシップ)の助成である。長期フェローシップは博士号取得から 3年以内の研究者が申請することができ、申請書はグラント同様、ピアレビューにより審査される。長期フェローシップでは、 3年間(あるいはそれ未満)にわたり、35千ドル相当の生活費、年間 6千ドルの研究費と旅費、及び 1千ドルの語学研修費が支給される(2003年の場合)。支援の 3年目は本国へ帰ることも、受け入れ研究機関で研究を行うこともできる。短期フェローシップは、若手の研究者が外国の研究機関で 2週間から 3ヶ月を過 ごし、新しい技術を学んだり新しい共同作業を築くためのものである。 なお、2002事業年度からは、助成対象の上記 2つの学際分野は「生体の持つ精妙かつ複雑なメカニズムの解明のための基礎研究分野」という 1つの分野に統合された。また、グラント事業は、プログラムグラントと若手研究グラントとに 2区分された。若手グラントは、若手研究者のみから構成されるチームに限定した助成であり、独立した研究室を与えられて 5年以内の研究者から構成される。 C実施体制 実施主体であるHFSPOは、フランス・ストラスブールに 1989年秋に設立された。 HFSPの運営組織は、評議員会、科学者会議、事務局の 3つである。評議員は HFSPの運営全般に責任を有し、各国政府の推薦する者から構成される。科学者会議は HFSPの事業の実施にかかる科学的事項を審議・決定する。また科学者会議とは別に2つの審査委員会が設置されており、研究者からの申請書を審査し、助成対象者を選定する。事務局は募集、助成金の交付等の業務を実施する。 D助成実績これまでの助成件数は以下の通りである。 <研究グラント> <長期フェローシップ> 応募件数 第一段階採択件数 最終採択件数 採択率 応募者件数 採択者件数 採択率 第 1事業年度 (1990) 235件 - 29件 [ 9] 12.3% 202件 77件 [ 17] 38.1% 第 2事業年度 (1991) 239件 - 32件 [ 3] 13.4% 348件 98件 [ 25] 28.2% 第 3事業年度 (1992) 281件 - 37件 [ 4] 13.2% 499件 128件 [ 33] 25.7% 第 4事業年度 (1993) 335件 - 42件 [ 6] 12.7% 555件 152件 [ 35] 29.4% 第 5事業年度 (1994) 351件 - 40件 [ 4] 11.4% 613件 160件 [ 23] 26.1% 第 6事業年度 (1995) 389件 - 52件 [ 5] 13.4% 711件 160件 [ 29] 22.5% 第 7事業年度 (1996) 439件 - 45件 [ 3] 10.3% 846件 160件 [ 32] 18.9% 第 8事業年度 (1997) 385件 - 48件 [ 4] 12.5% 807件 160件 [ 20] 19.8% 第 9事業年度 (1998) 381件 - 47件 [ 3] 12.3% 704件 160件 [ 25] 22.7% 第 10事業年度 (1999) 365件 - 50件 [ 0] 13.7% 682件 160件 [ 21] 23.5% 第 11事業年度 (2000) 315件 - 54件 [ 7] 17.1% 652件 160件 [ 20] 24.5% 第 12事業年度 (2001) 386件 - 53件 [ 6] 13.7% 665件 81件 [ 11] 12.2% 第 13事業年度 (2002) 548件 72件 37件 [ 2] 51.4% 567件 94件 [ 16] 16.6% 第 14事業年度 (2003) 549件 80件 31件 [ 4] 38.8% 639件 90件 [ 12] 14.1% 合計 5195件 - 597件 [60] 11.5% 8490件 1840件 [319] 21.7% 注) []内は、研究代表者が日本人であるグラントの採択件数※)第 13事業年度より二段階審査法の導入に伴い、採択率は最終採択件数/第一段階採択件数により算出 注) []内は、日本人フェローの採択者件数 2.インテリジェント・マニュファクチャリング・システム(IMS)プログラムの概要 @IMSとは インテリジェント・マニュファクチャリング・システム(IMS)プログラムは、製造技術分野における産学官共同の国際共同研究プログラムである。 1995年に正式に開始し、2003年4月現在、日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、スイス、 EU(+ノルウェー)、韓国の7地域 22ヶ国が参加している。 IMSプログラムは、製造オペレーションの高度化、技術者の質的向上・量的拡大、知識の継承のための学問分野の発展、新しい技術・知識の世界的普及、市場の拡大とオープン化を目的としており、次の5つの技術分野のいずれかに関するプロジェクトが行われている。1)製品のトータル・ライフ・サイクル、2)製造法、3)戦略/企画/設計用ツール、4)人間/組織/社会、5)仮想/拡張企業。 各プロジェクトは、IMSプログラムに参加している上記7地域のうち、3地域以上の企業や研究機関から構成されるコンソーシアムにより行われる。現在、 300の企業および 200の研究機関がコンソーシアムに参加している。 A運営体制 IMSプログラムの運営組織は、各地域の地域事務局、国際事務局(地域間事務局)、国際運営委員会の3層構造になっており、国際運営委員会の議長国は持ち回りであり、国際事務局は議長国におかれる。日本では IMSセンターが地域事務局を担っている。日本ではプロジェクトに参加したり提案するためには、企業は年会費を払って IMSセンターのメンバーシップ制度に加入する必要がある。2003年 10月現在、43社が「コアメンバー」となっている。 BIMSへの参加 IMSプログラムで実施されるプロジェクトは、企業や研究機関自身が提案することにより形成される。提案が実際に IMS承認プロジェクトになるまでには次の 3段階のステップを踏む。 1)アウトラインの提案(任意) 企業あるいは研究機関はいつでも 2〜3頁程度のアウトラインを自己の地域の事務局に提 出できる。アウトラインには提案する研究内容、および国際コンソーシアムを形成するために探しているパートナーの特徴を明記する。アウトラインは国際事務局を経由して各地域事務局へと回覧され、興味のある企業・研究機関が募られる。そのため、この時点では 3地域以上のパートナーが確保されている必要はない。 2 )アブストラクトの提案(必須) 3地域以上のパートナーが確保されれば、企業はいつでもアブストラクトを地域事務局に提出できる。アブストラクトは次の段階である正式提案の前に、国際事務局からフィードバックを得ることを目的とする。アブストラクトは 2頁で、タイトル、提案の目的と産業との関連性、方法と予定業務の概要、コストの予測と期間、参加機関(国際幹事(国際コーディネーティングパートナー)、地域幹事、その他)、国際共同により得られる付加価値などを含む。この時点で、3地域の参加機関のバランス、計画概要、研究資金源が明確になっている必要がある。 3 )フル提案(必須) プロジェクトのフル提案は 20頁であり、地域事務局を通じて国際事務局に提出される。アブストラクトよりも詳細に、概要、背景と現状、目的、期待される結果、実施計画、運営、技術移転と普及、利用計画、コンソーシアム構成などを明記する必要がある。提出された提案は、参加機関の地域バランス、目的の明確性、共同研究の必要性などいくつかの基準で評価された後に、IMSに承認された国際プロジェクトになる。 ただし、プロジェクトが IMSに承認されても、IMSの国際事務局から研究資金が提供されるわけではない。IMSプログラムでは、その規定文書(Terms of Reference)の中で、参加する企業や研究機関者の資金はその地域でまかなうことを定めている。そのため、国によって IMS用の特別な研究資金が用意されている場合と、別の資金に独立に応募しなければいけない場合がある。日本では経済産業省から研究開発費の 50%が支援される。 プロジェクトは多くの場合に 10〜40の企業や研究機関のコンソーシアムで行われる。典型的には 60%が産業界であり、40%が大学や研究機関である。また、プロジェクトは一般的に、百万 USドルから 50百万 USドル程度の大きさである。プロジェクトの期間は 3年が一般的であるが特に限度は設定されていない。 C参加する特典 プロジェクトによる研究成果は報告書や国際シンポジウムなどで普及される。また、プロジェクトにより開発された結果(特許など知的所有権)を、そのプロジェクトのコンソーシアムに参加している企業は許諾料を支払うことなく研究開発または商業的に利用することができる。これにより、地域内では得られない技術の入手機会を提供し、R&Dに関わるコスト、負担、リスクを軽減し、分散することが目指されている。 IMSセンターが参加企業に行ったアンケートでは、 IMSプロジェクトへの参加のメリットとしては「世界・国内の各種(産業界/学界、専門外/専門内、同業他社間)のネットワークが構築でき、個人レベルでの直接的な技術交流が可能となった」がもっとも多かった。 Dプロジェクトの実績 2003年 10月現在で実施中などのプロジェクトの件数は以下の通りである。 承認済み国際プロジェクト 17 フル提案審査中プロジェクト 7 承認済アブストラクト 13 終了プロジェクト(フェーズT終了分は含まず) 14 また、これまで実施され、終了したプロジェクトは次のようなものである。 幹事企業 95001 Globeman21 21世紀を指向したグローバル生産のための企業統合研究 東洋エンジニアリング(Jp) 95004 GNOSIS 知識の体系化:設計及び製造のための構築システム 三菱電機(Jp) 96002 MMHS メタモルフィック搬送システムの研究 鹿島建設(Jp) 95002 NGMS 次世代生産システム(NGMS)のモデリングとシミュレーション(Phase1完了。引続き Phase2開始) CAM-I(USA) 95003 HMS ホロニック生産システム(Phase1完了。引続き Phase2開始) The Broken Hill Propriety Co. Ltd.(Au) 96009 IF7 革新的・知的フィールドファクトリの研究(Phase1)完了。引続き、革新的・知的部品化建設システムの研究開発(Phase2)開始。 日立造船(Jp)(Phase1)清水建設(Jp)(Phase2) 98006 INTELWD 材木製品のコンピュータ化された製造 Sensotech Forschung und Entwicklungs GmbH (EU) 98002 GCO 化学プロセス解析技術の高度化 IFP(EU) 96003 HUMACS生産システムにおける人間−機械組織化の研究 山武(Jp) 98032 TES 小型廃棄物の高度処理リサイクルシステムの研究 荏原製作所(Jp) 96001 SIMON機械加工プロセス最適化用センサ融合知能化監視システム 三菱マテリアル(Jp) 97001 MISSIONグローバル分散企業の設計、計画及び運用の為のモデリングとシミュレーション環境に関する研究 清水建設(Jp) 96008 INCOMPRO Intelligent Composite Products Rolla SP (Ch) 97008 HARMONY ネットワーク型エンジニアリングフェデレーションに関する研究 Centro CIM de Swisse Occidentale(Ch) 97002 HUTOP 製品のライフサイクルにおける感性・官能評価システム (Phase1完了。引続き Phase2開始) 三洋電機(Jp) 99004 GLOBEMEN 企業間ネットワークにおけるグローバルエンジニアリングと製造に関する研究 VTT(EU) 96004 3DS 成形加工シミュレーションの統合CAEシステム化への基盤技術 (Phase1完了。引続き Phase2開始) ファモティク(Jp)(Phase1)、シムトップス(Jp)(Phase2) 3.ヒューマン・ゲノム・プロジェクト(HGP)の概要 @目的 ヒューマン・ゲノム・プロジェクト(HGP)とは、ヒトの細胞核にある 22対の常染色体と2本の性染色体に含まれるDNAの全塩基配列( A, G, C, Tの 4種類の基本単位の配列)を解読するものである。 HGPには、世界各国から 16チーム(2000名)の研究者が参加した。 A組織とルール 各国のゲノム研究を調整する組織として、1988年に、HUGO(Human Genome Organization)が設立された。HUGOは科学者が連携して作った国際組織であり、米国のハワード・ヒューズ医学研究所と英国のウェルカム・トラストにより出資を受けていた。 ヒトゲノム解析を行っている研究者が一堂に会し、誰が何を分担するかを整理した最初の会合は、1996年 2月の第 1回バミューダ会議であった。分担結果は HUGOが管理する Human Sequencing and Mapping Indexというウェブサイトに公開された。 このときのバミューダ会議において、データ公開の方針についても話し合われた。このときに定められた原則は、ヒトゲノムの塩基配列解読データを 24時間以内に公的データベースに登録し、無償で公開するというものであり、参加者全員が同意した。 これ以後、バミューダ会議は毎年開催され、解読対象を調整すること、ならびにデータ公開原則を維持することが、大きな目的となっている。1998年 9月までに、ヒトゲノムのほとんどすべての担当が決められた。 B経過 1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックにより DNA二重らせん構造が発見されて以来、遺伝子研究が急速に進んだ。どの遺伝子が近くに存在するかを示す遺伝子連鎖地図や物理地図の作成、DNA塩基配列解析技術の開発、ゲノムサイズが小さい生物を対象としたゲノム解析などが行われ、これらが HGPの基盤を作った。 米国においては、1980年代初頭のガン研究や DOEの放射線による遺伝子損傷研究の中で、ヒトの全ゲノムを解読するというアイデアが育まれていたものと考えられる。日本においては、 1981年の科学技術庁振興調整費「DNAの抽出・解析・合成」プロジェクト(委員長:和田昭允)の発足時には、すでにヒト全ゲノム解読のアイデアが研究者の中に存在していたと考えられる。 HGPのアイデアが具体的に語られるようになったのは、1986年ごろであった。米国の会議において、レナード・ダルベッコやジェームズ・ワトソンが、それぞれ提案を行った。日本では、 1986年に和田昭允が科学技術庁のシンポジウムで「日本で開発中のヒト遺伝子自動解析装置で、解析を 30年に短縮でき、600億円で可能」と発表した。 1987年ごろになると、プロジェクトのアイデアについて国際的に共通の理解が形成されてきた。和田が、1987年にネイチャー誌で、塩基配列決定の基本的な部分の自動化のめどが立った と発表したことや、米国を訪問してヒトゲノム解読の重要性を説いたことも、共通理解の形成に 貢献したと考えられる。 これと並行して、各国で予算措置が整えられ、フィージビリティ・スタディーが行われた。米国では、ワトソンが政府に予算化を働きかけ、1988年からパイロット・プログラムが進められた。これに比べ、日本では、予算措置がはかどらなかったが、 1989-90年度には科学研究費・総合研究(A)「ヒト・ゲノムプログラムの推進に関する研究(研究代表者:大阪大学教授・松原謙一)」が設定され、準備研究が行われた。 こうした中で、プロジェクトの基本デザインが整えられ、HUGOやバミューダ会議において、 Aで述べたようなオペレーション・ルールが整えられた。 1998年 5月、クレイグ・ベンターらによりセレーラ社が設立され、以後は同社と HGPの競争関係の中でヒトゲノム解読が進められた。2000年1月に、セレーラ社はヒトゲノム配列の81%を解析したと発表。同年 3月 14日には、クリントン米大統領とブレア英首相により、ヒトゲノム塩基配列の生データは全研究者が無償で利用できるようにすべきだという共同声明が発表された。同年 4月には、セレーラ社がヒトゲノムの配列解読完了を発表したが、これはヒトゲノムを 11回分カバーする量のクローンについて、両端にある数百の塩基を解読したものに過ぎなかった。ヒトゲノム解読に関する官民のプロジェクトの対立を調整するために、 2000年 6月 26日、クリントン米大統領とブレア英首相によって、ヒトゲノム全塩基配列の概要が解読されたという発表がなされた。米国の会見場において、HGPの代表であるフランシス・コリンズとセレーラ社のクレイグ・ベンターは、互いの成果をたたえ合った。2001年 2月には、セレーラ社がサイエンス誌に、HGPがネイチャー誌に、それぞれヒトゲノム全塩基配列の概要の解読結果を発表し、両者はワシントンで共同記者会見を行った。 2003年 4月 14日、HGP参加国である米国、英国、日本、フランス、ドイツ、中国の政府首脳が、ヒトゲノム解読完了の共同宣言を発表した。現時点の技術で解読可能なヒトゲノム塩基配列解読は、これですべて完了したことになる。 4.気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の概要 @位置づけと特徴 IPCC (Intergovernmental Panel on Climate Change)は、地球温暖化問題について国際的に議論する場として、UNEP(国連環境計画)とWMO(世界気象機構)の共催で 1988年 11月に発足。(同年 12月に国連の正式な活動となる) IPCCでは、もっぱら研究者から構成される以下の 3つの作業部会を設置し、地球温暖化問題に関する科学的知見、影響、対応策などに関する研究を収集するとともに、それらについて評価検討( assessment)を行い、得られた検討結果の広報を行っている。 A参加国 日、米、英、仏、加、蘭、旧ソ連、中国等、先進国、途上国、旧共産圏全てを含む多数国が参加した全地球的な会合となっている(共催のUNEP、WMOをはじめ、OECD、IEA等の国際機関も参加)。 B組織IPCC全体会合の下に、以下の 3つの作業部会が設置されている。 (1)第一作業部会(気候変動に関する科学的知見の評価) (2)第二作業部会(気候変動の影響及び適応策の社会・経済的側面からの評価) (3)第三作業部会(気候変動の緩和策の社会・経済的側面からの評価) *発足当時は、 WGI、WGII、WGIIIがそれぞれ、気候変動に関する科学的知見の評価、地球温暖化が環境および経済・社会に与える影響、気候変動への対応戦略を扱っていたが、第二次評価報告書作成から、 WGIIと WGIIIを統合して新しく WGIIを組織し、新たに WGIIIが組織された。これにより、 WGIIが気候変動の自然と社会経済への影響及び適応策並びに緩和策を、 WGIIIが、気候変動の社会的影響と政策並びに温室効果ガス排出シナリオを担当することになった。上記分類は、 WGIIが気候変動の影響及び適応策の社会・経済的側面からの評価、 WGIIIが気候変動の緩和策の社会・経済的側面からの評価というように、影響・適応策と緩和策が分離された第三次評価報告書作成以降のものである。 C活動状況これまでに第一次(1990年)、第二次( 1995年)、第三次( 2001年)の評価報告書が出されており、それぞれ国連環境開発会議(地球サミット)、COP3(京都、 1997年)、COP7(2001年)に用いられた。なお、第二次評価報告書からは、政策決定者向け要約( SPM)と政策に関連する科学的、技術的、社会経済的問題( PRSQ)からなる統合報告書(SYR)が作成されている。また、第三次評価報告書ではクロスカッティング・イシューと呼ばれる各作業部会に共通する課題(@持続可能な発展と公平性、A意思決定分析の枠組み、B不確実性、Cコスト評価等)を取り上げ、ガイダンスペーパー等を用いて執筆者相互間の理解を進めるとともに報告書の整合性をあげる試みもなされている。 5.高エネルギー物理学(SSC計画)の概要 @目的 SSC(Superconducting Super Collider:超伝導超大型衝突型加速器)は、高エネルギー物理学研究のために用いられる粒子加速器である。原子核を構成する陽子の集団を互いに反対方向に光速近くまで加速して衝突させる加速器(ハドロン・コライダー)を用いて、それにより起こる素粒子反応を観測することにより、物質の根源的な構成要素である素粒子の性質や相互作用等を解明し、宇宙の成り立ちまでを探るという素粒子物理学に寄与することを目的に計画された。 A計画の概要 (1)地下約 100mに埋設される円周約 87kmのリング状のトンネル内に、約 1万台の超伝導電磁石を配置し、それを真空パイプでつないだ大規模実験施設。高エネルギー物理学者の間でも「究極の加速器」と呼ばれていた。 (2)米国テキサス州ダラス郊外に設置。 1999年完成を目標とし、 1990年に米エネルギー省(DOE)が発表した試算では、資金規模約 82.5億ドル(完成後の運転経費約 3億ドルは含まず)。 (3)米国議会は、建設総額約 82.5億ドルの 2/3(約 56億ドル)を連邦政府が負担し、残り 1/3(約 27億ドル)を連邦外協力と決定。米国政府は、連邦外予算のうち、約 10億ドルをテキサス州、約 17億ドルを外国からの協力に期待していた。日本に対しては、外国からの協力期待のほぼ全額の 15~17億ドルの協力期待があるといわれていた。なお、連邦外予算については、テキサス州からほぼ予定通り総額 10億ドル程度の協力が得られていた。また海外からは、インド、中国、ロシア等から最大 4億ドル程度の協力期待があった。 (4)なお、規模的には小さいが、競合する計画としてジュネーブにある欧州原子核研究所(CERN)の LHC(Large Hadron Collider)計画があり、同じく 99年の完成を目指していた。 B経過 1982年 6月米国物理学会の粒子と場の部会にて SSC計画の原案提出。 84年 3月 SSC準備研究所(CDG)設立。 86年 3月 CDGより DOEに SSCの概念設計書提出。 87年 1月レーガン大統領、 SSCの建設を宣言。 89年 1月 SSC研究所が大学研究協会( URA)の管理下でテキサス州ダラス近郊に発足。 91年 2月 DOE、総建設費 82.5億ドルの提案書を提出。 92年 1月日米合同作業部会設置。 93年 10月米国議会両院協議会で SSC計画の中止が決定。