Q26. 自由回答:論文のオープンアクセスやプレプリントについて、評価、発展性、問題点など、ご自由にお書き下さい。 (国際機関や政府等が作成し、パブリックコメントを経て改訂するものを除き、)一般的な研究成果については有用性が思いつかない。プレプリントの意味合いは学会発表で達成されていると考えます。 「査読」が、内容の信頼性などを担保する上で一定程度の役割を担うと考えられる。一方で、査読されてないプレプリントなどはその信頼性が不明なため、そこから根拠に乏しい噂やデマなどにつながり、科学技術やアカデミアの信頼性が揺らぐようなことが起きないことを願うばかりです。そういう意味で、長い目で見ると、どこかでプレプリントは衰退するように予想でき、また情報・データだけが洪水状態にならないかが心配である。 "「知の民主化」のためには、オープンアクセスは推進されるべきである。 しかしプレプリントとは異なる形で、即時性のある発信は可能になると考えられる。特にプレプリントの場合、異なる引用情報で類似の文献が示されるのが望ましくないと思う。F1000Researchのように、プレプリントで公開し、査読が実施され、査読が通った論文はその旨が明記される形でその質が担保されるべきである。これにより、文献情報を統一化し、論文の質も測ることができる。" "<オープンアクセス誌> 1) 掲載価格の高騰が進み、資金力によって出版数に差が生じる。個別研究が多く、研究資金に乏しい日本は、アジア諸国に水をあけられている状況。 2) ビジネス化が進みインパクトファクターと内容が合致していない雑誌が急増している。出版社の戦略が当たっているのは確かだが、インパクトファクターの弱点を突かれているのは否めない。MDPIやNature系列雑誌は科学よりもビジネスが優先されている傾向が強い。 3) 相対的に査読者が不足していること。査読期間を短縮化されていることから、査読の質が低下している。またエディターの分野とハンドルしている論文の分野が合致していない論文も多く、査読システムが崩壊気味。特にMDPIなどではその傾向が顕著であり、毎週のように全くの異分野の系列雑誌からの査読依頼や特集号のエディターの誘いがくる。個人の研究分野は全く勘案していないと感じる。 4) 日本においては、研究資金の提供元や所属機関からOAが推奨されているが、相対的に元々の研究費が少ないことや、円の相対的な下落、大学における雑用の増加が合わさって国際競争について行けていない状況。 <プレプリント誌> 1) カテゴリーが定められていたり、出版社が管轄していたりして、投稿には意外と制約が多い。 2) その一方、内容については投稿者に委ねられており、ヘイトスピーチなどの極端な内容が含まれていても掲載・拡散されてしまう可能性はある。 3) プレプリントを業績に認めると、従来の論文の査読システムは完全に崩壊してしまう。実質的には異分野の業績評価を各機関で実施することはできないため、現段階では研究業績にカウントするのは好ましくない。" "1、著作権の問題。論文は出版社に帰属するが、プレプリントを出しておけば自分にも帰属可能かも知れない。 2、判断は読者にゆだねられる。その論文の真偽は読者にゆだねられる。判断できない人間が軽々しくプレプリントを用いる危険性を考慮すべき。" "Elsevierのような営利企業への高額な購読料やオープンアクセスのための費用の支払いを抑えるためにも、プレプリントを発展させていく必要があると考える。 一方で、プレプリントの論文の価値については、現状では正しい評価は困難であり、今後評価方法の確立が必要と考えられる。" Nature Communicationの投稿料が80万円を超えているのにも関わらず科研費などのお金を使うのは、社会常識的に認められないと思います。 OAやプレプリントの是非については、出版倫理や旧来の科学を支える査読システムの在り方と連動する問題であり、これら単独で認める認めない、良い悪いということを判断することは困難である。大事なことは、科学(なにをもって科学とするかも議論が必要であるが…)に基づく確かな経験が蓄積され、ひろく公開されることであると考えられる。今のOAのプレプリントの活性化はある面歓迎できるが、科学的知見を利用する者に非常に高いリテラシーと批判的な視点が要求される。さまざまな整備と研究者・市民の両者への科学教育(出版倫理教育や公開されている知見をクリティークする能力なども含んだ幅広い教育)も同時に行っていくことが急務であると考える。 "Preprintは以下の点でメリットがある。 ・直接業績とは別に科学情報をいち早く社会に開示する点で貢献したことになり、この知名度は相応の評価となりうる ・研究の競争であろうとなかろうと新たな科学的課題を高頻度に見出せることは、全体的にも科学的進歩を加速させる効果がある。" Q1で選択した研究分野は「人文学」としましたが、具体的には「教育学」を想定して回答しています。この分野では、論文のオープンアクセス化や(きちんとした業績評価がなされることを前提に)プレプリントが充実化していくことで、現場教育(教職員)と学術研究(研究者)との間での情報・成果共有が発展・促進しうると考えます。 SARSコロナウイルスに関する研究ような世界規模で求められる内容のプレプリントやオープンアクセスは最先端の研究成果を研究者間で共有する意義は大きいと考える。査読前であることを十分に理解した上での取り扱いが重要である。 アカデミアから外に出ると、論文がほとんど読めない状況なので解消してほしい "あくまでもプレなので,引用文献としてはリファー出来ないなど,しっかりとしたルールを設けないと,ピアレビューを受けた学術論文との差別化が図れないと思う。 しっかりとした運用ルールが必要である。" インパクトファクターや引用数重視の現在の業績評価では、一部の超一流雑誌を除いてオープンアクセスの雑誌に投稿した方がよいのは明らかであるが、投稿料が高く研究者個人で支払うのはハードルが高い。大学などの組織が、所属する研究者にトップ10%論文など高引用回数の論文を出すことを求める現状から考えると、投稿料も研究者個人ではなく、組織が支払うべきなのではないだろうか。 "オープンアクセス・プレプリントの問題と連動した問題だと思いますが, 査読のしっかりしていない論文誌が増えており,「信頼される査読プロセスを経ているか」という点が見極められるようにいかにしていくかが重要な問題と思います.プレプリントで多くの引用がなされていても,単に研究内容として流行に乗っている,というだけで本当の新規性はない(薄い内容の似たような論文が多数出版される),ということも起こり得るし,実際に起きていると思います." オープンアクセス・プレプリントは国際的にも学問の機会・議論の機会を増やすことに貢献する。一方、著作権の保護・盗作防止などの対策・意識の向上なども必要だろう。 オープンアクセス、プレプリントともにメリットは全く感じない。論文の中身を読める人はそれを入手できる環境にいるのが大半である。 "オープンアクセス: オープンアクセスは読者数を増やすという意味では効果的であり、被引用数の増加にも繋がると言える。大学等では費用削減の面から雑誌の年間購読契約数が減っており、読みたくても読めない論文が増えてきている。そのため、読者目線ではオープンアクセス論文が増えることが望ましいと言える。一方、投稿者目線では費用の負担が大きな問題である。非常に高額であるため、オープンアクセス化の判断は研究費等の金銭事情に大きく関わり、格差が生じやすい。このような状況を踏まえると、被引用数が評価基準の一つとして見なされていることが不思議とも思える。 プレプリント: 現状では査読付き論文に投稿するケースが最も多いと思われるが、査読期間の長さは深刻な問題の一つとなっている。競合機関の多い研究分野では、先行して論文が掲載されることが重要であるが、掲載プロセスは出版社や査読者の作業速度に大きく依存している。プレプリントの評価が高まり、すぐに公表することが可能となれば、どこが先に研究を実施していたのかが明確化されやすい。" "オープンアクセス: 税金を使って得られた業績に関してオープンアクセスにすることは望ましいと思います。一方、出版社の料金設定は高すぎるように思います。 プレプリント: 論文で求められるデータ量が多くなり、論文出版まで時間が以前よりかかるようになった今、プレプリントの役割は大きい。特に、申請書申請や、学生のDCへの応募での評価には有用であろう。一方、学術雑誌に受理される際には、データが追加れたり内容が変わる場合も多く、二重投稿等の観点で、学術誌と同等の扱いには疑問が残る。プレプリントに発表された内容がどの程度、盗用されているかの情報も開示が必要。" オープンアクセス(OA)の発展は,一見,科学知識へのアクセスの公平性を担保する仕組みのように見えて,ビジネスモデルや倫理の点で課題が多い。たとえば,助成金を得にくい分野や資金力の乏しい研究者が,論文を発表しづらくなるなど,科学知識の発信のゆがみが増大しかねない。一方で,現状,国際的発信力の高いOA出版媒体を持たないわが国では,OA 誌への論文発表=研究助成金等の国外流出という状況に陥ってもいる。情報のイニシアチブと出版経済の世界的な流れが大転換しつつあるので,国内諸学会や機関の努力に加え,国としてもこの大局的な動きを分析し,必要な措置を講じて頂くことが望ましいと考える。 オープンアクセスが世界的な潮流であることは認めるにせよ、掲載料が有料、あるいは掲載料が無料の雑誌でもオープンアクセスでの掲載には多額の費用が発生する。海外ではオープンアクセス論文に対してFunding機関が費用を負担するケースが多く、日本ではFunding機関がほとんどないのが現状である。今後、優秀な論文が世界的に認知され、その研究成果が広く世界に知れ渡るためには、日本国内にFunding機関(例えば、JSTや文科省)を通して論文を投稿するシステムを構築する必要がある。科研費などがその役割を果たすことを期待されているが、研究者個人の研究費(外部資金を含む)から捻出するには、オープンアクセスの掲載料が高額であることを考えると、オープンアクセスへの投稿を促すことと同時に、その費用を何らかの仕組みを使って研究者個人の研究費以外からの負担することを真剣に検討することが急務であると考える。 オープンアクセスジャーナルの投稿料の高騰が、プレプリントを公開する理由の一つと考えられます。安価で信頼性の高いオープンアクセスジャーナルの設立や、既存のオープンアクセスジャーナルが実施している投稿料ディスカウントサービスを纏めたサイトの公開により、プレプリントの公開を考えている人もオープンアクセスジャーナルへの投稿に切り替えるのではないかと思います。 オープンアクセスでは、雑誌社は掲載したいためeditor's rejectが少なく安易にreviewに回している印象があります。そしてreviewerが多くの査読に疲れて、きちんと査読コメントをせずにアクセプトになっていると感じます。 オープンアクセスで自身の評価を下げることにもなるので、一流出版社の一人勝ちだと思う。国内学会誌は全般大学の業績にならないし、残念ながら意味を持たない。そう考えると、国際的なオープンアクセスジャーナルの発展が大きくなる点も理解できる。 オープンアクセスにするか否かは著者の選択だと思うが、査読を受けないプレプリントの公開は間違った情報を広げる可能性につながると思う。 オープンアクセスにすることで、読み手側にすると論文情報にアクセスしやすくなるが、現在は、出版社が著者に費用負担を求めていることがほとんどである。投稿論文全てオープンアクセスの論文などは投稿料が非常に高額であり、研究結果の公表先として候補から除外することがほとんどである。 "オープンアクセスについては、高額な投稿料が最も大きな障壁だと考える。例えば、(極端な話だが)投稿料が無料でオープンアクセスの可否を選択できる場合、オープンアクセスを断る研究者はほとんどいないのではないか。 プレプリントについて、盗用の問題がなく、プレプリントでも第一発見者として認められるのであれば、今後は普及すると思われる。しかし裏を返せば、査読に耐えれないほど適当なデータでも、プレプリントを出せば第一発見者になることができるということでもあり、Scienceのレベル低下につながる可能性もある。 論文を出すタイミング(以下の早いか)と、論文の質の両方について発展を目指すなら、制度の大きな身の直しが必要だと思われる。" オープンアクセスについては、情報の流通性が高まり、研究活動が円滑に行えるようになると思います。プレプリントについては、研究成果の迅速な発表や、査読の効率化の面で有用と思いますが、査読されていない段階ということで、掲載されている内容に問題がある可能性も考慮して活用する必要があると考えます。 "オープンアクセスについては、論文そのものもしくは最終草稿など、形態の違いはあれど、進んでいくものと思います。ただ、論文そのものをオープンアクセスするには相当の費用を要求され、予算規模の大小が影響するのではないかと思います。また、オープンアクセス化を良いように使って、出版社が暴利を貪るのは看過してはならないものと思います。 プレプリントは、先見性を抑えておくために良い方法とも聞いたことがありますが、果たして何処まで認めてもらえるのかがはっきりせず、個人的には、ビッグラボとの競争になった時にどうなるのかと考えると、結局は論文投稿まで控えてしまいます。" オープンアクセスについては非常に賛成でありますが、研究資金の豊富なラボが資金繰りを気にせず立て続けにオープンアクセス雑誌へ投稿し、それによりかなりの資金がオープンアクセス誌へ流れることについては、少し考える必要があると思います。 "オープンアクセスによる論文へのアクセスのしやすさはありがたいが、一方で、ハゲタカジャーナル的なものも増えているように感じている。論文への信頼性が損なわれることは、学術にとって有害でしかない。信頼性を担保する指標が欲しいと思う。 プレプリントはまさに玉石混交で、中には非常に興味を惹かれる成果も多い。ただ、プレプリントは、査読がない以上あくまで同人誌やブログ的立ち位置であると思う。正式な論文化への道筋が必要。" オープンアクセスによる論文出版が推奨されるが、支払い方法等、研究機関の事情による不便がある。支払い手続きに時間を要したため公開が遅れたことがあった。 "オープンアクセスに関しては、投稿先の雑誌や学会等の考え方もあるとは思いますが、ぜひ今後も増やして欲しいと思います。大学や公的機関であれば付属の図書館などですべての雑誌にアクセス可能だと思いますが、特に中小規模の民間企業ではアクセスすることが難しく閲覧を断念することがあります。 プレプリントに関しては、査読がないことから信ぴょう性や倫理的な問題を含むことを利用者が理解した上で、利用すればよいかと思います。" "オープンアクセスに関しては積極的にそうなるべきだと思う. プレプリントは査読や出版の遅れが一因だと思うが,丁寧な査読はやはり必要なのである程度緊急性を認めるものに関しては投稿を認めてもよいと考えている." オープンアクセスの雑誌が増えること自体はいいのだが(読みたい論文が入手しやすい)、乱立しすぎていて所謂ハゲタカジャーナルとの区別がつかず、一部の有名雑誌以外の雑誌の質が落ちているように思う。また、査読が多く回ってきて負担が大きい。 オープンアクセスの雑誌は,著者から高い掲載料をとって,ろくに査読もしないで掲載する悪質なものもある.そのような論文でも検索サイトで引っかかり,内容がまともであれば引用されることもある.これを良しとするかどうかは議論の余地がある.プレプリントは査読前の論文を掲載することになるため,その後,まともな学術雑誌に通ればよいが,そうでない場合には一定期間を経過したプレプリントを削除するなどの対策が必要. オープンアクセスの費用がかなりかかるので、その分の資金をつい実験費用に回してしまうため、なかなかできない。 "オープンアクセスの費用が高すぎます。しかもいまは円安なので本当に研究費を圧迫しています。 プレプリントサーバーは使いたい人が使えば良いです。しかし、やはり業績としてはacceptされたもののみとすべきだと思います。" "オープンアクセスの論文については、お金のある研究室が有利になってしまうので、問題だと思います。 プレプリントについては、現段階でどうなるかよくわかりません。" "オープンアクセスは,だれでも無料で査読突破後の研究成果を参考にできるので,良いシステムだと思います. プレプリントのシステム自体も,速報性の確保や幅広いフィードバックを得るために,著者が利用するものとしては良いと思います. しかし一方で,これを研究者の研究業績として認めることに対しては,強く反対します.なぜなら,それらの原稿は学術論文の質を保証し,科学的な正当性の裏付けとなる査読システムを経ていないからです.繰り返しになりますが,査読が論文や研究のデータに与える重要性を考慮すると,プレプリントの業績化は,科学論文の信頼性を失墜させるものと言えます." "オープンアクセスは、国の方針として推奨している向きが強いのに対して、高額な出版料を支払うのは研究者であり、負担が大きすぎる点と、結果的に出版社を肥えさせるビジネス構造になっている点が大問題と感じる。 プレプリントは、不全なデータを公開して既得権を作るための仕組みにもなり、諸刃の刃だと感じる。特に、権利に詳しくない日本国民が米や中国の考え方に引っ張られると、大方の結果は悪い方に行く面を感じている。それよりも、「(時に不正に)先行性を主張されたあとでも、より重厚で信頼度の高い論文内容を載せて再評価するジャーナル」を開発するべきだと思う。" "オープンアクセスは、出版社の金稼ぎなので、出版社をたくさん持っている欧米諸国が推進するのはわかるが、日本・中国の国が推進するのは全くナンセンスと思っている。 すでにNature Communicationなど、取れるところは1報100万クラスの費用が掛かっている。基盤Bの1年分に相当する金額である。出せる人が出すのは勝手だが、業績評価にオープンアクセスの著名ジャーナルに出したかどうかを評価基準にするのは、国全体のサイエンスを劣化させることになる。個人的には50万以の投稿料の雑誌には日中が協力して公的資金の使用を禁止してもいいとすら思っている。 一方、プレプリントについては非常に公平で学術の推進にもつながり、極めて良い方向の意義があると思う。年配の先生が反対する場合が多いが、そういう先生は学術を推進する気が無いエゴイストであり、そういう先生方が跋扈しているのが現在の大学の衰退を招いていると思っている。 プレプリントは問題もあるが、積極的に活用すべきだし、プレプリントを禁止するような雑誌にはむしろネガティブな評価をしていく環境を国として整えるべきだと思う。" "オープンアクセスはあくまで、論文を売る側(著者、学会)、見る側の需給バランスで、推奨するもしないもないと思います。文科省含め、IF向上のために流されているように見えます。 プレプリントの重要性は分野によると思います。数学などでは論文化が難しいので、必要なのでしょう。材料系・実験系はただでさえ論文や引用が多いので(単なる分野の違いです)不要だと思われます。→論文数やIFだけでは本当は正しく評価できません。" オープンアクセスはすでに査読の通った論文であれば、良いと思うが、査読途中や公開議論みたいなものは、いい加減なことも書けてしまうので、あまり好まないし、それが科学の発展に寄与するとは考えづらい。ただ、査読を通った論文であれば、オープンアクセスにして欲しいし、自分の分もお金儲けで論文を書いているわけではないので、オープンアクセスにしたい。 オープンアクセスは科学の発展上、有意義な存在だと思っている。プレプリントは、内容次第で問題を感じる。例えば、査読のない論文は書いたもの勝ちなので、査読者がいたら通らないような無責任な内容の論文が、あたかも査読を得た論文のような体で出回ることになる。ただ、投稿した論文が内容的には十分でも査読者の厳しい審査(往々にして枝葉にこだわった的外れな指摘が多い)のせいで出版できずにその後の研究活動に支障をきたすことがある。この場合、プレプリントとして研究の先取性を確保できるか否かは大きい。その意味ではプレプリントの存在意義は感じる。 オープンアクセスは各種調査や教育に大変役立つが、プレプリントが混在するとオープンアクセス論文との区別がつきづらくなり、特に学生教育において煩雑になるので良くないと考える。最終的に、オープンアクセスの論文まで信頼性の乏しいものとせざるを得なくなりかねない。 オープンアクセスは強く推進されるべき(言い換えればすべての研究者(国民)が無料で論文にアクセスできるべき)だと思います。現在、所属機関によって論文へのアクセスの利便性が大きく違います(予算の都合)。これは論文作成や研究計画立案に障害になっており、政府レベルで是正を検討いただきたい。 オープンアクセスは購読者にとってはうれしいが、研究費が厳しい研究者には負担が大きい。プレプリントは先取権の獲得や議論の活発化のためには有効だが、業績と認定するには査読付き論文の評価を得たものに限定しないと研究論文の質が劣化するだろう。 オープンアクセスは査読があります。プレプリントは査読がないので品質に心配があります。これらの代わりに論文を学会発表します。査読者の審査は1回だけですが、一応査読でコメント及び改訂の機会を貰えるし、学術誌のように査読者や編集委員会とのコミュニケーションに長い時間が掛かることはありません。学術誌の場合には刊行迄、数年単位の時間が掛かりますが、学会発表ならば年内に予稿集に刊行(無料公開)されます。自分が参照する場合でも、一応査読を通っているのである程度は品質が保証されます。 オープンアクセスは査読後の論文であり、プレプリントは査読前の論文なので、評価基準は大きく異なると考えています。プレプリントには特に問題点は意識したことはありません。オープンアクセスは、ビジネスになっていることが問題だと考えています。価格設定がどのようにされているのか、全く認識しておりませんでした。 オープンアクセスは社会において科学的理解を共有・前進させる上で重要である。また、雑誌購読が大学等にとって無視できない負担になっていることも知られている。一方で、オープンアクセスの費用は著者にとって高額であり、あるいは、最近ではオープンアクセスへ全面的に移行するために投稿料が値上がりしている雑誌もあるようだ。迅速かつ広範囲への無制限の共有といった目的でOA化が進むことは大変良いと思うが、研究者個人の負担が増すことには心配がある。また、私の所属する分野では、受理直後にその時点での草稿をプレプリントサーバーに投稿することが慣例となっているため、追加費用を支払ってゴールドOA化するメリットはあまり無い。そのような分野による差が大きい場合、OA化を進めるにあたって一律の施策で良いかどうかは注意が必要かもしれない。 オープンアクセスは少なくとも査読プロセスを経ている。査読者としての経験を踏まえると、査読を受けていないプレプリントは信頼性が相当低いと考えざるを得ない。 "オープンアクセスは推進して良いと思うが、法外なAPCを支払ってでもそうする必要性は、分野によっては低いと思う。特に、一般の人が英語で、特定分野の論文にアクセスするか、という問題。 プレプリントに関しては、結局査読なしで読者に判断を委ねるというのは、研究手法が真っ当であるという担保がないと、危険を伴う(一方で、ハゲタカ雑誌のように甘い査読もあるので、どちらが良いかという問題もある)。これまでに多くの実績のあるラボからのデータであれば、プレプリントでも十分に信頼のあるデータを速報することができるし、オープアクセスにすることで、後進国の教養がある人たちも論文を読むことができるというのは大きい。無名のラボで得られたセンセーショナルな結果を世界に発信できることは賛否あるが、発信の手段はプレプリント以外にもいくらでもあるので、止めようがないようにも思う。今後プレプリントをはじめとしてますます情報がwebに溢れるが、読者の情報リテラシーを逐次底上げしないと、社会混乱につながりかねない。" オープンアクセスは知識を必要とする側からするとありがたいが、質の担保が重要だと考えるので、プレプリントは質の確保に課題があると感じる。 オープンアクセスは地方大学のような財政の厳しい機関の研究者には嬉しい。 オープンアクセスは通常、査読期間が短く、効率的である。また、閲覧しやすいことからIF等の評価指数も向上し、実績としての評価につながる。また、新成果を早期に公開できる。このような理由から、研究者は(特にテンポラリー研究者は数年間で実績をださざろえないことから)、オープンアクセスJournalを利用する機会が増える。インターネット利用拡大にともない、今後、利用が拡大し、発展するのは必然である。私のまわりの日本の研究者でも急速に投稿数が伸びている。別の視点から、大学等の国際評価のひとつである投稿数を伸ばすために、オープンアクセスJournal利用促進は重要と考えられる。しかしながら、掲載料が高いのがハードルである。ここで、日本での問題が表面化する。費用の問題である。自身の例では、私が現在所属する国では、オープンアクセスJournalの評価は、プリントJournalより評価が低いものの、早期に査読結果が得られ、Rejectの場合でも、早期に修正再投稿可能となり、短期間で実績につなげることが可能であることから、私はほとんどオープンアクセスの雑誌に投稿している。海外Journalへの発表としては、日本での発表速度の十倍以上の成果公開に繋がっている。ただし、これは、大学から供給される研究費が十分であるため、可能なことである。もし、日本で研究を行っていたら、オープンアクセスJournalへの投稿は不可能で、国際評価に繋がらない日本語Journalのみへの発表で終えていたと思う。また、学術雑誌投稿には多くのエフォートを要する、研究者の研究そのものへのエフォートの集中や、日本の国際評価の向上のためにも、オープンアクセスJournal投稿への助成Systemを構築されることを希望する。 ちなみに、直近例では日本では有名学会の雑誌投稿(IFなし)で2年間Rejectされた研究成果が、IF3.5のJournalに、投稿後1ヶ月程度で掲載された。   今日、日本の国際地位を基本的に支えている学術研究体制の修復は重要課題であり、日本の研究者の苦境の現実を政府は認識し、早期に、国際競争力向上の仕組みを構築しなければならない。オープアクセスジャーナルの推進に当たって、経費のみ取得目的のハゲタカジャーナルの情報を容易に利用できる情報システムを提供することが、最重要課題である。 オープンアクセスは投稿料が高額であるため、研究助成がなければ利用しがたい。プレプリントについて、なぜ調査しているのか、今後データをもとに、推進する方向なのかと考えた。 オープンアクセスは当然であり、それを許さない、あるいはそこから利益を得ようとする出版社などとは、大学は関係を断つべきである。 オープンアクセスは望ましいとは考えるが、early viewのようにページがない状態で先行公開する場合や、そもそもページ番号がない論文の普及は一定のルール作りが必要。現状では引用文献を書く際や、調べる際に混乱が生じることがある。early viewの論文が正式に公開され、ページ番号がついたら自動で差し替えるなどの処置がほしい。プレプリントは自然科学分野にはなじまないと考える。また、その分野の成果を出したい研究者がプレプリントを悪用する恐れも考慮しておく必要がある(プレプリントが無視できなり分野の場合、プレプリントの著者以外が活動しにくくなる)。 オープンアクセスは良いと思うが、プレプリントは著作権の問題等、クリアしなければならない問題が多いと思う。一方で数学などの査読に時間がかかる論文はプレプリントの有用性が高いと思う。 オープンアクセスやプレプリントサーバーの維持には費用がかかる。オープンアクセスやプレプリント活用の推進するなら、その分研究費を増やす議論をセットで行うべきである。 オープンアクセスやプレプリントについて,分野によって利用の度合いが異なっており,そのような概念やサービスが存在している事すら周知されていない分野もあるので,そのあたりの啓もう活動が進むと良いと思う. オープンアクセスやプレプリントの理念はまったく否定するところはないが,現状,特にオープンアクセスについては出版社の営利目的になっている場合があり,適正な査読システムの下で確保されている論文の信頼性(果ては科学技術分野の信頼性)の根幹を揺るがす問題に発展しかねない.そのため,総合的・学際的分野を対象とした質の高い科学誌のみならず,あらゆる専門分野の科学誌までもオープンアクセス化させるような傾向は危険であると思われ,その推進運動には賛成できない. オープンアクセスやプレプリントは、スピードはあるが信頼性に乏しい。信頼性に乏しい論文を読んでも、それがすぐに否定されるかもしれず、騒ぐだけエネルギーの無駄使いである。騒いで何か最先端をやっているつもり感を出すだけで、実質的な利益は少ない、否、誤った方向に進むことも多くなる。研究は、じっくり考えることも必要。「百害あって一利なし」である。審査済み論文で十分間に合う。 オープンアクセスやプレプリントはいち早く公開することが出来るため学術の発展に貢献出来ると考えるが、査読の有無は十分に考慮して引用したり参考にする必要性が高い。学術界から再原性の有無などについてフィードバックを行って粗悪な論文は取り下げさせることが出来るなど、質を担保する仕組みが必要だと考える。 オープンアクセスやプレプリントは情報へのアクセスの利便性が増す一方、学会の収入に影響する懸念があり、弱小学会においては死活問題でもある。 オープンアクセス化については、雑誌購読をしていない研究機関所属の研究者も広く閲覧できるため、対費用効果は高いと考える。他方、プレプリントは論文の信頼性という観点から未熟であり、現状ではどのような文章でも体裁さえ整っていれば原稿をアップロードできるため、本件を公的な業績として認めると業績の水増しなど不正の温床になる可能性があるため、認めるべき事案ではないと考える。また、仮に普及したとしても、競争的資金の申請や公募の審査要件でプレプリントを省く趣旨の指示書きが追記されることが予想される。 オープンアクセス化の流れやプレプリント公開の流れは,大きな潮流としてもはや抗いようのない傾向になってきているように思います.玉石混交の情報が氾濫するようになる点は悩ましいかもしれませんが,究極的には情報の取捨選択は,受け手側の技量に依るものと思います.その意味で,オープンアクセス,プレプリントの傾向そのものよりも,教育やリテラシートレーニングを重要視し,充実化していくことが求められるようにも考えています. オープンアクセス化は,経済的に恵まれた大学や国以外に所属する研究者にとって有益なので進めていくべきと考える.ジャーナル全体でオープンアクセス費用がもう少し割安になっていくことが普及の鍵かもしれない.プレプリントは,基礎科学において成果の先鞭をつける意味はあるものの,査読を経ていない点において玉石混交であることは否めない.分野外の人間がネットサーチをかけて引っかかった内容をそのまま使う場合に,内容の信頼性が学術的に担保されたものになっていない点は潜在的な問題をはらむと思う.(ただしプレプリントの速報性によるpriorityの確保というメリットを否定することも難しい) "オープンアクセス化は、外部研究資金を利用した社会への還元という意味でありだと思う。読者が増え、引用件数も増える傾向にあり、著者にとってメリットがあるし、出版社にも収入増になるのでウィンウィンではないか。 一方、私の研究分野ではプレプリントは主に「先駆性の確保」という目的で利用されている。ハイインパクトで査読の厳しい学術誌は特に査読に時間がかかるので、その間に他の機関に出し抜かれないよう重大な成果発表については必ずプレプリントに投稿されている。" オープンアクセス化は現在の流れのように感じるが、プレプリントは学会での発表程度に考えれば良いと思う。学会発表もオンライン化しているので、盗用などできないようになれば、学会に代わってくるのではないか? オープンアクセス化は進めていくことが望ましいと思います。一方、プレプリントは、査読前の論文であるため、査読は受けるべきと考えます。 "オープンアクセス雑誌は被引用回数が増え、インパクトファクターも高い傾向にあると思うので、業績の評価に影響を与えると思われる。ただ、投稿料が高いことや、お金で業績を買うことにも繋がりかねない点が問題点だと思う。投稿料が通常の雑誌と比較して高くなくかつオープンアクセスの雑誌が増えれば論文のオープンアクセスは発展していくと考えます。 プレプリントについては査読を十分に受けていない状態で公開するためその情報の信頼性に関わるので問題であると考えます。" オープンアクセス誌については,一部の雑誌で掲載料が高騰していることが問題だと思う。 オープンアクセス誌のインパクトファクターが爆発的に上昇しており、研究の質や成果と掲載誌のインパクトファクターの乖離が激しくなってきている。この点では一概にインパクトファクターだけで業績を評価することが難しく、投稿する研究者側もインパクトファクターに依らずオープンアクセス誌、伝統的な学術雑誌、などバランスよく投稿していくスタイルが求められるかもしれない。 "オープンアクセス誌はお金を集める目的で質の低い論文が載っていることも多い. まともな学会の発行するオープンアクセス誌ですら質の低い論文が掲載されていることが増えている.お金で業績を買うような行為で,学術会にそぐわない. 学会や出版社は従来どおり良い論文を集めてお金を払っても読みたいと思われるように務めるべきである.購読料の適正な額の設定についても努力してもらいたい. 最近は不正論文が掲載される事案が増えていることからも,論文の査読が適正に行われているかの懸念も大きいが,プレプリント等で広く公開して評価を受ける手法は,評価の捏造が横行する自体を引き起こすものと懸念している." オープンアクセス誌は有料で高額なので資金的余裕があるラボに有利な仕組みだと思う。プレプリントの考え方(いち早く研究成果を共有し世間に還元する)には同意するが、有名研究者がフォーカスされがちなので、プレプリントサーバーで公開することを評価の要因の一つとしてしまうと、公平さに欠けるところがあると感じる。 "オープンアクセス自体は、良いことだと思う。経済力のある国、研究機関、個人ではない、多様な人々が学術に参画することにつながる。学術の担い手が多様化することで、知的創造の質の向上が見込まれる。 一方、論文の質は「査読」によって担保されうるものなので、査読前論文が出回ると、学術的な生産物に対する信頼低下を招く一因になると思う。" オープンアクセス自体はよい取り組みだと思う。日本語論文を対象としたプレプリントサーバーがあれば使ってみたい。 "オープンアクセス代(購読料もですが)はあまりに高額なので,研究予算にとって不健全な影響をもたらすだけであると思います. そうするくらいならポスドクを雇ったほうがいいように思います." オープンアクセス費用を研究者本人が負担する仕組みを改善する必要があるように思います。 オープンアクセス料の高騰により、研究者側の費用負担が増している。転換契約や、オープンアクセス料支払いのためのファンドの充実などの施策を進めてほしい。 オープンアクセス論文と比較して、プレプリントは二重投稿や盗用のリスクが懸念されるため自身ではまだ身近な手法ではないが、それらのリスクが低減できる仕組みが整えば積極的に利用したいと思うし、かつ業績としてより重みを付けて評価されていくことにも期待したい。 オープンサイエンスのためにオープンアクセスを推進すべきと思う。一方、日本の慣習として、成果をクローズドにすべきと考える人間が、年齢層が上の人間ほど多くなる。クローズドにした方が対価が得られると考えているようだが、それは間違い。このままでは、日本発の成果が世界で認知されない可能性がある(すでにスルーされていると個人的には思う)。 オープン化の方向性は総じて賛成であり、良くも悪くも、進む流れは変えられないと思う。ただ、十分に吟味してから世に出す姿勢も評価されるべきであり、「とりあえず言った者勝ち」の文化になりすぎないことを望む。 オリジンリティを重視するなら、初めから査読付き論文に投稿すべきと思います。 このような情報の公開及び使用に関し、研究者の判断に委ね、自由度があってもよいかと思います。 "コンピュータアルゴリズムなど、誰もが効果を簡単に検証できる分野であれば良いが、学術論文は基本的に査読を通過したものが世の中に出るべきである。 そうでないと、読む側が個々に信頼性を検証しなければならず、誰しもが信頼性を判断するスキルがあって論文を読んでいるわけではないし、社会全体として効率が悪くなる。" コンプライアンス等が守られる仕組みを整備した上で大いに公開を進めることで科学の発展に寄与できると思う。 "ジャーナルのビジネスモデルが契約費用の高額化を端緒として問題になってきていますし、良質なレフリーをいかにして確保するかという事も問題です。このような背景の下、いずれプレプリントに移行していくのかもしれませんが、上記レフリーの問題も含めてどのように信頼性を確保・提示していくのかが鍵だと思います。 ※勿論、査読付論文だからといって内容が正しいものばかりであるとは思っていません。ただ、現状では有名どころのジャーナルであれば、厳しいレポートに基づいてエディターが、よりリーズナブルな掲載可否の判断をしているだろうという「信用」があることになっています。その意味ではまだプレプリントは「信用」するには未熟なもの、ただし情報入手には有用な一手段、という位置づけにとどまっているように思います。" "すでに化学の分野では、速報性についてはプレプリントで競われるようになったと感じている。 プレプリントは無料なので問題ないが、オープンアクセスを著者に求めるのであれば、その分の追加の研究支援がなければおかしい。これまでと同じ直接経費からオープンアクセス費用まで負担させるのはやめていただきたい。" すでに多種多様なジャーナルが存在しており、内容のチェックが十分ではない論文も多数掲載されている現状に鑑みると、プレプリントだけが注意すべき対象とは言い切れない状況にあると思われます。公開後に個々の論文の信頼性や妥当性がチェックされる公式・非公式な仕組みが様々なレイヤーにおいて出来てくることが必要と思います。 ドイツ,スエーデン,シンガポールなどは,国家レベルで大手学術誌出版社と強く値下げ交渉をし続けている.また,フランスは国家ライセンス契約を結んでいる.日本の科学研究の論文成果が低下しているにも関わらず,雑誌価格の交渉まで大学や研究者に任せるのは,研究力の浪費と云わざるをえない.オープンアクセスやプレプリントを論じる前に,国家レベルで雑誌社と交渉して欲しい.また,科学論文総数やQ1論文数が上昇した国は,数年間で研究費が数倍から20倍に伸びている.日本は,予算が主原因で研究力が低下したことも,国は認識すべきである. とにかく現場での有効性と思います。ノーベル賞受賞者も、社会の現場で役に立たせることを目標とした努力の結果が大きな成功を収めているのであり、研究室での単なる論文量産は、趣味や広報の世界と感じています。現場で役立てるには、まず臨床・実証と感じています。 ハードからソフト中心になり、ソフトはOSSの世界になっている。これにあわせて論文のオープン化も進む。論文のエビデンスとしてOSS公開しているものもあるため、論文のオープン化もとめられない。 プレプリント、という文化のきちんとした定義づけが必要だと思う。今は多くの形態の物をひっくるめてプレプリントと呼んでいると思うが、それぞれに分けてその是非を議論しないと、よくわからないことになる プレプリントが業績になるのなら,「なんでもあり」になってしまう.昇進や個人の利益のためにプレプリント公開に走る人が利用する.そのことにより最初はモラルの低い人が始めたことでも,モラルの高い人も追随しないといけなくなり,研究の本来の意味を失うと思う. プレプリントが馴染む内容とそうでないものに分かれる。また発表していない研究のマネの問題が海外の人だととてもあって、危険である。大きな地震が起きたときに、速報を自分の職場の学術的なHPに出したとき、その内容をほぼまとめたと思われる内容を中国の人が学術誌に投稿し、それが自分へ査読して欲しいと回ってきた経験があり、非常に困惑したことがある。プレプリントでも同様のことはおきかねると思い、プレプリントには注意している。 プレプリントが認められると,裏付けのない思いつきの内容も認められてしまうことになり,その裏付けを行う地道な研究過程を軽んじる風潮が生まれることを危惧しています. プレプリントが普及するほど、査読の重要性が高まると考える。 プレプリントサーバーの継続性については懸念を持っている。 プレプリントサーバーの論文に対して、AIによる自動レーティングが導入され皆が参照する様になると予想する。 プレプリントでの事前の原稿の公開は、ダブルブラインドの査読の意味を実質的になくしてしまう可能性がある。 プレプリントでは専門家による科学的検証が行われていないことから、不確実な結果に基づく考察が行われる可能性があり、悪意ある(あるいは恣意的な)議論の誘導に利用される可能性があるのではないかと懸念しています。また、発表後に致命的な不備が見つかり正しくない結果であることが証明されたとしても、多くの場合その知識は更新されないのではないかと思っています。したがって、プレプリントの立ち位置と信頼性、未検証の報告であるという事実については、研究者に限らず、広く共通認識として持ってもらう必要があるのではないでしょうか。 プレプリントで出した場合、アイデアやデータが取られる場合があり、不安がある。 "プレプリントで発表することについての意義は難しいところであるが、 1.研究成果の新規性を確立させたいとき(先を越されないため) 2.研究費獲得(NIHグラント申請)などのため 3.論文投稿において必須とされている場合 等があるかと思います。 その一方で、成果が早期に流出することにもつながりますので、内容や状況に応じて決定すべきことで、現状では一律に行うべきではないとと思います。" プレプリントとして、発信するのは自由だし、出版社も認めるべきだと思います。それを評価するかも各機関が判断すれば良いと思いますが、査読付き論文などとは明確に分けておく必要がある。 "プレプリントにおいて取得したデータに基づいた知見を積極的に公開していくことは,出版バイアスを少なくしていくうえでも重要だと思う。 その一方で,査読のシステムにも一定の意味はある。 査読論文に投稿し査読のプロセスの中で,プレプリントからの修正等は生じる可能性は高いが,その際のプレプリントの取り扱いをどうするかなど,一定のルールが見えてくると,公開もしやすくなってくると思う。 一方,オープンアクセスはできる限り積極的に進めていくべき。研究室にお金がないと最新の論文を読むこともできないという状態は望ましくない。" プレプリントについては、研究データの漏洩、他の研究者の盗用がないことが前提条件になると思います。 プレプリントについては、査読を経てないことを明確にして頂く事。ただし、SNSやメディア等で一部の情報が切り取られ、プレプリントであるという情報なしに広がるリスクがある プレプリントについてはその性格上、査読がついていないので成果として認めるべきかは難しいところだが、時間のかかる査読と違ってタイムリーな出版が可能であるので、研究の現在のアクティビティを測る指標に使えないものか.少なくとも、研究論文とテクニカルレポートやレビュー、レクチャーノートの区別くらいはAIでもできるはずなので、人事査定の際にはAIと人間のハイブリッドである程度は簡易的にプレプリントについても実績評価できるのではないか. プレプリントについては速報性はあっても、妥当性について検証されていないため、情報が独り歩きしないか不安がある。特にコロナのように、社会問題にかかる研究領域については、査読を経ない情報がメディア等により独り歩きすることを危惧する。 プレプリントについては妥当性が示せていなくてもアイデアのみをオープンにして、他の研究者が参入してくることを防ぐ手段として利用される気もします。その逆に、妥当性が示されていないプレプリントのアイデアを使って、論文誌へ先に投稿してしまうような案件がでてくるように思います。 プレプリントについて意見ですが、学術誌の査読者としての経験も踏まえると初稿で論理やデータの信頼性に関して全く問題がないということは稀なので、しっかりとピアレビューによる審査を通過した情報が公開されるべきであると考えます。ただでさえ情報が多すぎる世の中になってきており、誤解を与えるような情報が氾濫することにつながることを懸念する。一方で、しっかりと査読プロセスを経て審査された論文については、費用的な面の課題が解決されれば、オープンアクセスが今後のスタンダードになることが望ましいかと考える。 プレプリントにより、多くの人から評価を受けるのはいいと思うが、そのコメントに対応してく作業が増えるのは大変だろうなと、漠然と思っている。 プレプリントに限らず、第三者の審査(査読)のないものを業績として認めるべきではないと思う。 プレプリントに対するメリットは一定あると思うものの,盗用や二重投稿など,危惧すべきデメリットのほうが大きいと感じている。 プレプリントのままで終わっている論文が多過ぎるように感じる。それらは一定期間の後に、削除された方が良いように思う。 プレプリントの意義が大きい研究分野と、そうではない分野があると思う。全ての学術研究分野にプレプリントを奨励する昨今の流れは、個人的には賛同出来ない。 "プレプリントの価値について真剣に考えたことがなかったので、本件は良い機会となった。オープンな議論の場が増えることは研究成果の成熟や進展の上で歓迎したい。しかし、私の研究倫理が追いついていなくて不安が多い。 ルールや倫理の共有化・見える化も合わせて向き合っていきたい。" プレプリントの後に正式な論文になると思いますが、その時にはいくつかの修正が入ると思います。プレプリントが正式な論文よりも発展すると、そうした修正前の間違いが学術界に広まるため、正式な論文のみをオープンにすることが必要だと考えます。そのためには、国などが積極的に財政的な支援し、健全な雑誌を育てる必要があると考えます。 プレプリントの公開は、その新規性が曖昧になるのではないかと危惧される。 プレプリントの場合、内容に問題がないかが不明なため、かなり注意が必要である一方で、査読論文のように「先に手をつけた」アピールができることが課題かと思います。 プレプリントの必要性は分野によって大きく異なると思います。 プレプリントの品質を、論文管理ソフト(例:Zotero)などと連動する形でフィードバックできるようになると利便性が高まるように感じます。 プレプリントの利点は理解できるものの、内容が確率する前にアイデアが公開されることがあるため、査読論文の評価対象であるオリジナリティが侵害される可能性が気になる。また、逆の立場で、他者のプレプリントからヒントを得た場合、先に査読論文を書いて良いのか倫理的に迷うと思う。 プレプリントの利用のメリットがよくわからない。プレプリントに投稿するのであれば、インパクトファクターが低くても投稿から出版までの期間の短い査読付き雑誌に投稿したほうがいいように思う。 プレプリントは,IEEEのジャーナルなども導入していますが,査読が通らなかった場合のアイディアの盗用リスクがあります.この場合,プレプリントはあくまで査読前のため,ユニークなアイディアでも,オーサーの基には成果が残りません. プレプリントは、論文が発表された場合に意味があり、プレプリントのままで終わっている場合は意味がない。またプレプリントが重要なのは、競争が激しい分野で、先取権を主張したい場合だと思われ、真の価値があるプレプリントはごくごく一部だと思う。 "プレプリントはあまり馴染みがないので分かりませんが、それを投稿したところで業績にならない現状では、出す必要・メリットはないように研究者の側からは思います。 ただし速報性の高いもの、極めて新規性が高いもの、競争が激しい分野での研究を世に出しておきたいというのであれば、プレプリントのようなものを活用するのはアリかと思います。" "プレプリントはオープン査読として興味深いプラットフォームであると感じるが、現状では参加者が少なく意義が少ないように感じる(分野によるか)。 一方で、投稿論文総数の増加に伴い学術雑誌の査読が十分に行えていないように感じており、これとは別にプレプリントの状態で双方向の論文修正期間を設けることは非常に意義があると思う。これを達成するためには、二重投稿とならないような規定や、出版物との相互連携、プレプリント投稿の一般化などが必要となってくる。 現状の査読が不十分である点の一つとして、引用先まで調べることの難しさがある。あたかも既往研究で実証されているとした内容が、よく引用先を読むと解釈が間違っている場合などがある。デジタル技術の向上により、引用をクリックすると実際のデータ(論文の行や図表)に直接飛ぶ形にできないだろうか。そうすれば査読(プレプリントを含む)ももう少し質を向上できると思う。" プレプリントはレフリー制の不透明性が生む不公平や不正を防止できると期待される。一方で査読なしに公開されることの危険性(ミスリードや売名)もないとは言えない。 プレプリントは学会発表と同じようなもので、議論の場としては有用であるが、業績としての評価にはならない プレプリントは学術投稿論文の手前として意見交換を促す手段としてみなせば非常に適した仕組みだと考えます。 プレプリントは緊急性の高い論文の早期公表や論文の推敲のためには有効な手段ですが,プレプリントにする意味の無い論文が大量にプレプリント化され,査読完了後の論文と合わせて世に出回ると,正式版(査読付き論文)と劣化版(プレプリント)の間の内容のずれによる誤解や,二重投稿と同様の問題によるデメリットがメリットを上回るおそれがあり,そのためプレプリントは条件付きで認めるのが妥当ではないかと考えています. "プレプリントは研究のタイムスタンプを取る手段としては非常に良いとは思う。 本来は、自由な議論を促進するものと期待されていたが、これはほとんど実施されず、読まれておしまいになってしまっているところは残念である。 ただプレプリントに入れる、つまり論文の形ができている段階まで来たのであれば、積極的に公開すべきだと考えているので、プレプリント活用はもっと積極的にするべきである。" プレプリントは研究発表のための方法、チャネルの1つとして活用されるべき。研究の活性化、推進には役立っている。著者にとっては、先取性の確保やフィードバックを得るためにも役立つ。内容は必然的に玉石混交になるため、業績(特に、雇用、昇進などの)として評価する場合には内容の精査が必要。プレプリントなので、最終的には論文誌や国際会議で査読を受けて確定することが望ましい。 プレプリントは研究発表の先取権を得るために必要となってきていて、使われるのが普通となってきています。査読を通していないプレプリントには信用性の問題がありますが、読む人は査読を通していないもの(内容が精査されていないもの)として読むので、そんなに問題にはならないと思います(一方、マスメディアがarXiv論文を元に世間一般に研究を紹介するのは危ういと思います)。日本は世界最先端の研究情報の入手が遅れているということがよく指摘されていますが、arXivなどに海外が競ってプレプリントを発表してくれることで、日本は世界の最先端情報にかなり追いつけているという気がします。そういう意味でもarXivの存在は大変役に立っていると思います。通常国際会議や雑誌で読む研究というのはその研究を行っているグループにとって(研究を1年、発表まで1年ぐらいの時間差があるとしたら)すでに2年前ぐらい前から始めている研究ということになるのですが、arXivで読む研究は、(研究が終わった後すぐにarXivに掲載しているとしたら)1年ぐらい前の研究ということになってだいぶ時間差がなくなります。 プレプリントは今後オープンサイエンスの拡大の傾向にのって広がると思われます.もちろん質の低い報告があると思いますが,科学技術は玉石混合の中でしか得られないように思います.なので,プレプリントを活用することはわが国の科学技術の発展において不可欠と言える. プレプリントは査読誌への掲載を代替するものではないが、速報性や透明性の担保のため、査読誌と組み合わせる形での推進が必要である。 プレプリントは迅速性という視点では意味があると思うが、迅速を重視するが故に内容の不備や間違えを生じやすい。長期的な視点では、プレプリントの価値は査読論文には及ばないと思う。 プレプリントは内容の信頼性を自身で判断する必要があるが、信頼性の低い論文が引用される可能性があり、不特定多数に公開することには否定的な立場である。 プレプリントは二重投稿の恐れがある一方で、不透明な査読中にアイディアを他者に奪われる危険性を軽減する。信頼で成り立つべき雑誌、論文ではあるが、昨今の状況を考えるとそれが難しいこともあるため、プレプリントについては前向きに考えている。ただし、自分たちのアイディアであることは認めてもらえるだろうが、成果として認められるのは違うと思う。 プレプリントは評価の位置づけが非常に難しい。また、オープンアクセスは論文のビジネス化が危惧される。 "プレプリントより、オープンアクセス(オープンレポジトリ)を推進してほしい。 J-STAGE利用申込の簡便化など。" "プレプリントを学位要件にするかどうかの議論は必要。 プレプリント論文で見られる実験上のミスや、もし不正があった場合は、どこまで認定するか?という問題も残る。" プレプリントを研究費の申請や人事の評価の際に使用するかのをルールとして統一することが重要である。 プレプリントを公表するという慣行がない。プレプリントは完成稿ではなさそうであるので、そうした中途半端なものを業績に加えられると、困るのではないか。 プレプリントを行うかどうかは著者の自由であるが、ネット上で早い者勝ちの論理は学術性のみならずビジネスの世界でも権利関係を危うくする可能性がある。新規のアイデアを本来の価値ではなく、盗用された云々での価値により判断されることを避けたいと願う。 プレプリントを使用したことがなく、評価ができませんでした。申し訳ありません。 "プレプリントを読む側としては最新の研究動向が知れてよいと思う。論文の手法の信頼性は読む側がしっかり判断すればよいと思った。 投稿する側としては、プレプリントを投稿した後すぐに本命の査読付き論文に通ればよいが、通らず苦戦した場合、プレプリントが先行しているのは二重投稿と誤解される可能性や盗用される可能性などのリスクが高まる気がしていて、心理的に微妙に感じる。" プレプリント後,目的とした論文にリジェクトされた場合,,別の媒体の査読付き論文に再投稿することになっても,発表の障害にならなければ,それなりに発展すると思われる.現状,この問題を考えると,出版社の論文の囲い込みにつながると思われます.私は事実,そういう印象を持っています. プレプリント公開を促進することで、研究スピードを加速すべきと考えます。オープンアクセスが増えると、研究費が少ない研究機関、研究者、グループとしては非常に助かり、予算格差の是正につながると考えます。 もし実現するなら、プレプリントを公の場で評価するようなシステムが確立し、現在の査読システムと共存するような社会になって欲しい。現在の査読システムは色々な点で崩壊していると思われる。具体的には、インパクトファクターによる雑誌のランク付けと高IF雑誌の寡占状態、査読の公平性などに問題が多すぎる。公開評価されたプレプリントが高く評価されるようになれば、上記の状態が改善されるのではないか。 やはり研究結果の公表において、査読の重要性がかなり大きいと認識しており、査読の経ないプレプリントには抵抗がある。 レベルを保つことが難しいと考えられる。また、プレプリントが業績として認められないのであれば、情報漏洩と同じなので普及は進まないと思う。 ワールドワイドなアクセがどんどん便利になっている状況を考えるとプレプリントを迅速に出す意味は十分あると思うが、一方で信頼性などの点で不十分なものが多く出回ると混乱する可能性もあるように思う。 営利事業として非常に多くの利益を得ている出版社があると思うのでプレプリントに賛成します 円安の影響もあり、オープンアクセス論文の掲載料が高騰してきている。 "欧米の動向から、オープンアクセスは今後一般化してくると考えられる。しかし、日本はオープンアクセスへの補助が十分にあるとはいえない。例えば、オープンアクセスには論文一本20-30万円は必要である。この金額は科研費基盤C(年間120万円程度)だと、研究費の2割程度に相当し、研究活動を制限することになる。各大学や研究組織で、出版社との契約を取りやめて、オープンアクセスへの補助に当てるなどの対策が必要であろう。 プレプリントに関してアイデアや成果を公表する分にはよいと思うが、その内容を研究成果としてアウトリーチ活動につなげるのは好ましくないと考える。アウトリーチ活動は、査読をうけ出版が決まった後に行うべきであろう。" "仮に日本のみで論文のオープンアクセスやプレプリントを制限したとしても、世界の趨勢は、制限なしの方向に大きく走り出してしまっている。 特に競争の激しい分野(AI、特に自然言語処理)では、arXivと記載したものが引用文献に先行研究として記載することが一般的になっている。制限や規定を設けることは可能だが、問題点を議論する以前に、もはやこの流れは止めらる状況ではないと思う。" 科学的内容の知的公正性と新規性を担保するためにも、論文はオープンアクセスやプレプリントとして公開した方がより良い世界をつくれる。 "科研費や助成金などの資金源団体はオープンアクセスを推奨するが、オープンアクセスにかかる費用を甘く見すぎである。 民間の出版助成金などはオープンアクセスを対象にしたものがあってもよいと思う。" 学会では、査読のブラインド制との両立可能性がしばしば議論になります。 学会のプロシーディングスやpreprintを学術誌が認めないと、未完成の研究の議論を阻害することになる。 学際的かつ公共のためになる活動(環境問題等の社会問題への取り組みなど)に関して、学術的な研究へのアクセスのハードルが下がることは有益であると思われる。一方で、特定の学術コミュニティ外の人にとっては、査読論文は、その研究内容がコミュニティ内で認めらレているかどうかの判断基準ともなっているため、目的の違いに応じたプレプリントとの棲み分けを明確にすることが重要と考える。 学術の世界で重要なのは先見性であるから、後発のオープンアクセスの論文がサイテーションが高くなるのは問題である。論文のオープンアクセスは著者ではなく学会や研究補助財団が費用を負担すべきと思う。プレプリントが重要な分野は限られており、多くの学術分野では学術の正確性を損なう原因となります。 学術の発展並びに研究資金の原資を考慮すると、全ての学術雑誌をオープンアクセスにすべきと考えるが、経費が著しく高額である問題を解決すべきである。プレプリントは、客観性が担保できないことから信頼性が低い問題がある点が致命的な決定であり、廃止すべきであると考える。 学術雑誌のような信頼性がないことは確かだが、学術雑誌に掲載された論文が全て正しいわけではなかったことも事実であり、あくまで相対的な評価に過ぎない。考案時期の証明や速報性の高さなどメリットがあるのは間違いなく、学術雑誌と共存する方向で発展を続けてほしい。 "学術雑誌の価格が高騰しているので、プレプリントや機関のレポジトリーなどにより公開することが今後ますます重要になると思います。 営利出版社に依存しない学術成果の公表と業績評価を進めていく必要があると思います。" 学術雑誌の編集業務に関わっていますが、査読をし、著者が改訂を進めたときにプレプリントとの同一性が消失していくことに懸念があります。本来は、改訂稿をプレプリントとして登録しなおしたほうがよいように考えますが、こういった更新がうまくいかない可能性が高いと感じています。 学術雑誌の論文独占化と費用高騰をうけ,科学技術の自由を守るためには,論文のオープンアクセス化は進めるべきと思います。しかしながら,オープンアクセスにはかなりの費用が掛かりますが,そのための助成が十分に用意されていません。論文のオープンアクセス化を進めるためには,まずは十分な金額の出版助成が必要だと思います。(科研費等で費目の項目として大々的に認めるべきです) "学術誌の査読期間が短ければオープンアクセスも少しは利用したいと考える。 特に理論研究は盗用され易いので採択前に内容(手の内)を公開するのには少し慎重になる。 オープンアクセスにも権利のようなものが認められれば利用しても良いと考える。" 学術論文の読者がおおむねアカデミアに閉じており、むしろ執筆者側の費用負担でジャーナルを出版している分野と、実務家・学修者を読者として期待できるので商業的な出版が成り立っている分野(かつ、読者の期待に応じた依頼などが行なわれ原稿料が支払われる分野)があり、オープンアクセスやプレプリントをめぐる状況が大きく異なっていることは明確に認識されるべきだと考える。 学術論文は、他者のチェックの目は欠かせないと思っていますので、プレプリントという考え方は理解できません。ただ、良い研究成果は多くの人で共有したいと考えますので、オープンアクセスは良い流れだと思っています。 学術論文は査読があるべきと思います。 "間違った情報が多いが、そのままプレスリリースされている場合がある。また、「先にやった感」だけが先走って、似た研究をしている研究者が委縮する場合が散見される。 あまりい制度だと思えない" 基礎医学、生命科学の分野では、日本人はどうしても欧米に比べて不利な立場にあります。簡単に研究成果がスクープされて、査読の段階で不条理な嫌がらせを受ける時も多々あります。それは仕方ないことですが、そのためにも研究データを機密にして、論文に受理されるまで、外部に流出されないように守る必要があります。そういう点で、日本人がプレプリントに公開するのは、必ずリスクを伴うと思っています。 基本は、きちんと評価されたものを公開するというスタンスであり、公開速度優先ではないと思います。 既にQ25の論点になっているが,プレプリントすると公知となり,投稿に抵触する雑誌もある.プレプリントの取り扱いがあいまいであるために,現時点では積極的に採用できない。一方で、査読期間や掲載までの期間が長いため,いち早く成果発表としてのタイムスタンプを確保できる点は魅力的である.制度が整えば,プレプリント→雑誌公表の流れは研究者側からは望ましい。雑誌側からも利点があれば,確立して欲しい制度ではある。 虚実様々な情報が氾濫している現代において、科学的な知見については査読等を経たものが公開し、ある一定の程度のレベルは維持すべきだと思う。 "競争的資金の配分元がオープンアクセスを要求する場合があるが、オープンアクセス化が任意で有料の雑誌の場合は、配分元が費用を負担すべきであると思う。 オープンアクセス化は良いことだと思うが、それに必要な費用が高すぎる。日本で得られる競争的資金の内ではオープンアクセスを選ぶことはほとんど無理である。" 興味のある分野の情報共有スピードはあがるが、具体的には論文が出てからの確認となるため最終的なスピード感はあまり変わらないかもしれない。 近年,完全なオープンアクセスに舵をとるジャーナルが増えており,その中はMDPI系など,金さえ払えばほぼ査読なしでacceptされるというケースも問題になっています.一方,こういったジャーナルに限ってimpact factorが人為的に高くなる傾向があります.一部の出版社と研究者にとって都合の良い取引ですが,学術の発展にとっては明らかに悪影響が及ぼします.よって,論文のオープンアクセスやプレプリントには慎重な態勢をとるべく,厳正たる評価を行う必要があります. 近年の輸出管理(制裁)による成果公開の制限の視点から見ると、最初の公知化手段の1つとして採用が少し進むのかもしれない。 近年の論文誌購読価格の上昇が著しく、購読を継続するのが将来的に難しくなってきているように感じる。著者が一度オープンアクセス費用を払えば誰でも閲覧できる形式のほうが、業界全体として真っ当な価格で論文にアクセスできるように思います。 "掲載料が高額であり研究費では賄いきれない。研究成果に万人がアクセスできるようになる一方、研究成果を出版できる人たちが限られてくる。結果として研究の多様性が低くなり、万人が覗くことが可能な蛸壺、となり、一部の資力ある者に寡占されうる。そうはいっても【プランS】の流れには抗することはできないし、また、研究成果が公知され、広く読まれることは、非常に好ましいと思う。【プランS】に参画する研究機関が本国にあって良い(参加する方向は変えられないだろう)と思う一方、J-Stage上に投稿料が無料または低額の、分野を狭く限定しない自然科学系や工学系(人文社会科学系もあって良い)の雑誌を、学会やがそれらのコンソーシアムをベースとして早急に立ち上げるべきであると考える。南米は既にそのようになっているため、プランSの動きに動じておらず、インドでも立ち上げる方向とのことである。このような考えに至ったのは、「プラン S 改訂―日本への影響と対応」(船守美穂 著、情報の科学と技術 69 巻 8 号,390~396(2019)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jkg/69/8/69_390/_article/-char/ja/)や下記のURLの記事を読んだからである。 https://current.ndl.go.jp/node/38596 https://rcos.nii.ac.jp/miho/2020/10/20201007/ https://rcos.nii.ac.jp/miho/2019/06/20190605/ 特許文書は、出願が自由である点を除けば、良く機能しているオープンアクセスの技術報となっている面がある。特許文書と同様のプラットフォームで、査読の上で公開する(または出版後査読を加えその履歴を残す)スタイルのオンライン雑誌が日本でも欲しいし、アジアやその他非欧米圏からの投稿が大いに見込める、と思います。" 経済学の場合査読に時間がかかりすぎるために先にDPを公開することが慣習となっており、査読にかかる時間を短縮できない限りは次善の策として現状維持が望ましいと思う 研究の即時性のためには必須だと思います.とくに新規の分野・課題で.ジャーナルなどではページ数を多くすることが難しい場合,とくに詳細な内容を掲載したい場合などにも有効だとおもいます.投稿したジャーナルで掲載が決まったものであっても,詳細を引用することも可能であることから. 研究を遅滞なく公開し発展させるには必要な制度であると思います。十分な研究資金を持たない研究者に対しても、最新の研究をフォローする機会であると思います。その一方で、査読/採録されたものかどうかの峻別と、論文発行機関への経済的配慮についても併せて対応していくことが必要と考えます。 研究結果は信頼性の担保された学会誌や権威のある商業誌などに、査読を経て出版するべきと考える。しかし、査読システムにはバイアスがあり、有名な研究者・研究室が優遇される他、他の研究グループの成果公表を遅らせようとする悪意のある研究者もいる。このような不公平さを現実的には無くすことができないため、第一に研究発表の(時間的)競争優位性を確保する上でプレプリントを投稿することが必須だと考える。 研究者のポジションが健全な競争環境であれば(異常な過当競争でなければ)発展していくとは思う。 研究成果を広く知ってもらう場や先行性を確保する(現在の査読システムが割とパンクしており、出版がいつになるのか読みきれないので)上で、プレプリントの果たす役割は大きい。研究者はプレプリントの位置付けを理解しているし、結局のところ査読者でもあるので、論文の中身を精査すればそれが信頼に足るのかどうか判断できるため問題ないと思う。しかし、プレプリントの内容が(昨今のCOVID関連の情報がいい例)一般人にむけてニュースとして取り上げられるようなことがあると問題が生じる可能性がある。この点については報道機関に向けてルールを作ることや、一般の人に対しての情報・科学リテラシーの向上の取り組みが必要かと思われる。 研究著者として,査読を通して公開されるであろう論文のオープンアクセス,プレプリントの必要性はまったくないと考える.ハゲタカ出版社を喜ばせ,学会の「ぼったくり化(禍)」がすすむだけ. 研究費のかなりの部分がオープンアクセス費に持っていかれることもあるので、そこは問題点の一つと考えています。 研究費申請の際など、プレプリントは業績に記載しないことなど、明確にしたほうが良いと思います。最近は査読ですら怪しくなってきているようにおもいますので、査読が全くないのは業績として論外かとおもいます。 研究分野によって発展性は変わると思われる.工学系の場合,オープンアクセスは査読付き論文なので全く問題ないが,プレプリントは課題が多い.モノ,手法,解析法など,最初に開発・見出した研究者はだれかという議論になった場合,査読がない学会発表は候補にはいらず,査読付きの論文あるいは特許となるため,プレプリントで発表した場合に,他の査読付き論文とならんでどちらが最初の研究かどうかのところで同等に評価されるのであれば可能性はあると考える. 現在の有志の査読ベースのやり方は破綻寸前なので、プレプリントなどを活用した新しい形態に移行していくべきだと思う。 現時点では,基本的に必要性は感じていない。論文誌での発表が遅いようなら,学会発表すれば良いのでは?(もちろん,学会でのプレゼン内容を論文として発表して良い事が前提ですが。。。) 公開されたプレプリントは,もう公知なので,特に速報誌の論文としては如何かと思います.またサイエンス誌やネイチャー誌は,未公開データの掲載を重視するので,論文内のデータの発刊前の開示は,ご法度です.これが守られないと,採択されていても,取り消されることもあるとくぎを刺されます.日本はいわゆる総合誌CSNを評価しない傾向が強いので(本学ではそうです),そこが国際競争力の低下を招いていると思います. 公的研究機関による研究成果の社会還元・福祉の観点からは、オープンアクセスを広く普及すべきと考えるが、その論文等へアクセスした使用者情報も同時にオープンにすべきと考える。また公的研究機関においては、オープンアクセスに必要な経費が、最低限の事務処理で且つ数カ月単位で申請できるような制度が求められる。またこの必要経費は、研究実施の必要経費を圧迫しないよう、両者の経費が分離したものとしての制度整備が極めて重要と考える。 公的資金で行われた研究の研究成果は国民、さらには人類の公共資産であり、現在の雑誌社などの一部の利益団体による独占的な利益活動は認められるべきではない。論文をオープンアクセスにすることに100万円単位の金額の負担を求める雑誌社もあり、その金額を税金から払うほどの実際の利益がどこにあるのか甚だ疑問である。現行の研究成果の評価を論文だけに依存する方法を脱し、利益団体である雑誌社に依存しない手法を検討する方向に議論を進めるべきである。 広く研究を知ってもらうために、オープンアクセスは今後も発展した方がよいと思う。一方、プレプリントについては、二重投稿に関する規定が分野によって異なることや、他機関の盗用の問題が倫理的な範囲に収まっているので、それを解決しないと全面的に周知されることは難しいと思います。 国税を使った研究成果がオープンアクセスにならない理由が見つからないと思います。プレプリントを業績と認めるには、専門家による査読を受けないと難しいと思います。 国内においては業績として扱われる指標が論文の価値ではなく、数になっている。そうした現状がある中で、プレプリントを業績とするにはリスクが伴うだろう。またプレプリントは知財の面からも扱い方が難しいと感じる。オープンアクセスは誰でも文献をみれるという公平性から、より発展していくべきと考える。一方でそれによる投稿費の高さも伴うので、投稿者の観点からは公平性に欠くという問題点があると考える。 国内の活動として、日本の企業研究者、技術者でも理解できるように、英語の学術雑誌のみに出版されている日本人による論文発表を、日本語版としてまとめて、プレプリントとして出版/評価される活動があればよいのにと思います。 今回の内容については、あまり知見がありません。 今後論文のオープンアクセス化はますます進むと思われるが、出版社への追加負担が軽くなることを期待したい。 査読された結果を広く知らしめるオープンアクセスは科学の発展の面からは好ましいと考えるが、未査読の状態のものが公開されることは誤解を招く表現などが含まれる可能性もあるため好ましくないと考える。 査読で受理されるか否かに関わらず研究成果は原則、論文として発表する機会があることが望ましい。ただし紙面に限りがあるので現在の査読システムが優先されるのはやむを得ないと思われる。したがってリーズナブルな掲載費用で発表できるプレプリント専用の雑誌があることが望ましいと思われる。超独創的な論文や引用数の高い論文が発表され、全体として科学の発展に貢献する可能性は高いと思われる。 査読のシステムが機能しなくなるのではないか? 査読を経ていないものがオープンになってしまうことに懸念がある。データの信頼性や解釈に関わる部分が一人歩きしてしまうのはよくないと感じている。 査読を経ていないものとして、業績としてのカウントはできないが、査読が長い問題があるので、先に公開する手段として有効である。ただ容易にアクセスできることで学術誌の意義が問われるので、査読掲載されたものは削除するなどの措置が必要だと思う。 査読を経て発行された論文がオープンアクセスになることは良いことだと思います.著者にとってはその論文がより多くの人に読まれる可能性が広がりますし,読者にとっては多くの情報に接する機会が得られるからです.一定の期間を経た後にオープンにするくらいなら,最初からオープンにしてほしいと思います(著者の立場と読者の立場の両方から).学会の年会費は,サービスを受けるための費用ではなく,出版者を支えるための費用だと考えることができると思います. 査読を受けていない内容を公開することにより、科学的に信頼性の乏しい結果がマスコミ等に取り上げられることは問題だと思います。もっとも、最近は査読の不正が問題となったように、査読を受けたから信頼性が高いとも言えない点は気がかりですが。 査読を得ていないのは信頼性において問題がある一方、速報性を確保できるメリットはあるので、サブのオプションのような位置づけを超えないほうがよいと思いますが、あることは良いと思います。 査読課程を公開するというのは、査読中の偏見を無くす意味で(査読者の意見が公開されるため、査読者のフェアな行為を促すという意味で)意味がある。そのためには、プリプリントの公開を認めなければならない。しかし、業績という意味でプリプリントの公開を認めることは良くないと思う。査読が済んでいない情報が社会で広がることは情報の信頼性が失われるように感じる。 "査読前のプレプリントは論文の内容の真偽や質が信用できないので、査読を経てからのほうがよいと思う。査読のプロセスが終わった後であれば、校正前の原稿が出ることについては問題ないと思う。 著者が自らのWebサイトで発表する分には特に問題ない。" "査読前のプレプリント公開の仕組みに不安がある。プレプリントを盗用したものが投稿されたときに、投稿された雑誌が盗用であることを検知できれば良いが、そうでなければ盗用し放題になる可能性がある(とくにそういったことを問題視しない国家などが存在するのも問題)。名のある雑誌であれば事前に気がつく可能性があると思われるが、ハゲタカジャーナルなどに投稿されると、おそらく何の確認もなしに(下手をすると殆ど査読せずに)盗用したものがそのまますんなりと掲載される可能性がある。 また、この議論は、特許における「先発明主義」と「先願主義」に似ている。査読前のプレプリント公開は、だれが一番に発明・発見したかを主張する場であると言えるが、これが主流になるとディポジトリの乱立や個人公開などで混沌とし、先発明・発見者の事前確認が複雑かつ膨大な労力となる可能性がある他、論文掲載後に新たな発明者・発明者が現れ事後的に論文撤回が頻発するなど不安定になる可能性がある。特許の「先発明主義」は査読前のプレプリント、「先願主義」は学術誌への論文掲載に当たり、現在特許で唯一「先発明主義」を取っていた米国も「先願主義」へ舵を切っていることを考えると、メリットとデメリットのバランスから、査読前のプレプリントによる先発明・発見の主張を取り入れることは難しいのではないだろうか。" "査読等の外部評価が無い論文は科学的に信用できない物も含まれるが、それをSNSやニュース等で取り上げて拡散してしまうケースがある。信憑性の薄いデータや研究を拡散されると一般人に間違った知識を植え付けてしまう。 近年のSNSを中心としたネット環境の発展によりインパクトの強い記事が急速に拡散される例は多い。正しい知識と研究結果が多くの人に届くようにするためにも、査読が無く信憑性の低い物に関しては発信を阻止することが望ましいと考えます。" 査読付き、無し、の両方の選択肢があってよいと思う。研究者は、査読付き、無しに関わらず、研究手法やデータをみて、信頼するに足るかどうかを各自判断しないといけないと思うので、査読に頼りすぎるのはよくない。査読の手間が省け、スピーディにデータを公開できるというオープンアクセスの利点を利用するのも一つの選択肢としてあってよいと思う。 査読付きのジャーナルに掲載されている論文の内容ですら疑わしい内容はいっぱいあるし,大変申し訳ないが価値がないと思われる論文も多数ある.そんな中で,プレプリントまで認めるわけにはいかないと思う. "査読付きの意味がなくなるので、プレプリントの必要性を感じない。 また、活動している学術分野(土木建築)ではプレプリントを聞かない。" "査読付きの論文がオープンアクセスとなることは、研究成果の周知の意味でも文献へのアクセス機会の公平性の点でもよい。ただし、既存の非オープンジャーナルとの関係も重要である。論文の指標として、インパクトファクターがあり、オープンアクセスジャーナルはアクセスのしやすさからインパクトファクターが高くなりがちであるが、インパクトファクターがやや劣る非オープンジャーナルと比較し、論文の質が必ずしも高いとはいいがたい。 プレプリントは一般的に信頼性が低く、多くの分野では参考程度の意味しかない。一方で、医療分野など緊急性が高い分野でプレプリントの要求があるケースについては早期の情報共有の点で意味があると考える。よって、プレプリントの議論は一律に考えるのではなく、現在必要と思われる分野において議論されるべきである。" 査読付きの論文でも訂正や撤回がみられます。また、論文の査読を依頼された際に、データが不適切に処理されたものが頻回にみられます。データの信頼性の担保をどうするのかという点がクリアされれば、業績として認められると思います。 査読付き学術雑誌なら正しいという考えは間違いだと思われる。たった数名の査読者の判断で,偏った意見になることも多い。それよりは公開して引用されるかどうかの方が,判断しては正しいようにも思う "査読付き論文が制限なく無料で入手できることが科学技術の発展には不可欠だと思われる。その点で現在のオープンアクセスの掲載料は高すぎると思われる。 プレプリントは査読に関わらなく公開されるもので、それに応じた利用法がなされるのでそれなりの意味があると思われる。中には怪しげな原稿もあり、制限なく信頼できるものではない。" 査読付き論文は投稿→査読→掲載までに時間を要する事が多いので、即時性という意味では、プレプリントの価値はあると思う。 査読論文であったとしても、3名程度のレビューアーがその時代の常識に沿って評価しているだけなので、バイアスは避けられず、必ずしも論文の価値(将来的な価値)が正当に評価されているとは限らない。オープンアクセスのプレプリントとしてdepositすることで、雑誌の評価に頼らないオープンかつ正当な評価体制に変化していくことが望ましいと思われる。 "最近、学術誌の質が低下しているということが懸念され(査読に回ってくる論文でそう思います)、さらにプレプリントが発展していくことで、その風潮になることが危惧されます。 また、最近は電子化が急速に進んでいることもあり、論文検索(と論文を読む行為)が紙媒体から電子媒体に変わりました。そのため、【オープンアクセスについては】著者および学術誌の判断からそういう風潮になることに対しては抵抗がありません。" 最近のオープンアクセスジャーナルでの掲載料が高額すぎます。また、査読についても、適任ではない研究者が担っている印象を持っています。私自身、聴いたこともない専門外の雑誌から、見当違いの論文の査読依頼が頻繁にあります。 "最終的には査読論文が認められるべきと考えております。ただ、Covidなど速報性が高いものは別の基準があっても良いと思います。雑誌で少し軽い査読で速報性を重視する特集号が組まれることもあります(ただし他の記事を書いた人はすごく苦労したのにという公平性の問題は残りますが)。まれに、プレプリントのまま引用が増えたが、タイミングを失ってプレプリントのままになっているような論文もあり、そういったものは、いつでもアップできるResearchGateが有益と感じます。 大手雑誌のゴールドオープンアクセスは非常に高価で、サブスクリプションとの二重払いの問題も無視できないと感じます。" 雑誌の形態としてオープンアクセスは良いと思うが、プレプリントはあまり利用されるべきではないと思う。(著作権等の問題から) "雑誌の多様化および購読料金の高騰を踏まえると、オープンアクセスやプレプリントの仕組みは全ての分野において強く促進されるべきであると考える。一方、現状のままではいくつもの課題がある。 1. オープンアクセス料金の支払い: 雑誌によっては100万円にも及ぶ高額なオープンアクセス料金を要求される場合があるが、現状科研費などタイミングに恵まれた場合に使用可能な助成金に頼らざるをえず、研究期間終了後のオープンアクセスへの投稿については、投稿先に制限がかかる。 もちろんオープンアクセス投稿について論文採択後に申請しても間に合う助成金が気軽にあることが望ましいが、購読料含め財源に限界があること及び投稿したくなるオープンアクセスの雑誌がほとんど海外の出版社しかないことを踏まえると、交渉力のある規模でオープンアクセスの料金について交渉できる仕組みの構築が重要であると考える。 2. ハゲタカジャーナルの抑制方策: 適切なレビューが行われないオープンアクセスの雑誌がのさばることに何らご利益はないが、雑誌の適切な査読の有無について確認できる仕組みが重要である。現状このような試みは海外主導で行われており、日本は取り残されている印象がある。" 雑誌の特性に合わせて論文を書き直す手間が本質的に学術を進展させると思えない。特に学際研究は、既存の学問(すなわち、学術雑誌や学会)に論旨を沿わせる手間が大きい。プレプリントを自由に閲覧すれば十分だと思う。 雑誌購入費用の高騰、オープンアクセス雑誌の増加、研究者は研究業績の公開のための支出ばからが増えていく。 雑誌論文は、投稿から受諾までとても時間がかかるので、プレプリントで早く公開できるのはありがたい。 私が関係している研究分野すべてでプレプリントの文化がなく、評価などの判断ができませんでした。 私は基本的に研究成果はすべて公開されるべきと考えるので、プレプリントやオープンアクセスについてはポジティブな態度です。オープンアクセスについては投稿料が高額($1000以上だと高額だと思います)でなければよい試みだと思います。プレプリントについては分野ごとに状況が異なると思いますので何とも言えませんが、あまりプレプリントが盛んでない自分の分野ではもっと活用されてもよいのではと思っています。 "私は民間の研究者ですが、オープンアクセス化は賛成です。 現状の一番の問題は、多くの研究者にとって査読付き論文が自由に読める環境にないにもかかわらず、その現状を認識している著名な研究者が少ないことにあると考えています。 大きな大学や研究機関であれば、(公費で)ほぼ自由に任意の論文をダウンロードできますが、地方大学や民間研究者あるいは納税者は、公費でなされた研究成果であるにも関わらず出版社(多くは企業)に費用を支払わないと読むことができません。著名な研究者は論文入手に不自由していませんので、わざわざオープンアクセス誌を選択する必要がありません。 論文が取れない研究者は、仕方なしにインターネットから自由にダウンロードできる文献に頼ることになります。ただし、現状ではフリーダウンロード文献は玉石混交であることも事実です。公費が民間出版社に流れ、またその費用で出版社が著名な研究者向けのサービスを拡充する流れは、研究者の環境格差を生んでいます。 学術研究はすべての人に平等であるべきであると考えます。 オープンアクセスあるいはプレプリント化は、格差是正に役立つと考えます。 国内の学協会等に出版に関する予算を与えて、権威あるオープンアクセス誌育成を推奨する、あるいは既存ジャーナルのオープンアクセス化を推進する必要があると思います。 世界に目を向けても、開発途上国の研究者環境は決して良好ではなく、その不平等がプレデタージャーナルをはびこらせる要因の一つにもなっていると感じています。" 試料の記載、産出場所、画像なども含めて、分析データや解析データなどは、それを集めた人が費用も労力も割いて行った研究の結果である。個人のホームページなどで公開されるのも良いが、学会や学術雑誌が、そう言った”データ”を積極的に公開するシステムは、学術の発展に大いに寄与するものと考える。また、個人が勝手に公開している場合は、そのデータの信憑性を判断する基準がない。従って、しかるべき機関を通して発表するのが望ましい。 "自身の研究を広く世界に伝える上で,オープンアクセスについては引き続き対象雑誌を拡大していただけると良いと思います。 研究成果を早期に伝えるという意味では,プレプリントも良いと思います。ただし,それを業績として認めてしまうと,査読が終わっていない論文が乱立する可能性があり,不採択になる可能性のある論文を根拠として次の研究が行われる可能性もあります。場合によっては責任問題に発展しそうで,とても危険だと感じています。" "自身の分野(Computer Science, Information Network)では一定以上のレベルの査読はDouble-blind Reviewが主流である。Double-blindが本当に投稿者・査読者双方の匿名性を担保しきれているかという問題はあるが、論文投稿前にプレプリントとして公開した場合の査読への影響が明確でないため、現時点で投稿前の論文をプレプリントとして公開する意志は無い。 一方で、機械学習系など、論文数が膨大でプレイヤーも多く、誰よりも先に研究アイデアを公開し機先を制するという点では、プレプリントとして公開する重要性も理解している。" 自身の分野ではプレプリントを掲載するまでもなく、素早く雑誌が出版されるので、あまり必要性を感じない。ただし、海外の研究論文を入手する場合には、マイナーな雑誌については、HPなどにそれが掲載されていると、入手が簡単であるので、大変重宝する。 自分の分野では、ここ1年位でプレプリントが増加しているのを感じている。その後の評価をフォローしていないので詳細は追えていないが、レビュー論文との違いを明確にすべきではないかと思う。プレプリントが普及している分野もあると思われるので、やり方を投稿者・読者側双方が理解していれば、便利なシステムなのだろうと想像している。(実際は自分は扱ったことがないので評価できないが、おそらくメリットはあるのだろうと思う。) 質の高い論文がプレプリントに載るようになれば、プレプリントの利用がすすむと思います(現在は気象学の分野ではそのような状況にはないと思います)。 "出版ビジネスの歪みを是正するためにもプレプリントを積極的に活用すべきだと思う。 (地方大学所属時では入手できない論文が多かった)" 所属機関による情報格差は非常に感じるので、論文のオープンアクセスは大変ありがたいが、プレプリントは、制度が確立されていない(いるのかもしれないが、少なくとも自分の分野では広く認知されていない)ため行うことに不安がある。また自身が引用することにも躊躇いを感じる。 少し問いからずれるかもしれないが、日本の雑誌は J-STAGEを使っていることがあるが、google scholar や paperpileなどとの相性が悪く、検索に引っかからないことが他の雑誌に比べて多い気がする。引用数が少ない原因の一つとも考えられるため、改善してほしいと考えている。 少なくとも数学や物理の一部分野では、論文の主張に関する責任は(仮にどんな雑誌に掲載されたものであれ、さらにその論文や著者がいかに学術的に評価されているものであれ(細かなミスは避けられないので))読み手本人だというのが常識になっています。本来的には自らの専門に関わる学術的な情報はそのようにあるべきで、数学・物理分野では古くからプレプリントサーバが重要な役割を果たしてきており、学術雑誌その物がなくても研究は不可能ではない(数学では査読・掲載までの期間が2~3年かかることも多く、それを待っていれば遅れる)という状況ができています。ただし、大きな間違いなど査読で見つかることも多々あり、プレプリントだけでは、自分のかなり専門に近い分野以外では何が重要なことなのか、また価値があるのかまでは判断しきれず、当然ながら査読雑誌には価値があります。その点がなかなか商用性と整合しないことに問題があります。その点数学では旧来大学等の学術雑誌出版が大きな部分を占めてバランスがとれていましたが、近年は予算や特に人手の問題で国内では雑誌発行も難しくなっていることが大きな懸念材料です。 上述したように、プレプリントやそれに対する反応が、高IFジャーナルの職業編集者が査読に廻すかどうかの判断基準の一つとして取り入れている現実があるようである(勿論、プレプリントを出さずに投稿する場合もある)。その観点において、先取権の確保だけでなく、勝負論文を発表する際の手段の一つとなりつつある現実は認識すべき。 情報工学など研究スピードが著しく速い分野(1年経つと「時代遅れ」の技術や知見になる分野)や基礎数学など査読に時間がかかり、投稿から論文掲載まで著しく遅い分野(数年かかるのが普通の分野)はプレプリントを認めてもよいと思うが、そうでなければジャンクサイエンスがはびこる原因になると思うのでプレプリントは好ましくない。 "信頼性や扱い。 (他者の公開した)プレプリントの存在を理由に査読でリジェクトされても困るし、正しいか否か評価を受けていないプレプリント版を根拠として論理展開されても困ると感じる。 一方で新しい情報が早く手に入り、単なる利用者としてはありがたいことも多い。" 審査されていない原稿であるので,論文が正式に受理されなければ意味がないと思う。 "新型コロナウィルス感染症研究のように急を要する事態で、査読を待たずにプレプリントを公開する意義は確かにあったと思われる。だが、業績評価の対象にして推奨することは望ましくないと考える。問題のある内容を競って公開する風潮につながってはいけない。 なお、その昔、人文系は査読論文が少ないということで批判される風潮があった。本来、一度の査読では本当の質が判定できない類の内容が多いのが人文系の論文である。だが、二〇世紀末から理工系の基準にあわせて査読制度を普及させてきた。それがここにきてプレプリントも業績にするとの声があるのは、一貫性を欠いた印象を受ける。仮にプレプリントを業績評価の対象にするとしたら、そもそも査読はせずに紀要などで公開し、そのまま読者の取捨選択に任せるという人文系のやり方が適切だったという話になるのではなかろうか。" 進展が早くホットな研究分野ではテクニカルレポートとしての位置づけでプレプリントが有効であるが、企業研究の場合は特許等の問題がからむので対応しにくいだろう。 "人文学の場合、論文発表のペースが年に1回ないし2回のものが多い。それは分野の細分化が進み、査読者の負担等の観点からもあると考える。しかしながら若手の発表機会がこうした体制では研究の進展は臨めない。プレプリントに関して充分に周知されていないことが何よりも要因であろう。 またもう一点。オンラインでのプレプリント等は総て横書きでの記載である。人文系の雑誌には縦書きの論文が多く、歴史資料などの翻刻を含む場合、どうしてもフォーマットの違いを敬遠するきらいがあることも指摘しておく。" 人文学的分野は早急の成果を求めず、スピードよりも熟慮を求める傾向がある。また、論文をまとめて書籍として出版することを前提とするような文化も残されている。この傾向は欧米圏でも同様である。このようなことが、オープンアクセスやプレプリントを推進したがらない理由として挙げられるかもしれない。 人文系の研究では、同一テーマでの競争があまり激しいわけではなく、速報性よりも確実性が求められるだろう。ただ、Covid-19など時事問題に関連した論文など、確実性よりも速報性がありがたいテーマの論文については、プレプリントへの需要も意義もあるように思う。 人文系の場合、プレプリントの意義がどこまであるのか、利用したことがないためよくわからない、というのが正直なところです。それよりも、自然科学系と同様に論文数で業績を評価する傾向をあらためてもらった方が、心理的安全性を保証されて研究に集中できるのではないかと思います。どの分野でも、業績のためだけにプレプリントが量産されても、研究は発展しないように思います。 人文社会系の私の視点から見ると、査読というシステムには様々な限界もあり(既存の学問分野のパラダイムをはみ出る論文は評価されにくいなど)、「拡大されたピアレビュー」という議論もあるように、研究成果や論文はより広い文脈で評価されてよいと考えるので、オープンアクセスやプレプリントには一定以上の意義があると考える。 "数学のように読者がそのまま査読者になるような分野の場合は良い流れであると考える. 一方で,薬学のようにプレリミナリーな内容の場合,再現性を十分に考慮する必要があると考える. これというアイデアがあるわけではないが,そのようなことが実現できるのであれば,オープンアクセスやプレプリントも一考に値する方向かもしれない." 数年前はあまり伸びないだろうと思っていたが、近年は有名雑誌もオープンアクセスを創設したり知名度が上がっているので主流にはならずとも選択肢としてはこれからも残ると思う。 "成果物はとにかく早くプレプリントで公開するべきだと思う(一般的に査読は早く終わらないため,査読を待っている間に他人が自分の成果物として論文を出版する可能性があるため). プレプリントは無査読であるため,読み手は引用するときに十分注意するべきといった教育が必要." 生物医学系の多くの分野ではプレプリントを出すメリットがそこまでなく、スクープの危険性の方が高い気がします。出すにしても、論文リバイスが決まったか掲載がほぼ確実になった段階、あるいは非常にユニークで他に競争相手がいない論文に限られる気がします。これは数学や物理学の分野とは大きく異なります。 "生物学系では査読なしのプレプリントの内容の真偽が担保されておらず、著者が知らないグループの場合にはどこまで内容を信じていいのかはわからない。逆に、著者を知っている場合には査読なしでもある程度内容が担保されているものとして読んでいる。 プレプリントは数学、物理の分野で進んでいると聞いたことがあり、誰かが書いた数式を他の人がさらに発展させることで研究の進む速度が上がったとのこと。 生物系の実験は内容が複雑であり、その検証も専門家でないと難しい部分があり、プレプリントで出す必要性があるかどうかはわからない。むしろ、プレプリントでだすことのメリットがあれば知りたい。私自身の理解では、プレプリントは自分の業績の評価にはならず、さらに他の人に研究内容が知られてしまう(競合者がいた場合に先に論文発表されてしまう)可能性があるため、プレプリントを出すつもりは今後ない。 オープンアクセスについてはもっと進むべきであると思う。ジャーナルの数が多くなりすぎ、大学が購読費を払い続けることは将来的に不可能だと考える。そのため、投稿費が多少上がってしまっても、投稿論文が基本的にオープンアクセスとなれば個々の大学が購読費を負担し続ける必要はなくなる。ここで浮いた経費を、オープンアクセスへの投稿費補助に回せばよいと思う。" 先行研究の広い活用、共有のためには、オープンを進めることが必要 専門分野から少し離れると、プレプリントの場合正確性が自分で評価することが難しくなる。 全ての論文誌がオープンアクセスになるのが理想で、働きかけを行っていただきたいです。ただ、現状の妥協策としては、国が一括で契約して大学や国立研究所などの研究機関では等しい論文閲覧の機会を与えてほしいと考えています。現在論文誌がどんどんと増えているために、私の所属する研究機関では、Nature系列のジャーナルですら読めない雑誌がありとても困っております。 早く情報を得られるメリットと不正確な情報が出回るデメリットのバランスと思うが、すでに後者への寄与が無視できないレベルになってきていると感じる。質を担保するためには査読の有無や査読者(機関)の情報なども併せて公開していく必要性が出てくるのかもしれない。論文以外の世界では既に、商品の評価だけでなく、評価者が過去にどのような評価をしているかも見れるようになっている。 速効性や先取性の観点でプレプリントの活用は致し方ないと考えます。しかしながら、論文の質保証の観点において、業績評価の際には、プレプリント論文は評価の対象にしない方がよいと考えます。(十分な査読を経て受理された論文のみ、評価の対象にすべきと考えます。) 速報性という観点では推奨すべきと考える。一方、粗悪な情報の流通のリスクもある。 速報性については有用であるものの、信頼性についてはどこまでのものか、その分野の知識を有する者でないと判断が難しい。後に誤りが見つかった場合、十分な公報が困難である。また、十分な根拠やデータが無くても、共有が出来てしまうことから、査読された論文とは明らかに区別して扱われるべきだが、ネットや媒体で公開されてしまうと一般の方には殆ど区別できない。学術分野ごとに一定の基準はあってもよいと考えるが、執筆者の良心に委ねるところがあり、規制は困難。よって、緩やかに広がると考えられる。 "速報性の高いものや新規性が高いものについてはプレプリントの意義はあるかと思うが、本当の意味でのピアレビューが実現できるかは疑問。 オープンアクセスについては、研究費でのサポート(科研費・大学独自を問わず)がなければ投稿費用を維持できない。日本ではどのようにオープンアクセス化を実現するか、議論がもっと必要である。" 速報性の高い論文や、競争の激しい分野においてはプレプリントを利用するメリットは大きいと思われる。また、実際このような分野では利用が進んでいる。一方で、上記のようなメリットがない分野であれば、念のため自分たちが最も早くに成果を出したということを示すため (特許における先願主義のような) に使う以外ではあまり利用は進まないように思う。 速報性はあるが,査読過程を経てない結果は参考にしかならないと思います. 多くの国において、研究には多額の税金が投じられており、その研究成果は論文という形で世に還元されるが、成果の公開に介入して一部の出版社が過剰な利益を得ていることには問題があると思う。また、近年は学術雑誌の購読料が上がり続けており、所属機関でも雑誌の契約を巡って毎年議論が必要になっている(特に生物、医学系)。少なくとも、日本国内で活動する研究者が、日本の税金を使って実施した研究成果(論文)を参照する際に、海外の有名出版社に多額の費用を払わないといけないというのはいかがのものかと思う。 大学に所属している限り、オープンアクセスにあまり必要性は感じないが、一般市民、企業研究者や海外の研究者で購読をしていない方にも広く研究成果を伝えるためにもオープンアクセスは広がるべきであり、今後も発展するものと思われる。しかし、各雑誌のオープンアクセス費用が高騰していることによって、研究者間の格差も生じると考えられる。例えば50万を超える雑誌(Nature Communication等)の雑誌には、初めから論文投稿を諦めてしまう状況にある。 大学の図書館は、もう Elsevier や Springer の契約は切ってよいのではないか。あまりにも高額で大学経費を圧迫していると感じる。そのためにもプレプリントによる公開+同党の内容の投稿という形で研究を進めるべき。(ある面、オープンアクセスにするために一定の掲載料の徴収は逆にあっても良いと思う。ただし、現状では出版社は儲け過ぎの印象がある。) 大型予算の申請に論文化プロセス(査読等)が間に合わない場合には、既にほぼ論文の形になっていることを示すためにプレプリント投稿をするのが有効なように思う。また、競争が激しい分野ではプレプリントをいち早く投稿して先取権を主張するのも重要なのかもしれない。ただ、現状ではプレプリントだけで成果報告が終わるようなケースは少なく、その後に既存の学術雑誌へと投稿することが大前提になっている。 第2次大戦後築き上げてきた国際ルールや共通の価値観が、経済力・軍事力を持った専制独裁国家によって覆されつつある。現在、世界は、専制独裁国家による力による現状変更に対して、どのように向き合っていくべきかの瀬戸際に立たされており、科学技術分野における国際的なルールも、過渡期にあるものと考える。 オープンアクセスやプレプリント、論文の評価・公開方法なども、変わりつつあると考える。 誰もがどのような論文も自由に閲覧できる環境は非常に素晴らしいが、論文内容の評価基準が閲覧者個人に委ねられることが、良くも悪くも問題になる。研究業績の評価基準の整備(国内だけではなく国際的な基準も含めて)や、科学論文が社会に与える影響の大きさを考慮した上で、論文の二次情報としての取り扱いの整備が、社会的に必要になると考えられる。 著作権などライセンスの管理が複雑で、著者自身でもよくわからないことが増えたように感じる。 著名な雑誌への出版は大変時間がかかる。その前にプレプリントとして公開することは今後標準となるのではないかと思う。 電子図書の契約や論文投稿料(やオープンアクセス化するための追加料金)の高額化が加速している問題がある。たとえばGRLやSpace Weather(数年前は、5万円程度)に論文を出すと、今は30万円以上がかかる。研究者の出版費用負担を、これ以上増やさないための、なんらかの対策やアクションは、必要な支援に思われる。また、論文投稿時のプレプリント原稿の公開は、研究者にとっても自然な形態であり、研究分野が加速する要因になりうるため、推奨されるべきだと思う。 投稿した学術誌の出版社の持っているプレプリントサービスは、査読で掲載不可になり他の出版社のジャーナルに投稿する場合に、地味に困りました。プレプリントは編集者、査読者の理解が追いついてない研究の場合や、競合する研究者が複数いる場合に効果的に思います。 投稿前・査読前の論文をプレプリントとして公開することと、査読対応を終えて最終的に論文誌がWeb上に公開する前の論文(最終稿)をプレプリントとして公開することは、本質的に全く異なると思うので、上記のアンケートでも明示的に区別したほうが良いと思いました。上記のアンケートでは、Q25を除いては、後者のプレプリントをイメージして回答しました。 投稿論文のオープンアクセスは費用負担の観点から当方は利用が難しいが,その影響力には注視している。潤沢な資金のない研究者・分野・国(日本を含む)の公的オープンアクセス方法の検討が必要ではないか。 盗作されるような最先端の活気のある分野の場合は必要かなと思う 盗用などの懸念が払しょくされ,著者のアイデアや創造性が担保されるのであれば,推進すべきであると考える 特に国内の中小規模の学会については、オープンアクセスを推進すべきと思われる。ただし、学会運営上会員規模の維持などへの懸念があるため、オープンアクセスに積極的に取り組む学会を財政的に支援する仕組みを確立すべきである。 "特許を書くようになってから、研究成果や技術はもっとオープンであってよいと考えるようになりました。確度が不明でも、他者がどのようなデータが得られているか、どのように考えているかを低い敷居でやりとりする風潮は止められないと思います(forumサイトなど)。引用回数が増えれば、自然とこの価値は評価されることになります。 一方で、査読付論文でも後日誤りが見つかることはありますが、査読があることで論文レベルやイメージがつかめるため、査読付論文への需要はなくならないと思われ、オープンな情報と査読付論文の内容を比較することで、査読付論文の価値が上げることは、並行して可能と考えます。" "特定の学会が著作権を独占する形態は,長くは続かないと思われます. 学会は査読および公開費用をもらって論文を精査し,権威付けをするのが役割です.販売を独占するのは研究活動を抑制する方向に働くため,広くオープンにすべきと思います.プレプリントの著作権も,オープンが前提であれば問題にならないのではないでしょうか." 内容が正しいかは個人の判断となり、私個人として必要性を感じない。 日本の人文学・社会科学の場合には、かつては印刷版で配布され限定的流通であった紀要が大学のレポジトリでオープンアクセス化される傾向があり、その意味ではプレプリントの文化にはなじみやすい可能性があると考える。また、発表言語(主に日本語または英語)の選択の問題とも関係するので複雑であるが、プレプリントサーバーは、査読付きの既存英文誌に載りにくい内容の日本での研究成果を英語で共有できる媒体として可能性を持っていると考える。学術成果がより広い「ピア」に共有され建設的批判にさらされるという意味でも、オープンアクセスやプレプリントは重要な役割を果たしうると思う。 日本語の論文や解説は、業界の人に見て頂きたいので、どのような形でもオープンにしたいと思っています。 博士学位の要件として、学術論文としての掲載が所属機関において必要である。もしこれがプレプリントも許容されるのであれば、学生の博士取得のために無理に学術誌に通すということがなくなると思うので、非常に良いと思う。一方で、査読されていないものでは問題があるとも思う。 "発言をする前提として、個人的には振興オープンアクセス雑誌を避け、IFは低くとも伝統のある雑誌への掲載を希望している。 最近のオープンアクセス雑誌については、IFが高いもののその内容について玉石混交である印象と、過度に商業的な出版社の姿勢に共感を覚えないが、これからも発展をする可能性が大いにある。特に、これまで格式・権威のある雑誌では、新興国から投稿される論文に対して少しバイアスがかかっていたように思われる(エディターキック・査読における差別等)。そのため、共同研究者の動向をみていると、アジアを中心とする新興国の一部では、オープンアクセス雑誌への投稿及び掲載が増えている印象である。これは、一部のオープンアクセス雑誌では査読プロセスを早くし過ぎている(短い締め切り、インタラクティブな一問一答的な査読・修正プロセス)ため、査読が少し易しくなったことに原因がある。また、一部の雑誌では掲載料を稼ぐために掲載数を増やそうとする向きもある。つまりニーズとシーズがマッチしているため、この流れは加速することが予想される。一方、オープンアクセス化の推奨・高IF礼賛の評価法は、研究レベルの低下にもつながる可能性もあることから、学術政策として安易に押し進めることは反対である。" 発信側および受信側に求められるリテラシーなどの課題もあるが、速報性や仮説提示の観点では一定の評価がなされるべきと考えるし、そのようになっていくと思っている。 非常に質の高いプレプリのみを発表しているチームも多くある。これらのプレプリは、とても有用であり、引用も多くなされている。このようなプレプリは、学術成果として認めるべきと考える。 物理分野については、既にArXivが十分に定着して利用されている。生物や医学関連においても近年プレプリントサーバーの存在価値が高まり、利用が進んでいることはよいことと思う。プレプリントの内容は玉石混交となる可能性が高いが、再現性や発展性を踏まえて研究内容の取捨選択や利用が促進され、全体としては科学研究の発展を加速・拡大させると考えられる。また、論文の掲載費高騰の問題には注意を要するが、オープンアクセス化は、研究成果への平等なアクセスを保証し、情報格差を是正するのに重要であると身をもって感じている。 分野によって大きく意見が異なるところだと思います。数日という単位で分野が発展しているところであれば、ある程度プレプリントを評価していく必要があるかもしれません。しかし、第3者の確認がない間違ったものも流布してしまう危険性をどのように担保するかが必要になります。この解決方法は思い浮かんでいません。査読付き論文の査読をスピード化することと、それに伴い査読件数が業績として評価される方が、自分の分野にとっては良いと思っています。 "文科省は論文のオープンアクセス化を推進しているかと思いますが、オープンアクセスのため高額な費用を請求されるという事情を十分ご検討されたのでしょうか? 特に酷いのはSpringer Natureで、例えばSci.Rep.誌で20万円、Nat.Commun.誌で50万円程度だったかと思います。 トップクラスの研究者であれば数千万円の予算があり、数十万円くらいなら支払えるのかもしれませんが、若手の事情は異なります。 例えば科研費若手研究の直接経費350万円程度から数十万円を出費するのは、若手の研究を1割程度停滞させる効果があるわけです。 オープンアクセス費用を科研費等の研究費とは別に文科省で用意した上で、研究者が請求すれば支払って頂ける、ということでしたら全ての論文をオープンアクセスにしたいと思います。 ご検討頂けますと幸いです。" 文系の分野だとあまりプレプリントが重視されている傾向はないと思います。 有力雑誌のOA化が進み、研究予算がない場合、有力雑誌に投稿すること自体が難しくなっています。OA費がカバーされる仕組みをぜひ構築していただければと思います。 要は特許絡みや世界初の論文など,第1号にしたいがためにプレプリントを行うものだと理解している。社会科学の真理の追及のためには不要だと感じる。 理系分野とは異なり、経済学の分野では、以前から雑誌掲載前の論文をディスカッション・ペーパー(DP)やワーキング・ペーパー(WP)として公開することが慣習となっている。ジャーナル掲載前でも、DP段階で評価されている論文も多数ある。ジャーナル掲載まで時間がかかる傾向があるため、特に若手の研究者の場合は、採用の公募等において、DPやWPでも業績としてカウントされる場合がある。(ここまではQ24から移動)Q24で回答した通り、理系分野とは異なり、経済学では、以前から雑誌掲載前の論文をディスカッション・ペーパー(DP)やワーキング・ペーパー(WP)として公開することが慣習となっており、そうした論文の評価方法についても、研究者間である程度の共通認識がある。 例えば、今の状況ではそれほど価値がないと思われる研究が、どの雑誌にも重要性が低いということで掲載を断られることがある。しかし、数十年後、その研究が花開く可能性もある。そうしたときにプレプリントで公開しておく価値はあると思う。 論文ジャーナルの購読料が高騰する中で、論文へのアクセスの有無は、質の高い研究を遂行する上で深刻な問題だと考えます。オープンアクセスはこの問題の解決の一助となりますが、非常に高額であったり、論文の査読プロセスが怪しいジャーナルなども多く混在しているなどの問題点も挙げられます。プレプリントの位置づけや有効性は、分野によって異なるような印象です。 "論文にはある程度の情報の正確性を求めたい。 プレプリントで情報を早く出すのも良いが、査読されたものと区別できるようにすべき。その点では従来の論文の公開においても、知らない人が見れば全て同列に見えてしまうのは疑問に思う。 情報の正確さというものを当業者以外がみても判断できるような取り組みは合わせて行われるべきである。" 論文のオープンアクセスについては、是非推進して欲しいと思います。研究内容にやや興味があくらいでは有料で取り寄せるまではしない、あるいは予算に制限がある場合も少なくないようなので、研究資産を広く共有するためにも重要ではないでしょうか。プレプリントについてはあまり必要を感じておらず、これを推進するくらいならば論文査読プロセスのスループットを上げる方が重要と思います。 論文のオープンアクセスについては、読者層が多い欧米圏のものに焦点にあてるとするとProof readingに加えて投稿料をまかなえる研究者は限られてくる。よって、論文を出して、注目を集めることができる層とそうできない層の二極化がますます進むと考えられる(特に人文科学系など) 論文のオープンアクセスについては研究の発展のために大いに歓迎するが、プレプリントの公開は、研究の質保証の観点から歓迎しかねるし、その意味がまだ十分に理解できていない。 論文のオープンアクセスは、研究成果を広く周知する上で必要であると思われる。オープンアクセス誌はインパクトファクター(IF)が高くなる傾向にあるが、一部のオープンアクセス誌は、オープンアクセス誌でない雑誌で同等のIFをもつ雑誌と比較して、研究内容が高くないものも見受けられる。IFによる論文の評価を見直すなどの対応も必要かもしれいない。プレプリントについては、内容の信頼性が議論されている。学術誌よりも早くに情報を公開することを目的とするなら、プレプリントよりも、学術誌の査読期間を短くできるような工夫(専属の査読者がいて、短期間で査読できるなど)を導入した方がいいのではないか。 "論文のオープンアクセスは、査読がしっかりした雑誌であれば積極的に行うべきであると考える。一方で、地球科学系においても、高額な投稿料や手数料を払えば比較的簡単な査読、または受理を前提とした査読(査読者がrejectしても最終的に編集者の意向で強引にacceptに持って行かれる)によって論文を発表可能な雑誌が見られるため、このような雑誌の存在が今後問題である。 分野にもよるであろうが、プレプリントが業績として認められると、業績稼ぎのために質の低い研究成果をプレプリントとして発表されることが増えることが懸念される。" "論文のオープンアクセスは、著者の了解さえあればよいと思います。研究者の所属機関によってアクセスできる論文数に違いがあるのはあまり好ましくないと思うからです(大きな研究機関は多数の契約論文があるが、小さな研究機関ではそうでないため)。 一方、プレプリントについては、査読の過程がないので、その評価については慎重にあるべきであると思います。学協会の中で、最新データについて議論するのには有効だと思いますが、不特定多数がアクセスできる状況や、それを最終的な業績とすることにはあまり賛成できません。" 論文のオープンアクセスは、論文内容を広い読者に知ってもらうためには良い仕組みであるが、費用が高いため、研究費を圧迫する問題がある。プレプリントについては、分野によっては研究の先見性を示すために良い仕組みであるものの、査読前もしくは査読中の論文であることがほとんどであるため、論文内容については読者自身は慎重に評価する必要がある。 論文のオープンアクセスはとても発展性があると思う。 "論文のオープンアクセスは広がるべきだと思うが、それに伴う費用がかかりすぎるという問題点がある。プレプリントは、信頼性は高くないが査読による発表の遅れがない点が評価できる。今後、プレプリントと論文誌の役割が分担されていくことが予想される。 " 論文のオープンアクセスは是非進めてほしい。人材の流動性を高める観点からも、どの大学でも読める論文が増えるのはとても喜ばしい。私の分野では新型コロナウイルス流行あたりでプレプリントをよく目にするようになったが、少々否定的な評価である。情報を早く公開するという意味では有用だが、エビデンスレベルに不安が残る。それなら査読プロセスを早めるという形で対応してほしい。 論文のオープンアクセスは大変便利でよいと思います。プレプリントは、今回のCOVID19のパンデミックのような状況や大規模災害など、事態が流動的で迅速な対応が求められる場合に有効だと思います。ただ、査読を受けていないため情報を受け取る側は取り扱いに注意が必要で、発表する研究者も高い倫理観が求められそうです。プレプリントとして公表した内容を含む論文を学術雑誌に投稿した場合に、未公表データでないことが問題視されないようなルール整備が進めば、プレプリントはもう少し普及するかもしれません。 論文のオープンアクセスは投稿、閲覧どちらについても違和感はありません。プレプリントについては、例えば学会等から派生したコミュニティの中で公開されたプレプリントが、そのコミュニティの中で、査読に代わるような、情報の精査がお互いに(P2P的に)行われるのであれば、有用である思います。 論文のオープンアクセスやプレプリントも評価されることを期待するが、最終的な投稿をもって研究の完成と考える。プレプリントは内容を盗まれる可能性について問題とも受け取れる。デジタル情報によって著者の手を離れ、垣根なく勝手にどこまでも流出する可能性がある。今後、著者・研究者本人がどこまで新規性を維持できるのか課題だと思う。 論文のオープンアクセス化には費用が高額であることから発展性には限界があると思われる。よってプレプリントの利用が拡大すると考えている。 "論文のオープンアクセス化はインターネット環境さえあれば、どこでもだれでも論文にアクセスすることができるため、科学の発展に寄与していると考えている。機会があれば自信の論文も積極的にオープンアクセス化や、 オープンアクセスジャーナルに投稿、掲載したいと考えている。 プレプリントは、プライオリティーを優先するという意味では評価できるが、査読されていない情報がSNSなどで一人歩きする等、誤った情報が広がる危険性があるため慎重に運用するべきであると考える。" 論文のオープンアクセス化はより幅広い研究者が入手できるという観点から推進するべきと思うが、オープンアクセスにかかるコストが高価な場合が多く、それが問題点である。また、プレプリントも推奨すべきであるが、査読を経ておらず玉石混交なのが、評価を難しくしている。引用数も、研究領域に大きく影響されるため(論文が出やすい領域は引用数が相当に高くなりやすい)、必ずしも公平な評価基準とはならない。 論文のオープンアクセス化は望ましいが、現状ではお金を払えば論文が受理されるようなオープンアクセス誌の存在により、論文の乱造に繋がっているのではないかと思われる。 論文のオープンアクセス化を支援する年間いつでも申請可能な支援があるとありがたい 論文の掲載料・購読料は競争的資金ではなく、研究機関・国が直接負担するべきである。 "論文の購読料が高騰してうちの大学の図書館はもう壊滅寸前だ。 またオープンアクセスにするための追加掲載料が目が飛び出るほど高くて驚く。 ジャーナルの出版社はぼろもうけしすぎだ。 " 論文の査読が雑誌数の大幅な増加に伴い、必ずしも専門の査読者が見ているとは限らない状況で、プレプリントのようなかたちで読者が自らその成否を判断する、一種のゼロトラストのような格好になるもも一つの進む道かと思うが、現時点ではいささか過激だろうと思う。また、雑誌数の増加が出版費用の獲得と背後にある論文数による評価が原因だとすると、納税者が納得できる環境になっているとは思えない。研究者に期待されていることは論文数を中心とした業績数を増加させることではなく、学術の健全な発展とその社会還元であるからである。わかりやすい指標として論文数を使ってきた弊害・歪みのようなものが表れているのだろうと感じる。一方で、業績主義を全くやめてしまうというのも違うだろう。国際的にも依然として良質な論文の生産力は研究力の指標だからである。このあたりは議論を深める必要があろう。 論文の査読システムが十分に機能しているとは言い切れないものの、プレプリントは一方的に公開できるため、論文の質の担保において問題が大きいと思われる。 論文の質を維持しつつ、より早く情報を共有することは現代社会に必須といえる。 論文の質を確保しながら、(著者が経費を負担しない)オープンアクセス化は進めるべきです。ただ、プレプリントは名前からも中途半端な出版物というイメージが拭えません。公的資金による研究成果は公表の義務があるのであれば、読者ではなく、公表(著者、つまり資金提供)側が経費を負担すべきだと思いますが、出版社のオープンアクセス料は高価すぎます。出版社に頼らない、新たな研究成果の公表化を生み出すべき時期かもしれません。それには、外国雑誌のネームバリューが評価される業績評価システムを国主導で変えないといけないと思います。 論文の新規性の判断が曖昧になり,最終的に論文そのものの信頼性に関わる問題となる。 "論文は、基本的には専門分野での判断が主となると思われますが、一方で、他分野間における横断的な新たな見解を得ることも必要ではないかと思われる。 それ故に、、オープンアクセスやプレプリントの取り組みは必要と思われる。" 論文はオープンアクセスにした方が、多くの人が知見を参照できるので、科学が社会に貢献するという意味で意義があると思う。 論文は多くの人に読まれて評価されてこそだと考えるため、オープンアクセスやプレプリントによってその機会を多く得ることが重要だと考える。ただし、その論文が信用できるかどうかを読み手が判断せねばならないが、それはオープンアクセスやプレプリントに限った話ではないので、特に問題とは考えていない。 論文をオープンアクセスにする場合に研究者が費用を負担するジャーナルがあるが、問題点として、費用を負担できない研究者の論文はオープンアクセスにできずに結果として被引用率が低くなる可能性が考えられる。 "論文を無料で読めるようにすることは,研究の成果を社会に還元する,あるいは研究コミュニティにおいて誰でも自由に論文を読めるようにするという意味で有用であり,今後発展していくと考えられる. オープンアクセスを強化する動きが出版社にあるものの,一部の論文誌ではOA費用が非常に高額になっており,研究費の少ない研究者・研究室がこれらの雑誌にOA論文を投稿できない事態が発生している可能性があり,研究の多様性の観点から問題があると思われる. また,人事評価等において,出版論文誌のインパクトファクターなどの指標を研究者の評価に取り入れる場合があるが,一部の研究者の間では「インパクトファクターを稼ぐために高いOA費用を支払ってもこの雑誌に投稿する必要がある」という,サイエンスの本来あるべき姿とはかけ離れた理由で投稿誌が決定されている節があるように感じる(そもそもインパクトファクターは本来個別の論文の評価をするものではない). 大学の人事評価に歪みが生じた結果,人事評価のために投稿が殺到した雑誌(もちろんそうではない論文投稿もあるとは思うが)はOA費用がインフレするという構図があると思われ,出版社もこの点を理解した上で,インパクトファクターなどの指標を意図的に上昇させるための行為(自社の論文を引用したレビュー論文を出版するなど)やSNS等でのブランディング戦略が行われているように感じる. プレプリントサーバは,成果を無料で公開/利用できると言う点で上記の問題を解決できると思う.ただし,未査読の成果が投稿されると言う点は注意が必要である(特に,科学者ではない人たちにとってはどれが信憑性のある結果なのかがわかりにくい). 本来のサイエンスのあるべき姿は,誰でも自由にプレプリントサーバに投稿でき,投稿された論文に対して少し長い時間をかけて科学者が相互にフィードバック・評価をしあい(例えばコメント欄を設けてやりとりの様子がみられるなど),その中から芽が出たものが次のサイエンスにつながっていくというものではないかと思う. " 論文掲載前の事前査読制は一部の有料学術誌を除けば機能していない面もあり、学術界全体でオープンアクセスやプレプリントの重要性はさらに高まっていくと思う。一方で、情報の信頼性の担保についてはまだ定まった手法はないように思われる。また、研究成果の発表形式は分野によってもばらつきが大きく、いまだに紙媒体の学会誌が主体の分野もある。このような分野を遅れているからと切り捨てるだけで良いのかという思いと、いい加減さっさと電子化しろやという思いの両方があり、自分としても結論が出せない。 "論文雑誌の高価格化,およびオープンアクセス費の徴収など雑誌社に有利な制度設計が続けられており,業績を雑誌論文の出版に頼る現在のモデルはどこかで見直しが必須であると思われる しかし,国内的な議論のみで変革も難しいのも事実であり,抜本的な対策がなかなか思いつかない." 論文雑誌の高額化や投稿料と購読料の二重徴収の問題など、商業化が進んでいる昨今ではプレプリントの重要性が高まっていると思います。また、論文の数の増加に伴って査読の負担も増しており、査読の質が将来にわたって保証されるのか、という問題も出てくると考えられます。これらを考慮すると、究極的には、プレプリントによるオープンアクセスと読者やコミュニティによる査読、という形態へと進化すれば、商業主義を排除したフェアな学術交流の場ができあがるのではないかと考えます。物理学の一部の分野ではすでにこうした方向に進んでおり、将来はどの分野でも標準的な考え方になるかもしれません。 "論文誌のオープンアクセス化は知識の普及に広く役立つ一方で、出版社にとってはサーバの整備など維持管理を恒久的に続ける必要があるため、何らか定期的に収入を得る手段を出版社が模索するのではないかと考えられる。 プレプリントについて、査読前の原稿は信頼度が必ずしも高くなく、読者の専門性やリテラシが問われるため、速報性以上の価値はないと考える。オープンアクセスの論文誌よりも収入を得る手段が限られるといった問題を解決する必要がある。" 論文誌の購読価格が近年高騰しているため、所属機関で読めない論文誌が増えてきている。そのため、オープンアクセスは今後も重要と思うが、出版費が高いため、予算が潤沢にない場合は非オープンアクセスを選択している。 "論文投稿・購入費用、オープンアクセス費用が高いことは承知しています。また、私の経験上も、予算的に論文を購入できず、プレプリントに頼ったことも多くあります。 しかし、予算不足の解消を目的として、論文の代わりにプレプリントの利用を促進することは、結果として研究の質的低下をもたらすと考えています。現状として、SNSやe-mail等で著者と連絡を取り、論文またはプレプリントを送付してもらうことも可能ですから、プレプリントの利用促進が必須であるとは思いません。さらに、研究が開かれていることと、プレプリントが研究業績として一般的であることは、まったく一致しません。開かれた研究のためには、プレプリントの利用促進もまた有効かもしれませんが、必須であるとは思いません。それよりは研究広報の育成に力を入れるべきでしょう。研究の質的維持・向上のためには、予算不足の解消または論文出版等の安価化交渉措置のみが有効だと思っています。" 論文投稿+プレプリント公開は二度手間なので、投稿・受理された論文がより誰にでもアクセスしやすい状況になることが望ましいと考えられる。